伍、見越し入道

 佐田彦が賀根町へ居ついてから、一月ひとつきが経った。

 鬼の気配は特に感じることもなく、のんびりとした生活を送っている。朝は絲が飯を持って部屋へ訪れ、給仕されながら朝餉あさげを頂く。

「おかわりほしい」

「はい、どうぞ」

 なぜか住み着いている小豆洗い改め、紅丸が、絲の膝の上でご満悦だ。頬についた米粒を取ってやる甲斐甲斐しさを目の前で見せられ、佐田彦は居たたまれない。

 なんなのだこれは。ここは俺の部屋ではないのか。

 小さな子供に敵愾心を抱く己は、狭量すぎると律するが、それでも居心地は悪いのである。

「旦那は?」

「頂こう……」

 手を差し出され、どんぶりを渡す。返された白米は艶やかで、炊きたての良い香りがする。啜った味噌汁もまた美味で、それだけで佐田彦は満たされ、自然と顔がほころんだ。

「まこと、絲の飯は旨いな」

「……いつもそればかり言うのね」

「旨いから仕方なかろう」

「一度、外の店で食べてみればいいのよ。目玉が飛び出るぐらい美味しいわよ」

「どこぞの店へ入ったのだが、あまり口に合わんかったのだ」

「料理屋もピンキリだし、味の好みもあるでしょうけれど、そこまでおかしな店はないと思うのだけれど……」

 おだてられているのだとしても、旨い旨いと言われて、悪い心持ちにはならないもので。

 乞われるがままに、こうして毎度の飯を用意してしまう絲である。



 朝餉が終われば、絲は店の手伝いへと戻り、紅丸もまたそれに付いていくことが多い。

 彼の姿は只人には見えず、傍へ侍っていたとしても、誰に気づかれることもない。徳を積み、位があがっていけば、己の身を人へ知覚させることも出来るようになるだろうが、今はまだその時ではなかった。

 佐田彦はといえば、ふらりと市中を歩きまわるのが常。どこかに澱みがないか、綻びが出来ておらぬかと見回りをしているのであるが、はたから見ると、職もなく暮らしているように映り、外聞はよくなかった。

 長屋の住人らに訝しげに見られては、部屋へと引きこもる生活は不健康極まりないとし、木刀を片手に鍛練に励むことにしたところ、声をかけてきたのが庄之助という男。剣術道場にて師範代を務めているらしい。

 流派を問われたが、佐田彦に剣を教えたのは少々特殊な御方であるし、もとよりこれは人と打ち合うための剣ではない。人ならざる者を退治するためであり、型と呼べるものがあるのかどうかも不明である。

 野良侍の戯れに習い、それを元に組み立てた我流であるとし、納得はしてもらったが、庄之助には興味深く映ったらしい。

 是非、手合わせを――と乞われて以来、共に鍛練をするようになっている。

 そうやって一人と話をするようになれば、自然と人の輪が出来ていく。長屋住まいの半分が独り身ということもあり、佐田彦は彼らと卓を囲う仲となっていった。

 話を聞いたのは、そんな最中さなかである。


「それは本当なのか?」

「俺が実際に見聞きしたわけじゃねえけどな」

「冬だってのに、季節を間違えちまってらー」

「真冬の怪談ってのも、悪かねえと思うけど」

「風情ってもんがねえだろうが」

「けっ、風情って顔かよ、てめえがよ」

「違ぇねえ」

 どっと笑う男たちを尻目に、佐田彦は考えこんだ。

 彼らのいう怪談話とは、四つ辻に出没するという大男のことである。

 もとは近くの峠に現れていたというが、それが川を渡り、市中へと入ってきたのだとか。

 見上げるほどの大きな背をしており、その長さは一丈(約三メートル)ともいわれている。逃げ帰った者の話であるから、誇張もあるであろうが、類を見ないほどの大男というのが共通している話である。


