第81話 騒乱3

『……公主ひめ、そこで何してる?』


 鍜治場の中を、行ったり来たりしていた初は、背後からの声に足を止めた。振り返ると、作業着姿の柳雪リュウシュエが、胡乱げな眼差しでこちらを見つめている。


『いや、その……考えごとをちょっと』


 初は微妙に視線を逸らしながら、中国語で返した。


『さっきから、同じところを行ったり来たり。犬にでも憑かれたのかと思った』


 不審そうな顔をする雪は、初から一定の距離をとったまま、近づこうとしない。本当に、なにか悪いものに憑かれたのではないかと、警戒しているのだろう。

 現代ならオカルト扱いで済むが、この時代の人間は、まだまだ迷信深い者が多い。


 大丈夫と、身振り手振りで示しつつ、初は空を見上げた。正確には、鍜治場の向こう側、斜面の頂に立つ海生寺の茶室を見つめていた。


『寺に用があるのか?』


 雪が訊ねる。まだ疑っているのか、いつでも逃げられるよう腰を落とした雪の姿に、初は嘆息した。


『用っていうか……ちょっと話したいことがあるっていうか……』


 煮え切らない初の態度に、雪は再び警戒心を募らせる。


 鍜治場の中で、女二人が見つめ合っていれば、嫌でも目立つ。


 作業場の隅で、電磁石の実験を行っていた子墨ズモウは、初たちのやり取りに眼を細めた。実験装置を弟子の小睿シャオルイに預け、今も無言のやり取りを続ける二人に、歩み寄る。


『貴様ら、そこでなにをしておる?』

『公主が、犬に憑り依かれた』

『なに?』

『だから、違うって雪さん! 俺はただ、考え事をしてただけで』

『悪霊に憑かれた人間は、みんなそう言う。子墨、早く寺に行って道士を』

『俺は正気だから! なんだったら、この場で円周率を暗唱して──』


 埒が明かぬと思ったか、子墨は取っ組み合いを始めた初と雪にこぶしを振るった。

 そろって拳骨を落とされた二人は、頭を抱えてうずくまる。


『落ち着け、混乱するな。まずは順番に話せ』

『公主が犬に』

『だから違うっ──』


 もう一発、拳骨を食らって、初と雪は鍜治場の床に正座させられる。


『それで。何があった?』


 上座の椅子に座った子墨は、うつむく二人を見下ろした。初と雪は正座したまま、ちらちらと互いに視線を送り合っている。


 再び子墨がこぶしを握るのを見て、初は慌てて、


『せ、青涯和尚に話があったんだ! その、いろいろと迷惑をかけたから……』

『それはお前が、しばらくここへ顔を見せなかことと、関係があるのか?』


 底光りする子墨の瞳に気圧され、初はおずおずとうなずいた。








      

 初が堺から安宅荘へ帰ってきた、その日。

 館に押しかけた領民たちは、対応に当たった安定やすさだ直定なおさだに直訴を行った。

 家臣から自分に対する抗議だと聞かされた初も、話し合いに参加するつもりだった。しかし、危険だという理由で許されず、初は館の奥に押し込められた。


 母親の小夜さよからは、安定が解決するから大丈夫と言われたが、やはり落ち着かない。どうにか話し合いを覗けないかと画策する初に、小夜は堺の土産話をねだった。

 応じないと、凄いことをされる。

 小夜の無言の圧力に屈した初は、堺での出来事を、こと細かく話すはめになった。堀内勢に襲われた話までさせられ、初が連れて来た夜叉丸党は、しばらく小夜の玩具になることが決定した。


 話し合いは日が沈むまで続き、ようやく戻ってきた安定たちに、事情を聴きに行くと、


「今宵はもう遅い。話は、明日の朝いたそう」


 安定も直定も、そのまま部屋に引っ込んでしまったため、もやもやを抱えた初は、まんじりともせず一夜を明かした。そうして翌朝、ようやく初に領民たちの訴えの内容が明かされた──


『──それで、村人共は何を訴えてきたのだ?』


 子墨の問いかけに、初は視線を伏せながら、


『俺が作った揚水風車のせいで、水不足になったって……その補償をしろって言ってきたって……』


 訴え出てきたのは、矢代やしろ村に隣接する村の者たちだった。


 初が改良した多翼風車と渦巻ポンプは、矢代村の農業事情を一変させた。以前までは、渇水を気にして、すべての水田に稲を植えず、ため池として使っていた場所も多かった。それがポンプを設置してからは、すべての水田で稲を収穫することができ、なおかつ麦や大豆、蕎麦を裏作として育てられるようになった。

