存在証明写真

通行人B

くだらない始まり

 ジジジ…。けたたましく鳴く蝉の声に誰もが眉を歪めた。ただでさえ暑いのだと言うのに、蝉の声も加わり、体温的にも聴覚的にも夏の暑さに苛立ちを抑えられなかった。

 コンクリートジャングルの都会と比べたら田舎の方が涼しいに決まっている。

 虫やカエル達のいる田舎と比べたら都会の方が精神的に涼しいに決まっている。

 何を言うのか。そんなのは比べる対象ではないし、どちらの温度も大差は無く、結論を出してしまえば『暑い』ただそれだけだった。

 その暑いを我慢する様に学校の教室にはクーラーなんて便利な文明は存在せず、全開された窓から入るあるようで無いような僅かな風が彼らを冷やしていた。


 ドッ!ドッ!ドッ!


 蝉の鳴き声をかき消すような重音が教室内に響き渡る。しかし「何事だ!」何て警戒する者は誰一人としておらず、誰もが嫌そうな顔をしていた。


「おい真斗!遅刻だぞ!」


 重音が止んでから約十分。一つの教室に怒鳴り声が響いた。身長は百八十を超え、腕の筋肉は細い木ならば折ってしまえるような太さをしており、金色のオールバックを髪をした男性に教師であろう男が立ち向かっていた。


「バイクのエンジンがかかんなかったんだよ」


「高校でのバイク登校は禁止しているとあれほど注意しただろ!」


「うっせぇな。次気をつけるよ」

 

「お、おい!」


 男性は面倒臭そうに欠伸と共に一つだけ空いていた席に腰掛け、その前眠りについた。


「おい真斗!……ったく。何しに学校に来ているんだ」


 ぶつくさ文句を垂れるも、教師はそのまま何事も無く板書を再開し、それに伴い生徒達もそれをノートに書き込んだ。

 コレがこの教室の日常。初めは男性に対して恐怖を抱いていた者が多かったが、関わらなければ害が無いと分かれば誰しもが無視を心がけるようになった。

 そうだ。コレでいい。

 微睡みの最中、男性-浅田真斗はその事を良しとしていた。



 *


「ハァ、かったるい」


 学校唯一の自動販売機の前で大きな溜息。何故俺は学校なんかに来ているのだろうか。勉強は得意ではない。好きか嫌いかで聞かれれば嫌いと即答。授業態度は悪く、禁止されているバイクで登下校していた。

 人は俺の事を不良と言うのだろう。あぁそうだ。俺は不良だ。酒は飲む、煙草も吸うし喧嘩なんて日常茶飯事だ。髪も金髪に染め、知り合いのツテでバイクを貰い、無免許で乗り回している。学生に見えない自分の見た目で一度も警察に止められる事は無かった。


「……くそっ!」


 居心地が悪かった。何故学校なんかに縛られなければならないのか。飲み終えた空き缶を握り締め、ポケットに入れた煙草の箱を取り出そうとすると遠目で面倒臭い教師の姿を見つけ手を離す。ここで見つかっては面倒だ。缶を投げ捨て背中を向けた。

 煙草が吸いたい。イライラが出始め、作った握り拳が行き場を探した。ガラスを殴ろうか?壁を殴ろうか?それともあそこにいる生徒か?迷っている間にもストレトスが体の中に蓄積していた。

 どこだ?どこだ?どこだ?

 行き場を探してウロウロしているといつのまにか校舎の端まで来てしまった。あるのは実験室ばかりで誰一人として人間がいなかった。


「……お?」


 何となく扉の一つに手をかけると、鍵がかかっていなかったのか簡単に開いてしまった。中に入らず、廊下から室内を覗けばあまり使われていないのか物が少なく、ちょっとした荷物置き場の様な空き部屋状態だった。

 ここで一服しよう。こっそり室内に入り、扉に鍵をかけて奥に進む。一つしかない窓、上階の角部屋と言うわけかこちらを見えるところが少なかった。

 とりあえず一安心し、ポケットに手を入れ『カシャ!』……何だ?

