第9話
佐久間は、物語の世界観や登場人物の設定を考えると、すべてをしっかりと保存し、パソコンを閉じた。ふぅっと一息つくと、全ての仕事が終わったような達成感があった。これで終了にしてもよいくらいである。後は、これをファブリース氏に送るだけだが、こういうとき、佐久間は、日を変えて行うようにしていた。というのも、別の日の自分でもう一度おかしな点がないか確認するためである。
佐久間は、その場にごろんと寝転がった。夜である。4限の講義後に部室へ行ったときに夕飯を友人たちと食べに行ったので、後は風呂に入って寝るだけだったが、まだ午後8時だった。寝るには早すぎる。
ふと、今回の物語を異世界譚にしたが、そこにはいったい何があるのか気になった。主人公はいったい何のために行くのか、またはそこで何を知るのか。まさかタイツとニーソを拝むために行くわけではあるまい。いや、むしろそれでもいいかもしれないと思った。どう考えるにせよ、ファブリース氏に一度尋ねてみたいものである。
目を開くと、そこは、辺り一面サルビアの花が咲いていた。佐久間は、花をよく知っているわけではなかったが、その花を知っていることになっていた。
その花の中にポツンと一軒の家が建っていた。空は、燃えるように赤くなった。その空によって、サルビアの花は一気に枯れてしまった。その枯れたサルビアの花を踏みながら、佐久間はその家へと向かった。
その家は、鍵がかかっていなかった。佐久間はその家の中に入ると、ふと自分の手にナイフがあることに気づいた。家の奥へと入っていくと、ある部屋によれよれのTシャツを着ている者がいた。佐久間は、後ろ姿を見ただけだったが、それがあのよれT男だと分かった。佐久間は、その男に近づき、ナイフを振り上げて、切りかかった。そのナイフが身体を切りつけると思われた瞬間、そのナイフは、佐久間の手から消えてしまった。佐久間がそのままその男の方へよろけると、いきなりその男がこちらを向いて、佐久間の手を握り、こう言った。
「今は、俺がナイフを持っている番なんだ」
佐久間が下を見ると、その男は、佐久間をつかんでいない方の手に、さきほどまで佐久間が持っていたナイフを持っていることに気づいた。
佐久間は、驚いて目を開けた。そこには、白い天井が見えた。辺りを見ると、ここは確かに自分の家だった。ふと自分の右手首を、左手でつかんでいることに気づいた。脈が速い。起き上がって、深呼吸をする。そのまま立ち上がって、台所で一口水を飲んだ。
殺されるかと思った。いまだにその緊張感が手に残っていた。もうすでに夢の内容はおぼろげであったが、なぜかその恐怖だけが頭に残っている。
寝落ちする前に風呂に入っておくんだった。佐久間はそう思いながら、風呂に入った。
翌朝は、1週間のうちで最も憂鬱だと言われている月曜日の朝だった。それでも、民法の講義に行けば横山さんを見かけることができるかもしれないので、自分に鞭打ちなんとか布団から抜け出して朝ごはんを食べた。
着替える服はない。今日は、パジャマジャージ登校デビューの日である。
いつものようにギリギリで大学へ行くと、教授はまだ来ていなかった。珍しい。定刻主義者だと聞いていたが……。そんなことを考えながら、事前に印刷しておいたレジュメとボールペンをカバンから取り出した。
かばんに適当に放り込んだためにぐしゃぐしゃになったレジュメを伸ばしていると、2つ隣に女の子が座ってきた。ちらっと見ると、ショートカットのかわいい女の子である。こういう日もあるのか、ちょっとだけハッピーな一日になりそうだ。
「あの、すみません、ペン貸してもらってもいいですか」
佐久間の頭の中ではラッパが鳴り響いていた。声の主は、もちろん隣に座っている女の子である。
「あ、えっと、これでよければどうぞ」
あまりの可愛さに、その女の子を直視できないので、視線をいろいろな方向へそらしながらペンをその女の子の方へ近づけた。
「ありがとう」
その女の子は、にっこり笑ってボールペンを受け取った。その日、佐久間は、そのボールペンを返してもらうことを忘れた。
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