「佐田彦殿もたいがい大きなもんだが、それ以上とは想像もつかねえな」

「その大男はどんな奴なんだ?」

「だから、でっけえ――」

「高さの話ではなく、服装だとか武器を持っているのかだの、その辺りのことだ」

 佐田彦が問うと、男たちは首を傾げた。

「どうだろうなあ」

「出会ったもんはみんな、魂を抜かれちまうって話じゃねえか」

「魂を?」

「逃げ帰ったもんが言うには、あっちから声をかけられたそうだぜ」

「なんと」

「何かを探しておるらしい」

 なんとも曖昧な答えに、佐田彦は問いを重ねる。

「人か? 物か?」

「はて。知らぬか、と訊いてくるのだとか。そこで正解を返せなければ、魂を抜かれるのだそうだ」

「正解ってなんだよ」

「それがわかっておれば、誰も苦労はしておらんだろうて」

「俺が聞いた話によるとだ、その者は、坊主頭で僧侶のなりをしておるらしいぞ」

「僧侶、か……」

「庄之助殿、ここは出番ではないか?」

「俺は剣術は嗜んでおるが、あやかし退治なぞは専門ではないぞ」

 顔をしかめて庄之助が返し、男たちはそれぞれが仕事へ向かった。




 いつの間にか、大男の噂は広まり、あちらこちらで話を囁かれるほどにまで成長した。

 こういったものは誇張されるのが常であり、話半分にきくのが正解というものではあるが、噂というのは真実を突いている場合も存在する。


「ねえ旦那、入道坊主の話は本当なの?」

「おまえまで知っておるのか」

「店に出ていれば、耳に入ってくるわよ」

 夕餉ゆうげに茶漬けをかきこみながら、佐田彦は絲の問いに答える。

「何者かが出没しておるのはたしかであろうが、なにぶん相手の居所がわからんのだ。決まった時刻、決まった場所へ出るものでもないらしい」

「それはやっぱり、あやかしの類なの?」

「……会うてみんことにはなんともいえんのだが」

「同じあやかしだもの、紅丸はなにか知っているのではないの?」

「それは無理ではないか? こいつは、川縁に座り込んで小豆を洗っておっただけの、地縛霊のようなものだからな」

「地縛霊?」

 佐田彦は失言したとばかりに目を逸らしたが、絲はそれを逃さない。顔の位置にまで移動し、「どういう意味なの」と問いかける。

 半纏姿の紅丸が部屋の隅で眠りこんでいるところを確認した後、ひとつ息を吐いて、佐田彦は口を開いた。

「紅丸はおそらく、あそこにずっと縛られておったのだろう。冬だというのに単衣ひとえで川縁におったのは、死する時、その姿だったということだ」

「夏場に川で亡くなったの?」

「夏かどうかは定かではないな。冬やもしれぬ。むしろ、その方が縛られた理由にもなるであろうか」

 衣もまともに着せてもらえぬ中、小豆を洗いに川へ赴く。洗い終えるまでは戻ってくるなと扉を閉められたとしたら、幼子に出来ることは、母に言われたことを遂行するのみだろう。

 雨風をしのぐ知恵などあろうはずもなく、ただひたすら、凍るような水に手をつけ、ざるを揺すりつづける。

 正しいやり方なぞ知るわけもなく、「できぬできぬ」と嘆くのみ。

 そうしていつしか、その身体は凍え、力を失う。

 けれど、母の言葉に縛られて身動きが取れないまま、成仏もできず、あの場に留まっていた。

 言い終えた後、絲は俯き、黙りこんだ。

「……おまえが気に病む必要などないぞ」

「わかってる、けど……」

 ぽとり、畳に滴が落ちる。

 絲の傍らに膝を付き、佐田彦はその肩を抱いた。

「紅丸がこの長屋へやって来たということは、呪縛は解けたということだ。おまえがあいつを誘い、母上の呪いを解いた。あれはずっと、教えを求めていた。本来であれば、母が成すことを、おまえがかわって導いたのだ」

