第12話 蛇亭主とガマ女房(ミステリー)
昭和の初期には、地主の力は、まだ健在でした。
わたしの生まれ育った田舎の山奥では、なおさらのことです。閉鎖的で封建的な、昔ながらのしきたりや権威の根強い地域でした。
あるとき、その山奥の村に、一人の男がやってきました。
年は二十三、四。それはそれは、キレイな男です。
女のように白く、なめらかな肌。
涼しげな切れ長の
線が細く、浮世絵のなかから、そのまま、ぬけだしてきたよう。
名前は、
女名なのが、かえって巳鈴さんの妖しいふんいきにピッタリという評判です。
村の娘たちは、みんな、巳鈴さんに夢中になりました。
もちろん、わたしも……。
*
このころ、地主の屋敷に娘があった。
容姿が、とても、みにくい。
村の娘たちは、金にあかした着物や、最新流行の洋服をきる地主の娘を、かげで、せせら笑っていた。
名前が、おカネだから、あれはカネじゃない、ガマだ——なんて
けれど、おカネも人並みに年ごろの娘だ。
巳鈴さんには、ひとめで首ったけになった。
巳鈴さんも金持ちの娘の家に婿入りするのは嬉しいことだったようだ。
その年のうちに、巳鈴さんはおカネと夫婦になった。
村じゅうの娘が、やっかんだ。
「絶対に、お金目当てだよ。ガマのおカネさんなんて、好きになるはずないよ」と、みんな陰口をたたいた。
しかし、巳鈴さんは自分が、とてもキレイな男だということを、よく知っているようだ。
だから、結婚してからも、以前どおり、村娘たちと仲良くした。浮ついたウワサも、絶えない。
「小百合や。あんた、最近、おカネさんの亭主と仲がいいそうだが、変なことになってやしないだろうねえ?」
ある日、母が心配そうに、たずねてきた。
「いやね。お母さん。変なことって何よ」
「笑いごとじゃ、すまないんだよ? 相手は地主さんだからね。ごきげん、そこねたら、この村じゃ暮らせなくなるよ」
「大丈夫よ。そんなことには、ならないわ」
そう。なるわけない。だって、となりの、えっちゃんも、よしこちゃんも、サチエちゃんも、みんな……。
村の娘は、ほとんどが、巳鈴さんの愛人だ。
ガマだって、そんなことは知っている。
だけど、自分がみにくいから、文句を言えば、巳鈴さんに愛想をつかされてしまうことも、知っている。
小百合たちの関心は、ほんとのとこ、巳鈴さんが一番、愛してるのは誰なのかってことだ。
今日も田植えをしていると、地主の大きなお屋敷から、巳鈴さんが出てきた。
棚田にちらばって、あっちこっち、稲を植える早乙女を、巳鈴さんは嬉しそうに、ながめる。
「さっちゃん。精が出るね」
声をかけられると、小百合は舞いあがった。
「巳鈴さん。離れてないと、泥がはねるわよ」
「かまわないよ」
「きれいな着物がよごれるじゃないの」
「いいよ。ここで、君を見てる」
「でも、たいくつでしょ?」
「いや。田植えは楽しいね。ほら、もう、オタマがいるじゃないか。気の早いやつらだ。この村はカエルが鳴きさわぐから好きだ」
「巳鈴さん。カエルが好きなの?」
「可愛いカエルは好きだよ。この村には、食いごろの可愛いのが、いっぱいいる」
「ふうん。待っててね。ここだけ終わらせたら、休憩するから」
「さぼると、父さん、母さんにしかられるぞ」
「いじわるね」
早く、二人っきりになりたいのと、ささやく。
「今夜また、桜の木の下においで」と、巳鈴が、ささやきかえしてくる。
村で一番、きれいなのは、わたしだもの。
巳鈴さんだって、ほんとは、わたしのことが好きなはず。
夜になり、約束の神社の桜の木の下へ行く。
月光のなかで抱きあうと、巳鈴さんの優しさに我を忘れてしまう。
甘い吐息と、白い肌。
かさなりあうと、このまま、死んでもいいと思う。
そんなとき、巳鈴さんは、決まって言う。
「さっちゃんは、ほんとに、おいしそう。ちっちゃくてツルツルした、可愛いアマガエルだ」
小百合は、くすくす笑う。
「かわいそうにね。あなたの奥さんは、みにくいヒキガエルだものね」
あんな、みにくい女が、この美しい人に抱かれてるのかと思うと、それだけで悔しくてならない。
お金の力で巳鈴さんを買って、色の道具にしてる、あのガマが憎くて、しかたない。
「巳鈴さんは、なんで、あんな人と結婚したの? やっぱり、お金が目当てなの?」
「あれは僕の女房には、ちょうどいいんだよ。あいつは、みにくいガマだから。食う気にもならない」
もしかしたら、二人は、ほんとの夫婦ではないのかもしれないと、そのとき、小百合は思った。
「かわいそうな、巳鈴さん。いいのよ。今夜は、たっぷり、わたしを食べていってね」
「そんなこと言っていいの? さっちゃん。ほんとに食べちゃうよ?」
にやっと笑う巳鈴さんは、まっしろな肌が月光に青く光って、なんだか魔性のよう。
蛇ににらまれたカエルの気持ちは、こんなものだろうか?
