関係ない間

 あれから俺はそこそこの頻度であの部屋に通っていた。昼休みにあの部屋に行けばいつも鍵は開いているし、中には決まってあの女がいた。

 別に俺は女に会いに行ってた訳ではなく、本当に煙草を吸いに行ってただけだった。吸う気が無かったり、手元に煙草が無ければ行かなかった。

 俺が一日二日来なければ女は決まってこう言った。


「やぁ真斗君。一昨日ぶりだね? 元気してた?」

「別にお前に会いに来てるわけじゃないんだよ」


 最早指定席の様に窓際に向かい、窓を少し開けてから煙草を吸い出す。『カシャ!』


「おっと失礼」


 この写真も毎回恒例の行事みたいになっていた。一度は注意して見たが反省の色はゼロ。まぁ別に写真に撮られるのはそれ程嫌っている訳でもないし、誰かに見せびらかせている訳でもないから気にする事を辞めた。


「……おや? もう貼るところが無いや」


 女の言葉に釣られ壁を見ると、確かに言う通り、壁一面に写真がびっしり貼られており、これ以上貼るには貼られた写真の上に貼るしかない。


「仕方がないなもぅ」


 女は戸棚から一冊の大きなファイルを取り出し始める。


「なんだそりゃ?」

「アルバムだよア・ル・バ・ム。写真を一冊の本に纏める為に使うものさ」

「いや、そんなのは知ってるから。なんでアルバムなんか用意しているんだよ?」

「そりゃ写真を貼る場所が無ければ作るしかないでしょ? 写真は捨てずにキチンと取っておかないと」


 写真を撮るのを辞めるとか、初めからアルバムに綴じておけばいいのでは? そう思った時、戸棚に大量のアルバムが入っていた。煙草を吸うのを止め、写真を一枚一枚丁寧にアルバムに綴じている女の横を通り抜け、その内の一冊を手に取り開いて見る。


「随分写真を撮っているみたいじゃんかよ?」

「まぁね」


 戸棚にあるファイルは全て同じ物。いくら入るのか分からないが相当な量が入るに違いない。……もう一度言おう。戸棚にあるファイルは全て同じ物。


「……お前、いつから写真撮っていたんだ?」

「ん〜? 忘れた。多分ここに来てからずっとかな」


 ずっと。こんな分厚いファイル一杯になるまで写真を撮るなんて。一瞬目眩がした。


「なぁ、何でお前は写真を撮るんだ?」

「では質問を質問で返すようで悪いけど、写真は何の為に撮ると思う?」 

「そんなの残す為だろ?」

「その通り。写真はその時、その場の情報を一枚の紙に確実に残す為の物。……いわばコレは存在証明だよ」


 女はアルバムに綴る作業を一時中断し、カメラを片手に窓際に立つ。手招きをされたので俺も渋々女の隣に立った。


「例えば真斗君。あそこを歩いている少年。誰か分かるかい?」

「あぁ? んなもん俺が知るわけないだろ?」

「彼は一年生の田中君だ。彼は今どこにいる?」

「あー、学校の下り坂だな。早退でもしたんじゃないか?」

「では下り坂にいる事を証明できるかな?」

「バカにしているのか? んなもん見たら分かるだろうが。俺達が今見ているからだろ」

「そう。今私達が彼を現時刻を目撃しているからだ。コレで私達は田中君がここにいた事を証明する事が出来る。……では時間を飛ばそう。二十年後、田中君が事故によって死亡してしまった。私達は健在。二十年前、田中君がここにいる事を証明する事が出来るかい?」

「俺達が覚えていれば出来るんじゃないか?」


 記憶力には自信が無いし、あんなパッとしないところを遠目でモブキャラみたいな奴を覚えれるとは思えないが。


「では更に時間を飛ばそう。更に八十年後、私達どころか、学校の全体の人が何度も総入れ替えしたとしよう。当然私達は死んでいるし、娘や孫が死んでいるかもしれない。百年前、田中君がここにいる事を証明する事が出来るかい?」

「んなもん無理だろ。それこそ、どこぞの偉人みたいなやつじゃないと記録に残してもらえないだろうからな」

「そこでコレだ」


『カシャ!』


 カメラから一枚の写真が出てくる。写ったのは学校の景色と小さく写っている田中の姿。


「コレで例え私達が田中君を忘れたとしてもこの時この場所にいた事が証明された」


 女は写真が上手く撮れていなかったのか、だいぶ不服そうな顔をしていたが、今まで通り壁の空いているスペースに写真を貼り付けた。


「……真斗君。私が写真撮っている理由はね、証明してあげたいんだ。彼らはここにいた。ここで、この時間、この時代を生きていた。その証明を」

「それはお前の自己満足だろ? 側から見ればそれは盗撮だ」

「盗撮もバレなければ犯罪ではない。そもそも私は誰かを隠し撮りしているわけではなく、この場に見える誰かの生きていた証を残し続けているんだ」


 生きていた証。誰が何をしたのではなく、誰がここにいたという証か。女はファイルに写真を綴る作業に戻り、俺は手元のアルバムに視線を落とす。随分保存状況が良くないのか、少しだけ色褪せている写真がチラホラ目に見えた。


