一人夜をあるく

通行人B

一人夜をあるく

 覚めない夢を願った。

 浮かんでは沈んで、とても心地良くて手放したくなくて。


 消えないでほしい。


 甘えた考えは私を自堕落へとつなぎとめ、そこから歩ませようとさせてはくれない。

 気の抜けたコーラの様にただただ甘く、形容しがたい風味にうつつを抜かし、重力に身をまかせる様に体を起こす事を諦めた。


 例えば突然一生働かなくてもお釣りが来るぐらいの大金を貰ったとしよう。

 貴方はそれをどうしますか?


 直ぐにでも会社を辞めて、自堕落な生活を選びますか?

 今後の為に貯金をして、いつもより少し贅沢な日常を選びますか?

 こんなの要らないと、渡してきた本人につき返しますか?


 一杯の珈琲の価値を理解していますか?

 今さっき鼻をかんで捨てたティッシュに価値はありますか?

 目が乾いたから濡らす為に、瞬きして出た涙は、別れの涙と何が違うのですか?


『今の君に価値がある』そう言ってくれた人を思い出す。

『人に価値などあるのか?』そう問いかけるとその人は『人には価値は無いが個体名■■さんには価値はあるよ』と答えてくれた。

 人に価値は無いが個人には価値がある。そう言いたいのだ。


 ならばそうだ。国を一つ丸々消し飛ばす爆弾があったとしよう。それを使えば一瞬で何千万人と言う人が死ぬ。そうした時、死んだ人に価値はあったのか?

 元々その地域に住んでいた人なら、何処何処の誰々さんが死んで、爆弾を使わせない為に悲しい犠牲者として石碑に名前を残され語り継がれる。

 成る程確かにそれなら価値はあるかもしれない。

 それなら、その国とは全く関係のない一人の青年が知人にも家族にも言わずに失踪し、運悪く爆発に巻き込まれて死んだとしよう。その青年には価値があるのか?

 誰も死んだ事を知らない。爆弾の他にも山崩れに巻き込まれたとか野生の動物に襲われたとか、誰にも気がつかれずに死んだ彼に価値はあるのか?

 家族の人が心配するから価値はある?

 ならば家族を排除して考えて下さい。友人関係を排除して下さい。クラスメイト・近所・教師・同僚全てを排除して下さい。

 誰も知らない彼を

 誰も存在を知らない彼を

 誰も興味すら持つ事のない彼を


『君は人が嫌いなのかい?』と貴方は問いかけてきた。

『いいえ。嫌いではないです』と私は答えた。

 こんな話は別に人に限った事ではない。家畜・魚・そこら辺に咲いた野花だってこの話に当てはめる事もできる。

 種類によって価値は無いのに個体になると価値がつく。面倒な話だ。


 将来、私は価値のある人間になりたかった。

 誰かが私を必要としてくれる人間に。

 ここにいていいと言ってもらえる人間に。

 可愛そうとかの同情や情けでの言葉なんていらない。


「私って面倒くさいでしょ?」


 隣の貴方は私の手を引いて前を歩いていた。

 行き先も目的も何も告げずに、私を引っ張っていく。

 私はこれから捨てられるのかな?

 頭をよぎったのは、漫画の様な回収されなかったゴミ袋の山に投げ捨てられ、無様にゴミまみれの姿の自分の姿だった。

 そんな漫画みたいなワンシーンになる事はなく、連れてこられたのは駅から徒歩十分、コンビニから二分と言う普通の街中の普通のアパートの普通の一部屋だった。


「同情も情けもしないから一緒に暮らして」


 さて問題です。この言葉の意味はなんでしょう?

 鈍感系主人公なら、家賃節約の為の同居と考えるかもしれない。

 夢見がちなら、一種のプロポーズで顔を真っ赤にするかもしれない。

 なんて答えるのが正解なのか、私には予想もつかずヒントと言わんばかりに貴方の顔を見た。


「節約の為の同居? それともプロポーズ?」


 自分で思考するより聞いた方が早かった。自分の思考能力が低下する音が聞こえた気がした。


 預けられた部屋の鍵に紐をくくりつけて首からぶら下げた。自分のファッションセンスにしてなんともダサくてカッコいいものだ。

 安っぽいその鍵はホームセンターなどで簡単に複製できそうで、この鍵の価値はどのぐらいあるというのか?


『今の日々を少しでも変えたくなったらまた来て』


 鈍く安く光るコレは私と貴方を結ぶ細くて簡単に切れてしまう糸。

 鍵としての価値よりそう唱えた方が価値がある様に思えた。

 追加情報は別料金とはなんともずるくて羨ましい。私なんかにも追加情報なんてあるものなのか?

 難しい事は考えるだけで疲れてしまう。


 今より良い夢を見るには目を覚まさないといけない。その為の労力をケチって怠惰を過ごすか、より良い夢の為に今の憂鬱を噛み締めるか。

 真っ暗闇の夜道を歩くのには星明りでは心もとない。

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