第32話 【準決勝】因果応報
「お、お前……お前がぁぁっ!」
「ククク、悔しいですか? 憎いですか? でも残念ですね。あなたは何も出来ずにここで無様に敗北するのです。あなたの夫を殺した同じこの手で、同じ場所へと送って差し上げましょう!」
激昂するレイチェルを嘲笑いながら、エフードが極めた腕に対する力を強める。腕を折られる恐怖……。だが今はレイチェルの怒りがそれを上回った!
上半身はエフードの膝と体重によって押さえつけられている。ではどうするか。
レイチェルは反動を付けて思い切り身体を逆エビに反らせるようにして、脚を後ろ向きに振り上げる。
「何……!?」
レイチェルの振り上げた足の踵は、頭を低くして彼女の耳元に口を寄せていたエフードの後頭部にクリーンヒットした!
総合格闘技の選手として柔軟体操を欠かさず、また元々身体の柔らかい体質であった彼女だからこそ出来た離れ業であった。そしてそれはエフードの意表を突く程であった。
腕を極める力が緩んだ隙を逃さず、腕を振り解いて横転するように距離を取りながら素早く立ち上がる。
「はぁ! はぁ! はぁ! ふぅ!」
荒く息を吐きながらも、射殺さんばかりの視線で相手を睨み付ける。エフードもまた蹴られた頭を振りながら、忌々し気な視線でレイチェルをねめつけた。
「悪あがきを……。ここで逃れた所で、その痛めた両腕で私に勝てるとでも? ただ苦しみが長引くだけです」
奴の言う通り左腕まで痛めた今のレイチェルは、まともにパンチを放つのも辛い状態だ。だがそれが何だと言うのだ? そんな事で今のレイチェルの怒りは消えたりしない。彼女の頭にあるのは、目の前のこの憎き男を倒してジュリアンの仇を討つ事だけだった。
だが激昂しながらも頭の芯は冷えて冷静さを取り戻していた。挑発に乗って攻めかかれば奴の思う壺だ。これまでの攻防からクラヴ・マガという格闘技の性質が解ってきた気がする。
その可能性に賭けて再び攻勢に出る。レイチェルがキックを放とうとすると、エフードは素早く迎撃の為にその蹴りを受け流そうと体勢を変える。
(……! やっぱり!)
レイチェルは即座に蹴りを中断して後ろに下がる。クラヴ・マガは自分から攻めるというよりも、相手の攻撃を受け流してそこから反撃に繋げる、というのが基本スタンスのようだ。アナウンスが言っていた実戦護身術という言葉が思い出された。
ならばレイチェルの作戦は決まっている。エフードから距離を取って、ファイティングポーズを解いた。そして腕の痛みの回復に努める。
「ちっ……」
エフードが忌々しそうに舌打ちした。奴としてはこうなる前にレイチェルを潰せるはずだったのだろう。その当てが外れたようだ。
「……やってくれますねぇ。しかし私が自分からは攻めかかれないと思っているのなら大間違いですよ?」
エフードはこちらを挑発するように両手を広げて向かってきた。
「……!」
その姿に反射的に牽制のパンチやキックを放ってしまいそうになる。だがそれが奴の狙いだ。レイチェルは驚異的な克己心でそれを堪えた。
そして打撃を出す代わりに、腰を低くして相手の突進を受け止めるような体勢となる。
「……っ!」
エフードの顔が歪む。レイチェルは心理戦に勝ったのだ。エフードが突進を止めて逃げる前に、腰をかがめた体勢から一気にマットを蹴った。
そしてエフードの腰の辺りに組み付く事に成功した!