怖いほど、魅力的。
「わたしの白蛇さん。大好きよ」
無我夢中で、むつみあった。
すると、やぶのほうで、がさりと音がした。
誰かいる。あわてて、そっちを見た。が、巳鈴さんの体でかくれて、小百合からは見えない。
巳鈴さんは舌打ちをついた。
「おカネだ」
ガサガサ音がして、ガマは逃げていったようだ。
「悪いね。さっちゃん。今夜は帰るよ。あんな女房でも、大事だからねぇ」
巳鈴さんはガマをなだめるために帰っていった。
それから、数日後。
裏山で、近所のサチエちゃんの死体が見つかった。
死体は野犬におそわれたのか、バラバラにされて、内臓や肉を食われていた。
村人たちは、サチエが山で足をすべらせ、亡くなったあと、遺体を野犬が食いちらしたのだとウワサした。
でも、小百合だけは知っていた。
サチエは殺されたのだと……。
そのことがあって、巳鈴さんと距離をとるようになった。
その年の秋、小百合は求婚された。
ガマの弟にだ。つまり、地主の息子に。
もちろん、愛してるのは、巳鈴さんだけ。
でも、悪くない話ではある。
地主の跡取りと結婚すれば、残りの人生は、もう安泰だ。
それに、弟の耕作は、ガマほどヒドイご面相ではない。まあ、人並みの男だ。
夜のあいだ、ちょっとだけ、目をとじてガマンしていればいい……。
というわけで、小百合は地主の若奥様になった。
豪華な
小百合にとって、新しい生活は天国だ。
あこがれていたキレイな着物も好きなだけ着れる。
以前みたいに、朝から晩まで田んぼや畑で働かなくてもいい。
夫は気弱だし、義父は美人の小百合に甘い。
おまけに、同じ屋敷のなかには、巳鈴さんが暮らしている。
跡取りの耕作が結婚したので、ガマと夫の巳鈴さんは、同じ敷地のなかにある離れに引っ越した。
小百合たち夫婦の寝室から、中庭をはさんで、離れが見える。ちょっと、のぞくと、そこに巳鈴がいて、にっこり、ほほえむ。
秘めごとは、甘い。
小百合の置いた距離は、一瞬で、くずれさった。
以前以上に、熱く燃えあがった。
裏庭で。蔵のなかで。風呂場で。
夫が出かけていれば、夫婦の寝室でも。
どこでも、愛しあった。
小百合は自分の若さのすべてを、巳鈴に吸いとられてしまうんじゃないかと思う。夜は疲れて、声も出ない。
幸せな日々は数年、続いた。
そのころ、また、あの事件が起こった。
よしこが死んだ。
今度は村人も、さわいだ。
よしこの遺体は、サチエと同様にバラバラだった。
ただ、その首には、誰かにしめられたあとが、くっきり残っていた。
小百合は、よしこの死を、夫の耕作から知らされた。
「殺されたんだ」
「殺された?」
「そう。死体を食ったのは野犬かもしれないが、殺したのは人間だ」
そうか。わたしは結婚してからは、夜のあいだ寝てしまってる。昼間の逢瀬で疲れてるから。
巳鈴さんは、わたしが寝てるうちに、ほかの女と会いに行ってるのかもしれない。
サチエも、よしこも、以前から、わたしと巳鈴さんをとりあった仲だ。きっと、今でも続いていたんだ……。
小百合は聞いてみた。
「昨日、お義姉さんは、どこかに出かけなかった?」
「どこに出かけるって言うんだ?」
「そうよね。なんでもないの」
よしこの葬儀に出向いた。
幼なじみは、みんな、そろっていた。
「わたし、見たんだけど。昨日の夜……」と、えみこがつぶやく。
「見た? 何を?」
たずねると、えみこは、不安げな顔で、あたりを見まわす。目的の人物はいなかったようだ。
「昨日の夜、よしこが歩いてたのよ。水車小屋のほうに向かってた」
水車小屋は夜間使われることは、まずない。密会には、もってこいの場所だ。
つまり、よしこは、そこで巳鈴と待ちあわせしていた。
それを見ていたってことは、えみこも、よしこのあとを追っていたのだろう。
「それで、どうしたの? つけていったの?」
「やめてよ。なんで、わたしが?」
なんでも何も、ヤキモチ妬いたからではないのか?