「……分かっているさ。証明写真とは言え、写真だって物さ。形あるものいつかは壊れる。百年もする前にそれらの写真はダメになってしまうのかもしれない」

「ならやめるのか?」

「やめないよ。これは私の自己満足であり私のエゴ。例えダメになったとしても私は彼らの存在を証明し続けてここに残すよ」


 女の笑顔を見た。それは無駄だと分かっていてもやめられない気持ちと、やりたくてやっていると言う意志のある気持ち。それらが混ざり合って見えた笑顔はなんとも辛そうに見えた。


「……おい、カメラ貸せよ。お前を取ってやるよ」

「それは出来ないよ。……なんたって私は写真写りが悪いからね」

「そうかよ」

「そうだよ」


 §


 『カシャ!』今日はその音が聞こえたのは部屋に入って暫くしてからだ。一瞬、あの女は珍しくいないのか? なんて思ったが、女はやはり部屋の中にいた。

 ……ただ手に持っていたのはカメラではなく鉛筆だった。


「……何してるんだ?」

「君には何をしている様見える?」

「何って」


 女の手には鉛筆。向かいには机とその上にノートと問題集が広げられていた。


「……宿題?」

「テスト勉強だよ真斗君。あまり関心が無さそうだけど来週にはテストだよ?」


 テスト……。そう言えば夏休み前の最後のテストだとか言ってたな。俺はと言えばノートどころか授業すら真面目に聞いてない。今から勉強すればギリギリ赤点回避できるのかもしれないが、生憎勉強は嫌いだ。


「真斗君は勉強が嫌いか。まぁ、好き嫌いは人それぞれだ。私は君に対して勉強をしろとは強要しないよ。……強要はしないけど、した方が良いよと助言はしておくよ」

「なんだ? 説教か?」

「違うよ助言だよ。私は学生だから詳しく知らないけど、学校の勉強で覚えた知識なんて使うのは一握りだ。学者になるとか建築家になるとなれば更に使う知識は増えるけどそれは置いておこう」


 女は勉強に飽きたのか、鉛筆を机に置いてカメラをいじくり回し出す。


「真斗君、使う知識は一握り。だけど使わなかった知識はあって困るものではないんだよ。国語の使い道のなさそうな漢字だって、時速六十キロで走る鈴木君だって、ベンゼンの式だってぶっちゃけ使わないよ。……でもいつか役に立つ時はある」

「あんのかよ?」

「あるよ。いつか君が新聞を読む事を強要されて読んだ時に出るかもしれない。君が約束の時間に間に合うためのおおよその計算がなんとなくは思い出せるかもしれない。実は化学者に向いているから使うかもしれない。知識とはあるだけでいつか来る分岐点で近道できるか否に繋がるんだよ」

「はぁ」

「ふふっ、興味なさそうだね?」


 まぁ興味は無い。覚えてようが覚えてないだろうが、その時にならないと分かるわけがない。……いや、この女が言おうとしてるのはその時になった時、分かるか分からないかの二択にすることが出来るとでも言いたいのか。


「じゃあ興味がなさそうだから一応言っておこうかな?」

「何だよ?」

「今度の試験で赤点取ったら夏休みは補習だよ?」


 補習。確か夏休みの大半が潰れるんだっけか?


「ハッ! くだらない。そん時はバックレるさ」

「……そうなると君は夏休みは此処に来ないのかな?」

「あ? 来るわけないだろ? そもそも俺は此処に煙草を吸いに来ているんだ。学校に来てないのに煙草を吸いにわざわざ来るかよ」


 ポケットから煙草をを一本取り出して火を付けた。それを一気に吸い込むと煙草はどんどんと短くなり、灰がこぼれていった。


「……写真。取らないとなると、お前は相当成績が悪いとみたな」

「まぁね。私にはちょっと難しくてね。このままだと補習コースかな」

「ざまぁ」

「……補習期間の時に君に会えないのは少し寂しいな」


 それは本心か? 何故俺を見る? 寂しい?


「知るかよ。此処にいるのは理由があるんだよ。煙草が無ければ此処には来ない」

「……そうだよね」


 露骨に落ち込む女の姿に腹が立った。きっとニコチンが足りないのだろう。箱から煙草を一本取り出して火を付けて吸った。

 煙が肺を満たして気分を落ち着かせるが、何故かイライラした。


「……ッチ!」

「真斗君?」


 吸いかけのタバコを乱雑に消して立ち上がる。女が驚いてこちらを見ているが知った事ではない。

 俺が部屋から出て大体五分後、耳に残るようなチャイムが鳴った。


 §


「…………」

「…………」

「…………」

「……何だよ?」

「あぁいや、何でもないよ。……珍しい事があるもんだな」


 男性は背中を見せ、黒板に文字を書き始めた。


「それじゃあ授業を再開しようか?」


 静まる教室。聞こえて来るのは蝉の鳴き声とチョークが黒板を走る音。……そして、頭を掻きながらそれを写す俺の握るシャーペンの音だった。

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