「ちぃっ!」
呻きながら掌底をレイチェルの顎に叩きつけ引きはがそうとする。それだけでなくもう一方の腕の肘がレイチェルの頭に打ち付けられ、膝蹴りが下腹部にめり込んだ。
「が……!」
痛みに怯みそうになる身体を強引に制御して、そのままエフードの身体を自分ごとマットに引き倒した。遂に寝技に持ち込んだ。もう死んでも離す気はない。
「ブロンディィィィッ!!」
「エフード……! 絶対に、許さないっ!」
エフードは尖らせた拳を狂ったように彼女の顔や身体中に打ち付けてくるが、レイチェルは必死になって耐えた。そして打撃を受けながらも、関節技のポジションに持ち込もうと巧みに体勢を入れ替えていく。
「させるかっ!」
「……!」
だがエフードもレイチェルの狙いを察したようで、打撃を収めて彼女の動きを妨害する行動に出た。必死のもみ合いが続く。
「ふ、ふ……あなたの思い通りにはなりませんよ、ブロンディ?」
「く……!」
だが今一歩の所で攻めきれない。エフードも多少は寝技の心得があったようで、中々レイチェルの思う通りのポジションが取れない。そうこうしている内に体力と膂力で勝るエフードが優位に立ち始めた。
レイチェルは焦った。自分から寝技に持ち込んでおいて、このままだと逆に自分が抑え込まれてしまう。
(くそ……駄目なの? 私の力じゃ、こいつを……ジュリアンの仇を討つ事も出来ないの……?)
絶望に折れそうになる心。その時であった。
寝技の応酬をしながらふと視線が向いた先……。アリーナの通用口の所に一人の男性が立ってこちらを見据えていた。
(あ、あれは……)
それは紛れもなく……ブラッドであった。アリーナ中の人間は警備も含めて全員試合に夢中で、誰一人そこにブラッドがいる事に気付いていなかった。
別行動中であった彼がそこにいる理由。それは……
レイチェルと目が合ったブラッドが、しっかりと頷きサムズアップした。彼が無事に重要区画へ『侵入』し、外部との通信を成功させたという合図であった。それはつまり、後は脱出するだけだという事。
「……ッ!!」
(ブラッド……やったのね!)
彼はしっかりと自分の役目を果たした。ならば自分だってこんな所で諦める訳には行かない。
「ママ! ママぁ! 頑張ってぇっ!」
その意識と、愛娘の叫びが彼女にかつてない活力を与えた。
「う、おおおおぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
「な、何だ……!?」
気合の咆哮と共に、急に力が増したレイチェルにエフードが驚愕する。レイチェルは激情の赴くままに力強く動き、遂にもみ合いを制した。
相手を背面から押さえつけ、腕を逆方向に捻るチキンウィング・アームロックだ!
「ぬおおおぉぉっ! ブ、ブロンディィィィィッ!」
「これで……終わりよぉっ!!」
極めた肩関節に一気に力を加えた。異音。そして慣れる事のない嫌な感触。
「GYAAAAAAAAAAッ!!!」
エフードの口から凄まじい絶叫が迸った。レイチェルは技を解くと、横転しながら素早く距離を取った。
『け、決着! 決着だぁぁぁっ!! し、信じられません! ブロンディ、我々の武術指南役でもあるエフード選手を下したぁぁぁっ!? 遂に決勝進出! ルーカノス様との対戦が実現したぁぁぁっ!!!』
――ウオォォォォォォォッ!!!
歓声や怒号が鳴り響く。それらをBGMにレイチェルは目を閉じ、かつての夫でエイプリルの父親である男性を想った。
(ジュリアン……これで、ケジメを付ける事が出来たかしら……?)
ジュリアンが、小さく笑った気がした。レイチェルはゆっくりと目を開いた。これでやるべき事は全て終わった。後は……
バタンッ! と、リングのケージが勢いよく開いた。エイプリル……ではない!
「……!」
『あ……!』
リングに入ってきたのは、頑健極まる鍛え抜かれた肉体をスーツ姿に押し込めた堂々たる偉丈夫。予定では『フェイタルコンバット』決勝戦の相手である……ルーカノス・クネリスであった!
