第88話 誤算3

 揚水風車を設置して以降も、初はたびたび矢代村を訪れていた。


 水の問題が解決しても、村人たちはまだまだ多くの問題を抱えている。少しでも村人たちの生活を良くするため、初は様々な製品を作っては、矢代村に持ち込んだ。


 手押し式の自動田植え機や、種まき器。牛の代わりに、縄と滑車を使った耕運機なんかも試してみた。うまく行った物もあれば、失敗した物も多い。

 そうやって実験をしていると、よく蜘蛛丸が差し入れを持ってやってきた。

 

一年の半分ほどを猟師として過ごす蜘蛛丸は、獲った獲物の大半を矢代村に卸していた。それには、もれなく凜がくっ付いてくるので、よく遊んでやったものである。


 その日も、蜘蛛丸は山で獲れた猪を、矢代村に運んできた。

 大人の背丈ほどもある立派な猪で、蜘蛛丸は鉄砲を使って、一撃で仕留めたという。


 大きすぎて、蜘蛛丸ひとりでは解体できない猪を、村の男たちの手を借りてさばいていく。その様を見るともなしに眺めていた初は、ふと蜘蛛丸の奇妙な行動に目をとめた。


「それ、なんに使うんだ?」


 猪から引っ張り出した内臓を、蜘蛛丸は大事そうに筵にくるんでいる。

 初が手元を覗き込むと、蜘蛛丸は「しまった!」という顔をした。しかし、すぐに平静を取り戻すと、


「畑に撒いて、肥やしにするんでございます。猪の臓物は、滋養に富んでおりますからな。土に鋤き込んでやると、育ちが良くなるんで」

「でも、そのまま撒くのはマズいでしょ。乾燥させるなり、発酵させるなりしないと、かえって悪影響が出るし」


 初は、現代で祖父が育てていた、ガーデニング野菜を思い出した。


 老後の楽しみと、毎日せっせと世話をしていたのだが、見事に全部枯らしてしまった。

 どうも夕飯の残りを、そのまま肥料として土に混ぜたのがいけなかったらしい。残飯を肥料にする場合、ちゃんと発酵させて病原菌や虫を殺し、堆肥に変えてやる必要があった。


「実はですな、姫様。ここだけの話なのですが」


 言いよどむ蜘蛛丸に、初が疑問符を浮かべていると、喜多七がこそっと教えてくれた。


「蜘蛛丸は、獣の臓物を使って、硝石を作っておるのです」

「喜多七殿!?」


 慌てる蜘蛛丸に、喜多七はまあまあと手を振った。


「このあたりの村の者ならば、皆知っておることじゃ。それに姫様は、安宅家の人間。問題はあるまいて」


 そう言って喜多七は、種を明かした。


 蜘蛛丸は鉄砲を使って猟をする。その際に使う火薬には硝石が含まれているのだが、これが買うと非常に高い。

 そこで蜘蛛丸は、自分が狩りで使用する分の硝石を、自前で作っているのだ。


 獣の内臓を糞尿や枯葉、枯草と一緒に混ぜて置いておく。雨がかからないように気をつけておけば、数年で硝石が採れるらしい。

 矢代村でも、蚕の糞をかまどの近くに埋めて、硝石を作っていると喜多七は言った。


「硝石は、実に良い肥やしでしてな。一畝辺り五升か六升しか採れない米が、八升は採れるようになりまする。木を育てるのにも、重宝しておりますじゃ」


 この時代は、煮炊きに使う燃料も、建物を建てるのにも、船を造るのにも木材を使う。現代のように、石油や鉄鋼製品を使用できないため、常に莫大な木材需要が存在していた。


 紀伊は、昔から林業が盛んな土地だ。だが近頃は木を伐り過ぎて、禿山が多くなっていた。

 困っていた喜多七たちを助けたのは、やはり青涯和尚だった。


 青涯は、木を伐採した跡に藁を敷き、その隙間に木の種を入れるよう指示した。すると山の鳥たちが、餌を求めてやってくる。集まった鳥たちは、敷き詰められた藁の上に、糞をしていった。青涯は、鳥の糞を含んだ藁を、山の土に鋤き込ませた。


 鳥の糞が山の土を肥えさせ、木の成長を早める。硝石を使えば、さらに早くなる。禿山は、見る見るうちに緑を取り戻していったと、喜多七は語った。

 また糞を含んだ藁の一部は回収して、畑にも撒く。鳥の糞は良い肥料になり、隣国からも買い手が付くほどだと、喜多七は頬をほころばせた。


「硝石は、いくらあっても足りないほどでしてな。もっと大量に作れないものかと工夫しておるのですが、これがなかなか」


 硝石の作り方は、暹羅しゃむ(現在のタイ王国)からやってきた商人に、教えてもらったという。

 あちらの国では、家の床下で豚や鶏を飼っており、床下の土から硝石を採っている。蚕の糞を使う方法は、その応用だ。


 かまどに常時火を入れたり、土を入れ替える頻度を変えてみたりと、いろいろ試してみたが上手く行かない。かえって、採れる硝石の量が減ってしまうと喜多七は嘆いた。


「へえ、硝石って造れるんだ」


 初は感心した。

 そういえば、現代の肥料にも硝酸なんちゃらという成分が入っていた。おそらく、バクテリアか細菌の類が、糞尿を分解して硝石を生産するのだろう。


 この話を聞き、初は一つのアイディアを思いついた。


 細菌もバクテリアも、活動には酸素を必要とする。土中に埋めてしまっては、土の表面にしか酸素は行き渡らない。では、地中全体に酸素を行き渡らせれば、より多くの硝石が採れるようになるのでは?