 天水田の維持管理が大変なことに変わりはない。それでも以前より、はるかに楽な暮らしができるようになったと、喜多七からは感謝されていた。初も、喜ぶ村人たちに、気を良くしていた。


 しかし、隣村の者たちは違った。矢代村が水を引き上げたせいで、自分たちの使う分の水が減ってしまったと訴えてきた。


『水利争いか。それは厄介だな』


 子墨は、苦いものでも飲んだような顔で呟いた。


 現代と違い、戦国時代にはダムのような大規模な貯水施設は存在しない。基本的に農業用水は、川から引き入れるか、ため池の水を使っている。


 矢代村が引き上げていた水は、山間を流れる細い小川から取水したものだ。

 揚水風車を設置したのが、十数年前。初が改良を施し、渦巻をポンプを使用し始めて、二年弱。それが今になって、急に問題視されたことに、初は衝撃を受けていた。


『今年は雨が少ないって、みんな言ってたからなぁ~。それで水を引き上げ過ぎたのかなぁ~?』


 この時代の水利争いは、マジでヤバい。水の確保は、食糧の生産量に直結するから、そのまま戦に発展することだってありうる。


 一刻も早く状況を確かめようとした初だが、館から出ることは禁止された。殺気立った村人たちが、初に危害を加える可能性があるからだ。この時代の人間の気性を考えれば、十分ありうるだけに、初も迂闊な真似はできない。

 それでも、家臣や侍女たちを介して情報を集め、何かしら対策案をひねり出そうと、初は努力した。館に閉じ込められたストレスから胃痛になり、ここ数日は満足に食事もとっていない。


 その後、自宅待機は解除されたが、直訴した村人たちとの接触は禁止された。報復の可能性がなくなったわけではないと言われれば、初もうなずくしかない。安定も直定も、任せておけの一点張りで、初には何もさせてくれなかった。


 菊の監視をかわすこともできず。家の中で悶々とする時間に耐えられなくなった初は、逃げるように鍜治場へとやってきた。


 自分のせいなのか? なにか打てる手はないのか? 思い悩み、のたくる初を見て、雪が気味の悪そうな顔をする。


 子墨は、苦悩する初を見ろしながら、


『それで、村人共はどうせよというのだ? 年貢の減免か?』

『それもあるんですが、風車を壊すように言われまして』


 子墨の問いかけに、初は肩を落とした。

 せっかく作った揚水風車とポンプだが、このままでは争いの火種になるだけだ。もったいないが、壊すしかないだろう。


『なるほど、お前の悩みはわかった。それで、青涯へ話とは?』

『ああ、うん。まあ、なんていうか、その……』


 ためらいがちに口ごもる初へ、子墨は剣呑な眼差しを注ぐ。

 隠し立てできぬと悟った初は、ひとつ息を吐いて、


『……先生には迷惑をかけたから、こう、いろいろと謝っておいたほうが良いかなぁー? なんて……』


 いじいじと人差し指を擦り合わせる。


 青涯の努力によって、安宅荘周辺は豊かになった。村同士の小競り合いや境界争いも減り、ここ十年ほどは、平穏を保っていたという。それが初の軽率な行いによって、崩れてしまったのだ。


 堺への渡航を経た初は、改めて青涯の偉大さを感じていた。安宅荘周辺の平穏が、どれほどの努力のもとに維持されているのか。まざまざと見せつけられ、青海に対する尊敬の念を新たにしていた。


 安宅荘へ帰ったら、もっと青涯和尚の役に立つような製品を生み出そう。そう決意していた矢先に、今回の直訴騒ぎである。


 事態を解決するためにも、青涯には協力を仰ぎたい。しかし、青涯を手助けすると息巻いておいて、結果がこれとは。

 産業革命を起こすなどと大言壮語した手前、初はバツが悪くてならなかった。


『先生は、ほんと凄い人なんだよぉ~。それをさぁ、ちょっとでも助けられたらって思ってたのにさぁ、こんなことになっただろ~? 俺、どんな顔して先生に会えばいいのか』

『悩んでいる暇があったら、さっさと話しに行ってこい。ここで頭をひねったところで、問題は解決せん』


 子墨は立ち上がるなり、初の手を引っ張った。

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