 音が聞こえた。振り返る。


「……白い…女?」


 口から出たのはそれだけ。

 白い女。ウチの学生服を身に纏う小柄な女。ただ違うのは女がとても白かった。

 白い髪、白い肌、白い目。夏だと言うのに手首まで隠れる長袖の先に覗かせた手もやはり白かった。

 昔にダチが持っていたAVで見た事があった。……そう、確かアルビノってやつだ。


「……っ!な、何だテメェ!ど、どっから入って来やがった!」


「……あ、君は私が見えていたの?」


 咄嗟に叫んで威嚇をしてみるも、女はそれにビビる事はなく、パタパタと小さな団扇の様な物を振っていた。


「見えたって。……何だ?ならお前は幽霊とかでも言うのかよ?」


「幽霊なんて非現実的な物は存在しないよ。もともとこの部屋に私がいたのに無視して入って来たのは貴方。……まぁ、お陰で良さそうなものが撮れました」


 女が振るのを止め、嬉しそうに視線を落とした。


「……何だそれ?」


「写真です。インスタントカメラ。骨董品の様なカメラですがまだ使えます。撮った写真が直ぐに現像されるステキなカメラです」


 なかなか良かった出来だったのか、写真を画鋲で壁に貼り付ける。……よく見れば部屋の壁には沢山の写真が貼り付けてあった。


「何だ、ここは写真部だったのかよ」


「いいえ。ここはただの空き部屋。誰も来ない空き部屋を私が勝手に使っているだけ」


 勝手に使っているとは言うが、壁の写真の数を見れば相当長くここに居座っている様に思える。

 勝手に使っている。それなら俺も人の事は言えないか。ポケットから煙草の箱を取り出し、一本を口に咥えて火を灯した。スーっと煙を肺に起こりこみ、口から吐き出す。


「せめて窓は開けた方が良いよ。火災警報器がなっちゃうよ?」


「ん?……あぁ、そうだな」


 やっとニコチンの摂取が出きて落ち着いたのか、それとも見つかるのが面倒だったのか俺は女の言う通り窓を開け、煙草を口に咥えた。

 『カシャ!』再び女に写真を撮られた。


「……ふふっ。不良だ」


「なんか文句でもあんのかよ?」


「いいや。文句なんて無いよ。それは君の体だ。煙草で肺を真っ黒にしようが、野菜ジュースを毎日飲んで健康になろうが君の自由だよ。なんたって死んであの世に持っていけるのは魂だけだからね」


 こいつは怒らないのか?それとも怖がらないのか?されたこのない返し方に呆気にとられてしまった。

 アルビノの女は出てきた写真をまたパタパタしてから確認して壁に貼り付けた。


「……君、名前はなんて言うの?」


「名前?……真斗だ。浅田真斗。二年二組だ」


「マサト……真斗君か。私は春原小春。これでも三年生でね、気軽に小春さんと呼んでくれ」


 小春と名乗った女は再び煙草を吸っている俺にカメラを構え『カシャ!』とシャッターを下ろした。ここまで三度この女に写真を撮られた事になったのだが、アルビノの素肌が気になって止める事が無かった。