「わた、し、が……?」

「語りかけ、手を引いて歩いた。その温もりが紅丸を救った。あのままではいずれ、悪鬼に呑まれたやもしれん。新たに名を得たことで、あれはもう小豆の神だ」

 正確には、神候補、だがな。

 佐田彦はつとめて明るく告げ、絲はその意を汲んで、涙を拭いた。

 一体、どれほどの時間を過ごしてきたのだろう。

 紅丸の孤独を思うと、絲は胸が苦しくなる。

「……いと?」

 か細い声が聞こえ、目を転じると、紅丸がぼんやりとこちらを見ている。

 あやかしも眠るのだな、と不思議に思いつつも、絲が手招きをすると、とてとてと走ってきた紅丸が絲の膝に顔を埋めた。

「どうしたの? 寒い?」

「おなかすいた」

「そう。じゃあ、お茶漬けでも食べましょうか」

「ぼく、おしるこがいい」

「だーめ。それは明日よ」

「あまいのがいい」

「駄目ったら駄目」

「たべるの」

「駄目」

「たーべーるー」

 ばたばたと足を動かして駄々をこねる紅丸を見やり、佐田彦は眉を下げて言った。

「少しくらいはよいのではないか?」

「旦那までなに言ってるのよ」

「さたひこもいってる」

 味方を得たとばかりに声を大きくした紅丸だが、絲の顔を見て少しひるむ。立ち上がり、今度は佐田彦の背に隠れた。

「……お絲が帰った後、残してある大福でも喰らうか」

「あずきはいってるやつ?」

「中に餡が詰まっておる」

「たべる。おもちやいたのがすき」

「そうだな。七輪で焼こう」

「ちょっと、聞こえてるわよ!」

 憤慨しながらも、明日はお汁粉を作り置いてあげるかと考える絲も、十分に甘やかしているのである。



 ◇◆◇



 長屋の木戸をそっと開き、寝静まった市中を歩く。今宵の月明かりは、提灯がなくては周囲が知れぬ暗さであるにもかかわらず、男の足取りは軽い。

 大入道、あるいは入道坊主と呼ばれるあやかしが蔓延はびこるなか、出歩く人の姿は減っているが、男は意に介さぬ様子で四つ辻へと向かっていた。

 あやかしが出るともっぱら噂の場所ではあるが、その姿は見当たらない。男はその辻を左に折れ、山手の道へと足を向ける。一町(約百メートル)ほど進んだところで、大木の影が動いた。

 否、それは木の影ではなく、見上げるほどに大きな人の影であった。

 大きな影が、道の中央に陣取る。

 細い月を背負い、容貌の知れぬ影が立ちはだかっている。

「――知らぬか」

 野太い声が、周囲を威圧するように響く。

 その声に、男はにやりと笑う。

 男はまず、影を見上げた。

 顔の位置とおぼしき箇所を睨み、そうしてゆっくりと見下ろしていく。

 足元に達したところで、口を開いた。

「見越した」

「……その声、佐田彦か」

「目が悪くなったのか、助六すけろく

「馬鹿を言うな。おまえが現世うつしよに馴染みすぎてるだけだ」

 影が少し縮み、顔が近くなる。とはいえ、この男は六尺六寸(二メートル)はあろうかという背丈である。佐田彦とて、顔を上げなければ話が出来ない。

「僧侶のなりをした大柄な影が徘徊しておるときいて、もしやと思ったが、やはりおまえか」

「分かりやすいかと思ってな」

「季節外れの怪談だと、大騒ぎだぞ」

「だからこそ、おまえの耳にも入っただろうが」

「それが目的か……」

 胸を張って笑う男に、佐田彦は肩を落とした。

 助六は、常世とこよの民でありながらも、現世うつしよを好いている変わり種だ。今は袈裟を着ているが、普段は篠懸すずかけ姿で、修験者のようななりをしている。

 陰陽の道を極めたいとのたまい、神々に白い目で見られているが、本人はこれ幸いとばかりに、あちらこちらと出歩いている。こうして会ったのも、実は久しぶりのことだった。

「それで、何の用向きだ」

「おまえがこちらに来ておると耳にしたから、挨拶だ」

「そんなことで、騒ぎを起こしたのか、おまえは」

「たいした騒ぎでもなかろうに」

「魂を抜かれただのと言われておるぞ」

「なんとまあひどい話だな。勝手にすっ転んで頭を打って、気を失っただけではないか」

「おまえのような身の丈をした者に見下ろされてみろ、見知っておる俺でもたまげる」

 佐田彦が言うと、助六はからからと笑う。

「して、事は収まりそうなのか?」

「元が辿れておらん。すでにおらぬのか、それとも――」

「気取られぬほど巧妙か」

「あまりそうは思いたくないのだがな」

「おまえ、今どこにおるのだ?」

「賀根町の長屋だ」

「なんとまあ、人嫌いのくせに、人に紛れておるとは」

「べつに嫌っておるわけではないぞ。苦手なだけだ」

「では、よほど居心地が良いのであろう。今度、寄らせてもらうとするか」

「……せめて、もう少し背を縮めてから来てくれ」

 宣言され、佐田彦は無駄と思いつつも、忠告した。



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