『ル、ルーカノス様が……』
アナウンスだけでなく、観客席も動揺に騒めく。よもやのダブルヘッダーかと、レイチェルは咄嗟に身構える。周囲の反応から、この事態は予定されていた訳ではなさそうだが……
改めて間近で相対すると、その凄まじいまでのプレッシャーだけで怯みそうになってしまう。これは確かにブラッドやエイプリルの言っていた通りかも知れないと彼女は思った。万全の態勢で挑んだとしても勝ち目があるとは思えなかった。ましてやエフードとの対戦で両肩を痛めている今のレイチェルでは、まともな勝負にすらなるまい。
「ふ……そう警戒するな。今ここでお前と戦う気はない。万全ではない者に勝った所で俺の恥にしかならんからな」
「……!」
静かな口調のルーカノス。その言葉に嘘は無さそうだと、とりあえず警戒を解く。だがその目は油断なくルーカノスを見据えたままだ。
「俺がここに来た理由は、一つにはお前の奮戦を讃える為だ。正直お前が俺の元まで辿り着けるとは予想していなかった。見事だ」
「…………」
やはりそれも本心からの称賛のようだが、そもそもレイチェルをこの大会に追い込んだのもこの男だ。素直にその賛辞を受け取る気にはなれなかった。
「そしてもう一つは……」
ルーカノスは身体の向きを変えて、マットの上で呻くエフードの元まで歩いていく。
「あぐぐぐぐ……ル、ルーカノス、様……!」
「……最初から全力で戦えという俺の命令を無視して、あの女と『遊んだ』な? その挙句にこのような醜態を晒すとは……」
「ひっ……!?」
「組織の面汚しが……。貴様に俺の部下足る資格はない」
「待っ……」
エフードが何か言い掛けた時には、その喉元にルーカノスの巨大な踵がめり込んでいた! 革靴を履いたままの、あの太い脚で、全力で踏み抜いたのだ。
「……ッ!!?」
喉が潰れ首の骨が折れたらしいエフードが、白目を剥いて『即死』した。
「な……あ……?」
(し、死んだ……? 今、この男……私の目の前で、人を、殺した……?)
それも至極あっさりと。
レイチェルは呆然としていた。その顔色は紙のように白くなっていた。歯の根が合わずカチカチと鳴る。身体が小刻みに震える。この感情は……純然たる恐怖。
これまでの試合は非合法とはいえ、締め落としたり関節を破壊する事で相手を再起不能とすれば決着が着いた。また相手側もレイチェルを痛めつけ、最終的には潰すつもりであったとしても殺意までは無かった。勿論試合に負ければエイプリル共々殺されると組織に脅されてはいたが、それは試合そのものとは切り離された事情であった。試合で直接相手に殺されるかもしれないという恐怖とは全く性質が異なっていた。
『奴と戦えばお前は確実に死ぬ事になる』
『あの人、すごく怖かった。ママがあの人と喧嘩するのやだよ……』
今レイチェルは、二人の言葉の本当の意味をようやく実感する事になった。
(死ぬ……? 私は、死ぬ? この男と戦ったら……)
このまま行けばそれは避けられない未来となる。今まで体験した事のない凄まじい恐怖であった。ルーカノスが再びレイチェルの元まで歩み寄ってくる。
「……っ!」
レイチェルは無意識に後ずさっていた。六フィートを優に超えるその鍛え抜かれた逆三角形の巨体の威圧感は、最早物理的な圧力さえ伴う程だ。
「……汗の臭いが変わったな。冷や汗……恐怖か。俺が怖いか?」
「う……く……」
必死に気圧されまいとするが、そんなものは儚い抵抗でしかなかった。青ざめた顔と震える身体が全てを物語っていた。
「ふ……『決勝』は明後日だ。それまでに精々コンディションを整えておけ。お前の奮闘次第では『娘だけは』助けてやる。……俺を失望させるなよ?」
「……!」
つまりいずれにせよレイチェルは死ぬという事だ。そしてその見立ては全く間違っていない。そう……このままであれば。
彼女達はまさにこれから脱出するのだ。ルーカノスと戦う機会は永遠に来ない。来てはならない。
(……明後日ですって? いいえ、そんな日は来ない。この狂った大会も……あなた達の組織も、今日が最後の日よ!)
悠然とリングから立ち去っていくルーカノスの背中を睨みながら、レイチェルは心の中で吐き捨てるのだった……
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