「おやおや。もうチャイムが鳴っちゃったね。お昼休みはもう終わり。私はここの後片付けをしているから君は教室に戻りなさい」


 不意に鳴ったチャイムの音に女は少し寂しそうにカメラを机の上に置き、足場に落ちていた自分の私物らしき物を拾い上げていた。

 俺はと言えば手伝う義理は無い。女の横を通り過ぎ、かけていた鍵を開けて扉に手をかけた。


「真斗君。またここに来ると良いよ。私はいつもここにいるから」


「……煙草を吸う時にでも考えてやるよ」


 何故俺はそんな事を言ったのか分からなかった。ただ何となく、ただ何となく明日も来たらいるだろうなと思った。




「やあ真斗君。よく来たね?」


「……煙草を吸いに来ただけだ」


 翌日、俺はあの部屋に来た。当然煙草を吸う為だ。昨日同様に鍵は開いており、中に入ったらアルビノの素肌でカメラを弄り回している女がいた。

 春原小春。そう女は名乗っていた。


「ん?どうしたの?」


「ん…いや、何でもない」


 昨日同様に窓を少し開け、煙草を一本咥えた。ヘビースモーカーとは言わない。ただ何と無く煙草を吸い出して何と無く辞められずにいた。

 吸った煙が肺を一杯にし、満たされた時に口からフーっと吐き出される。『カシャ!』


「あぁ、ごめんなさい。随分と絵になってたからつい」


 嬉々として出てきた写真をパタパタ扇ぐ姿に反省の色が見えない。と言うか反省していないだろコイツ?出てきた写真を見ては満足そうに頷く女。出来栄えを確認した写真を壁の空いているスペースに画鋲で貼り付けた。昨日の昼にも同じ様に写真を壁に貼り付けていたけど、あれから更に写真が増えていた気がする。


「……やっぱりどうしたの?さっきから私の事をジッと見つめちゃって。……惚れた?」


「あいにくチビな女に興味はねぇよ」


「いやいや、君と比べたら誰もがチビだよ」


 ザッと見、身長は百五十有るか無いか。百八十オーバーの俺から見たらとんでもなくチビ助だ。


「あ〜、身長じゃねぇよ。その、何だ?アンタの色が白いからさ。あれだろ?アルビノってやつ」


「あぁコレの事か。そうだよ。私のコレは所謂アルビノ。正式な名前は先天性白皮症、先天性色素欠乏症、白子症とか色々名前はあるけど、まぁ簡単に言えば病気の一種さ」


「…病気」


 正直、アルビノなんて知ったのはつい最近。しかも見たのはダチが持っていたAVだ。病気と言うよりは日本人とか外国人とかの人種の一種かと思ってた。


「君がその名前を知っているとは驚きですね」


「……まぁな」


「おやおや?随分と元気が無い様ですが?そう言うのに偏見を持ったりします?」


「んな事ねぇよ。知ったのはダチの持ってたエロビからで、実際に目にするのは初めてだったんだよ」


「……あぁ、成る程。君は私の事をそう言う眼で見てたんですね?……真斗君のえっち」


「誰がガキに欲情するかよ」


「何を言ってるんですか。私の方が歳上ですよ?」


「ナイスバディになってから言えやツルペタ幼女が」


 明らかに不服そうにしている女を横目に二本目の煙草に火をつける。

 俺はこの女に欲情なんてしてない。ダチから見せてもらったのは長身のエロい体をしていた女だった。こんなちんちくりんなやつではない。

 別に俺はアルビノだとか黒人白人日本人老若男女問わず偏見は持っているつもりは無い。いや、気に入らない奴は気に入らないけど。


「ソレ、大変なのか?」


「……ふふっ。心配してくれてありがとう。まぁ大変と言えば大変だよ。見ての通り、髪や肌が白いから周りから変な目で見られるし、紫外線には肌とか色々負けそうになるし、視力もそれ程良くないよ。……コレを聞いてどう思う?」


「どうって?」


「病気が感染るとか、気持ち悪いとか、可哀想とか、ざまぁみろとかさ」


「別に。そんなの気にしねぇよ」


「……君は本当に優しい男だね」


「ハァ!?何言ってんだよ!俺は不良だぞ!」


 そうだ。俺は不良だ。髪は染め、登校はバイク。遅刻に居眠り飲酒喫煙喧嘩上等。模範的存在の裏側にいる様な奴だぞ。


「君は優しいよ。色々な人を見たけど、言葉と顔が一致した人はそうそういない。君は本音で言ってるよ。……私はそう言ってくれる人が何よりも嬉しい」


『カシャ!』


 再びシャッターが下され、女の持つカメラから一枚の写真が出てくる。そこに写っていたのはなんとまぁダサい顔をしていた俺だった。


「君は不良で悪い事をしているつもりみたいだけど、根は良い人みたいだ」


「……アホくさ」


 喫いかけの煙草を消して立ち上がる。部屋に備え付けている時計はまだ少し休み時間が残っている事を教えてくれた。


「なんだい?もう行くのかい?」


「これ以上つまらない話をする気は無いからな」


「成る程。それもそうだね」


 何を納得したのか知らないが、俺は女に特に何も言わずに部屋を後にした。



「そっかそっか。つまらない話か。……やっぱり君は優しいよ真斗君」

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