でも、おたがいさまなことは、わかってる。
はっきりとは、問いつめない。
「家の窓から見えただけよ。こんな時間に、どこへ行くんだろうと思って。そしたら、そのあと、しばらくして、うしろを追っかけていく人がいたの」
「巳鈴さん?」
えみこは首をふった。
そして、口をひらこうとしたときーー
「このたびは、ご愁傷さまです」
弔問客が庭さきに入ってくる。
この声。おカネだ。
えみこは口をつぐんだ。
じっと、おカネの背中を見つめる。
やっぱり、そうだ。
犯人は、おカネだ。
きっと、サチエを殺したのも……。
あの神社の桜の下で巳鈴と愛しあった夜。
のぞきみたおカネは、きっと、小百合のことを、サチエだと勘違いしたのだ。
なぜなら、あのとき、巳鈴は小百合のことを、さっちゃんと呼んでいた。
幼なじみのあいだでは、サチエをさっちゃん、小百合のことは、ユリちゃんと呼びあっていた。
だから、さっちゃんはサチエだと思った……。
金で買った夫に相手にされない妻が、嫉妬に狂って愛人を殺したのだ。
だけど、小百合は、そのことを誰かに話すつもりはない。地主の娘だ。へたなことを言うと、こっちが、ぬれぎぬを着せられる可能性がある。
それに、ガマが警察に捕まると、巳鈴さんが
それは、こまる。
怖いと思いつつ、巳鈴さんとの仲は変わらない。
むしろ、ますます深まる。
「巳鈴さん。わたし、怖いのよ。こんなことしてて、いつか、ガマに見つかるんじゃないかしら」
「見つかったっていいさ。あいつに文句は言わせないよ。ねえ、さっちゃん」
「なに?」
「今夜は満月だね。また、あの神社で会わないかい? あそこは紅葉もキレイだよ」
巳鈴に誘われると、ことわれない。
あいかわらず、蛇ににらまれたカエル。
夜になった。
小百合は、ふらふらと屋敷をぬけだし、神社へ向かう。
愛しい巳鈴さんが待ってる。
行かなくちゃ……。
鳥居をくぐり、石段をあがる。
一段。また一段。
境内のカエデの木。
美しい満月を背に、巳鈴が立っていた。
「待ってたよ。さっちゃん」
「巳鈴さん」
さしのべられる両腕のなかへ、すとんと、くずれおちる。
「愛してるよ。さっちゃん」
「わたしもよ。巳鈴さん。誰よりも、あなたが好き。あなたは?」
「一番、好きなのは、君だよ。君は、ほんとに可愛いカエル」
なんだか、今夜は、いつもと違う。
何もかもが、夢のよう。
「うれしいわ。ずっと、巳鈴さんの一番になりたかった」
「一番は、ずっと君だった。だから、もうガマンできない」
巳鈴さんの白く長い蛇のような腕が伸びてきて、小百合の首をしめつける。
どういうこと?
サチエや、よしこを殺したのは、ガマじゃなかったの?
巳鈴さん? 巳鈴さんが、やったこと?