 初はこの思い付きを、実行に移した。

      







かまどから出る煙の上昇気流を使って、タービンを回すんです。これを動力に、竈で温めた排気を地中に送り込む。蚕の糞を埋めるとき、一緒に穴を開けた竹製のパイプを刺しておけば、土全体に酸素を行き渡らせて──」

「……たのか」


 はい? 初は聞き返した。良く聞こえなかったので、顔を上げる。


 青涯は、両の目をいっぱいに見開いて、初を見つめていた。痩せて頬骨の目立つ真っ黒な顔が、茶室の薄暗がりの中に浮かび上がった。


「その方法を、誰かに教えたのか? 実際に、ためしたのか?」

「え、ええ……喜多七が硝石が欲しいって言うから、ためしに喜多七の家の竈で……」

「愚かな」


 青涯は、がっくりと肩を落とした。畳の上に突いた手の指は細く、骨ばっていて、まるで何百年も年経た老木のようだった。


「君は、自分が何をしたか、わかっているのか? そんなことをすれば何が起こるか、少しも考えなかったのか?」


 土弄りとあかぎれで、幾重にも年輪を刻んだ指先が、畳の目を引っ掻く。

 まるで亡者のようなその指先に、初の心はざわざわと揺れた。


「硝石は、火薬の原料なんだぞ? それが大量に採れるということは、戦に使われる量が増えるということだ。戦場で飛び交う鉛玉が、増えるということだ。それがどういう結果を招くか、君はわからなかったのか?」


 青涯は、喉の奥から絞り出すような声で言った。


      

「君は、戦で死ぬ人間の数を増やしたんだぞ。それを、君は本当にわかっていなかったのか?」


      

「だ、だって、硝石が採れれば、肥料として使えるじゃないですか! そうすれば食料の供給も増えるし、戦だって減って……」

「そんなに簡単なものかっ」


 小さく鋭い一喝に、初は息を呑んだ。


 青涯はうつむいたまま、畳に爪を突き立てている。指先が畳の目に食い込み、表面を覆うイグサを、ぶちぶちと引きちぎっていった。


「そんなに簡単に、戦が減るものか……この時代の人間の心が、そんなに簡単に変わるものかっ。……ここは現代とは、何もかもが違う。彼らは、まるで野獣だ。他者を殺し、奪うことに、何のためらいもない。そんな者たちが力を手にして、使わずにいられると思うのか?」


 初の脳裏に、喜多七たちの姿が映った。鎧をまとい、初のためならば、いつでも駆けつけると訴えた喜多七たち。その想いと熱が手のひらに蘇り、初は慌てて頭を振った。


「喜多七たちは、そんな恐ろしい奴らじゃありません! 隣村の連中とだって、きっと話し合える。俺と先生の知識があれば、問題を解決して……!」

「その前に戦になる。矢代村はすでに、襲われているんだぞ? 彼らが、それを黙って受け入れるはずがない。話し合いなどという悠長な真似はしない。必ず報復に出る」


 初の頭には、いくつもの反論の言葉が浮かんだ。


 青涯は間違っている。初を諭すため大げさに言っているだけで、実際にそんなことが起こるわけがない。自分のせいで戦になるなんて、そんなことあるはずがない。


 矢代村の村人たちは、気のいい連中ばかりだ。初が説得すれば、必ず思いとどまってくる。隣村とだって、今は関係が拗れているが、話し合えばきっと──


 しかし、浮かび上がった言葉は、喉につかえて出てこない。口にしようとした端から、靄のようにとけて消えていく。


 顔を伏せていた青涯は、指先を緩めると、ゆっくりと立ち上がった。ふらふらと揺れる身体は、ほんのわずかの間に、縮んでしまったように思えた。


「だって……だって、しょうがないじゃないですか! 俺には知識があって、みんなを助けられたんだ。役に立てたんだ! 知っているのに、それを教えないなんて……そんなこと、できるはずないじゃないですかっ!?」


 躙口にじりぐちへ歩み寄る青涯に、初は叫んだ。


 自分でも、何を言いたいのかわからない。何を考えているのかわからない。ただ、失望されたくないという思いが、初の口を動かしていた。


「先生だって、いろんな知識を、この時代の人間に教えてるでしょう!? 農業とか医療とか、他にもいろいろ。水車を使った脱穀機とか、千歯扱きとか。木地師たちが困窮したのは、先生が広めた道具のせいでもあるんですよ? 食いっぱぐれた奴らの仕事がなくなったから、あいつらは盗みを働いてっ……!」

慶一郎けいいちろう君」


 青涯は、初に背を向けたまま、口を開いた。


「孤児たちは、できるかぎり寺で引き取ろう。職を失った者たちにも、伝手を頼って働き口を探してみるから。君はもう、家へ帰りなさい」

「でも、それじゃ戦がっ」

「慶一郎君」


 躙口にじりぐちを開き、青涯は言った。


「君はしばらく、ここに来ないでくれ。君がいると、また新たな問題が起こるかもしれない。ほとぼりが冷めるまで、君は何もしないでくれ」


 ぴしゃりと戸が閉じられる。

 初は一人、取り残された茶室の中に座り込んだ。

      








 館に戻ると、安定やすさだに呼ばれた。


 侍女たちに言われるがまま、執務室へと足を踏み入れる。

 部屋の中には、安定の他に小夜さよの姿もあった。


「そこに座りなさい、初」


 小夜の言葉に従い、畳に腰を下ろす。

 正面に座った安定は、初を見据えて言った。


「お前の縁談が決まった。相手は、堀内家。楠若くすわか殿が、お主の婿となる」

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