でも、嬉しい。
巳鈴さんの瞳が、優しく、愛おしげに見つめてくれるから……。
「かわいい小百合。僕はね。蛇なんだ。だから、かわいいカエルを見ると、どうしても食べずにはいられないんだ。愛しくて愛しくて、ガマンできないんだよ」
巳鈴さんは小百合の首をしめながら、ささやく。
「やっと、僕たち、ひとつになれるね」ーーと。
ああ、これが、この人の愛なんだ。
この人に愛されるってことは、食べられることなんだ。
小百合は恍惚となった。
わたしは、このときを待っていたんだと思う。
もう誰にも、わたしたちの仲をジャマされない。
わたしは、この人と、ひとつになれるーー
そのとき、叫び声がした。
「食べるなら、わたしを食べてください!」
巳鈴さんの力がゆるむ。
見ると、ガマが、そこにいた。
涙や鼻水で、グシャグシャになった顔は、ますます、みにくい。
「お願いです。あなたに愛されてなくてもいい。ただの金づるでも。形だけの夫婦でも。だからーーおねがい。わたしを食べて。もう、ほかの女に、あなたをとられるのはイヤ!」
巳鈴さんは、みにくいガマの顔を見つめて、深く、ため息をついた。
「僕は僕なりに、君を愛してたんだけどな。君を食べたくなることは絶対にないから。だから、一生、夫婦でいられる……そう思った」
食べることは愛。
でも、食べないことも、愛。
愛する人を食べてしまう巳鈴さん。
だけど……だからこそ、そばにいてくれる人がほしかったのか?
ずっと、変わらず、そばにいてくれる人が。
「いいよ。おいで。おカネ」
巳鈴さんは、そっと、小百合を離した。
「ごめんね。さっちゃん。ほんとは、君をつれてくつもりだった」
どこへ行くの?
巳鈴さん。いやよ。行かないで。
でも、声が出ない。
首をしめられて、気が遠くなりかけていた。
巳鈴さんが手招きすると、ガマは嬉しそうに、かけていく。
巳鈴さんはガマの手をとり、すうっと姿を消した。
気のせいだったでしょうか?
意識を失う直前に見た、まぼろし?
でも、そう。
この神社は、白蛇さまを祀っている。
*
あれから、何十年も経ちました。
あのあと、神社の裏から、おカネさんの死体が見つかりました。サチエや、よしこと同じような状態で。
巳鈴さんは、それきり、どこかへ行ってしまいました。
あの人は、なんだったのでしょう。
神社の白蛇さまの化身だったのでしょうか。
それとも、自分のことを蛇だと思いこんだ、ただの変わり者だったのでしょうか。
あの夜のことを思うと、今でも胸が痛みます。
巳鈴さんが愛してくれたのは、ほんとに、わたしだったんだと思います。
だけど、夫婦には夫婦の特別な絆があったのです。
あの人の残してくれた子どもがなければ、わたしは、さみしさのあまり、生きてはいけなかったでしょう。
あのあと、すぐに、わたしは懐妊しました。
翌年、ぶじに出産しました。
珠のようにキレイな男の子です。
子どもには、美鈴と名づけました。
成長するごとに、巳鈴さんに似てきました。
誰の子かは、一目瞭然でした。
けれど、そのころ、続けざまに舅と姑が亡くなったので、とやかく言う人もありませんでした。
夫は例のとおり気弱な人です。
自分の子どもではなさそうだと思ってはいたのでしょうが、美鈴をとても、かわいがりました。
大人になると、美鈴は巳鈴さんに瓜二つになりました。
いつも、口ぐせのように、こう言うのです。
「お母さんは、ほんとに、おいしそうだねえ。お母さんだから食べないけど。僕が一番、食べたいのは、お母さんだよ」
「あらあら。そんなこと言って。また、お嫁さんを食べたのね。もうそろそろ、食べるのはガマンして、お母さんに孫の顔を見せてちょうだい」
「だって、このへんの田んぼには、うまそうなカエルが、いっぱい、いるんだよ」
「だからって、食べてばっかりじゃ、子どもができないじゃない」
「わかってるよ。今度は、ちゃんと、ガマンする」
カエルの子はカエルって言いますものね。
蛇の子は、蛇なんです。
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