第80話 騒乱2

 頼定が立ち上がり、廊下側の障子を開いた。職人たちが、毎日、丹精込めて手入れしている庭に、鎧姿の男たちがずかずかと踏み込んでくる。


 一団の先頭に立っているのは、信俊だった。

 鹿の角を生やした兜を小脇に抱え、興奮に頬を紅潮させている。背後には、同じく鎧姿の郎党たちが続いていた。


 まだ十代半ばほどの少年たちが並ぶ中、初は一人の男に目を止めた。


 四十絡みほどの男は、まるで影のように、ひっそりと信俊の背後に控えている。右頬に大きな痣のある男は、初の視線に気付くと、小さく目礼した。


「ただいま戻りました、父上!」

「これ、信俊。皆の前ぞ。阿波守あわのかみ様と呼ばんか」


 庭に片膝をついた信俊を、頼定が叱りつける。本気で怒っているというより、いまだ稚気の抜けない弟に、呆れているような口調だった。

 恥ずかしそうに後頭を掻く信俊に、安定は目元を緩めた。


「帰ったか、信俊。直定なおさだも、大事なかったか?」

「はっ、万事滞りなく」


 長兄の直定が答える。深い青にも見える黒塗りの鎧をまとった直定は、まるで別人のように、厳しい顔をしていた。


「二人には、海生寺の衆人に同行してもらった。此度の一件は、我が安宅家も無関係というわけではない。海生寺の危難とあらば、我らも合力が必要じゃ」


 安定は縁側に腰を落とすと、かしこまる直定たちに向き合った。


「して、いかな首尾となった?」

「はっ。富田荘満寿寺は、義房殿率いる海生寺衆人に応戦。合戦沙汰に及んだため、我らも加勢いたしました。しかしながら、満寿寺まんじゅじ側に大した備えはなく、一時(約2時間)ほどで決着して御座います」

「一向宗の坊主共。我らが現れた途端、まともに戦いもせず、逃げ出していきましたぞ」


 信俊は、いかに自分が勇敢に戦ったか、自慢げに語って見せた。


 突然の事態に、満寿寺側は、ろくな準備も出来ていなかった。敵兵たちは、信俊が槍を振り回しただけで、皆、腰砕けになったという。郎党と共に一突きしただけで陣列は崩れ、あとは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


 自らの戦振りを、身振り手振りを交えて語る信俊は、ひどく楽しげだった。それはまるで、日常のちょっとした出来事を自慢する、幼子のような姿だ。

 自らの郎党たちの活躍ぶりまで語り始めた信俊に、光定たちは苦笑する。周囲の微笑ましいものを見るような雰囲気に、初は自分の中で、何かが急速に醒めていくのを感じていた。


「──そこで私が、こう、槍を突き出して!」

「わかったわかった。お主の活躍は、あとで聞く故。先に具足を解いてくるがよい。直定も、ご苦労であったな。今夜にでも、酒宴を設ける。お主の郎党たちも連れてくるがよい」

「はっ、では失礼を」


 直定が去るのに続き、足を踏み出しかけた信俊は、書院に初の姿を見つけた。先ほどまで紅潮していた頬が、にやりと口角を吊り上げられた。


「おや、物見遊山はもう良いのか、初? わしはてっきり、お主はもう帰って来ぬものと思っていたが」

「堺での用は済みましたので。それに、私の郎党たちにも、安宅荘を見せてやりたく思い」

「なに? 貴様の郎党じゃと?」


 堺で夜叉丸党と出会った顛末を語ると、信俊は腹を抱えて笑った。


「凡下のガキどもを拾ってくるとはっ。工人こうじんの真似事に続いて、次は武士もののふか! お前のやることは、ほんに周囲を飽きさせぬ」


 初が冷ややかな眼差しで見つめるのにも気付かず、信俊はひとしきり笑い終えると、目尻に浮いた涙を拭った。


「お前も年頃。そんな有様では、嫁の貰い手がなくなるぞ。堺でも、そんな調子で叔父上たちの手を煩わせたのではなかろうな?」


 話題を向けられた光定は「いやいや」と、片手を振った。


「此度の商談は、ことの外うまくいっての。それというのも、皆、初のおかげじゃ」

「ほう、初が。それはいったい、どういうわけじゃ?」


 安定が、興味深げに問いかける。光定は、皆の耳目が自分に集まっと見ると、もったいつけるように話し始めた。


「さて。これには、わしも驚いたんじゃがな。堺の商人たちの間では、初が鍜治場で作った品々が、大変な評判を呼んでおった。あの“ぽんぷ”とかいう水をくみ上げるからくりは、すでに堺近郊の村々に広まり、螺旋水車は鍛冶師たちの間で重宝されておるとか。堺だけではないぞ。今井、平野、宇治に山崎と、行く先々で初について聞かれての。主だった商人たちの間では、『安宅家のからくり姫』などと呼ばれておるらしいぞ」


 頼定と直定が、揃って嘆声を上げる。常に平静を崩すことのない安定も、珍しく目元を細めていた。


「初、そのような評判が立っておるのか?」

「は、はあ……そう、なんですか?」


 初も、はじめて聞かされた話なので、実感がない。光定によれば、今回の商談が予定より長引いたのも、初が作る品々を求めて、商人たちに引き留められていたからだとか。


 初に会わせて欲しい。初が作る商品を取り扱いと訴える者も多く、行く先々で詰めかける商人たちへの対処に苦労したと、光定は楽しげに笑った。


「兄上、これは思案のしどころですぞ。これほどの名声を得た初は、我が家の宝も同然。それも莫大な富を生み出してくれる、知恵ある宝物。みすみす他家に嫁がせるのは、実に惜しい。初が望むのであれば、このまま手元に置いておいたほうが良いやもしれません。初には、それだけの価値がありまするぞ」


 光定の発言に、初は胸を突かれた。


(この人、俺が言ったことを覚えて……)


 嫁に行くのが嫌だという初の願いを、それとなく安定に伝えてくれている。光定の心遣いに、初はそれまで冷えていた心が、じんわりと熱を持つのを感じた。


「叔父上。それはいくらなんでも、初が可哀そうでは?」


 直定は、ちらちらと初の様子をうかがう。女の子が結婚できないのは可哀そうという時代感覚なのだろうが、初にとっては迷惑この上ない。


 初は光定の背に、ここで負けるな! と必死に念を送った。


「初には、それだけの価値があるということよ。別に、今すぐ決める必要はない。これから、ゆっくり考えればよいことじゃ」

「しかし、それはいくらなんでも……」

「それに。初は堺にて、大きな手柄を立ててくれてな」


 どういうことかと首を傾げる周囲に対し、光定は手招きした。顔を寄せた安定たちに、声をひそめながら、


「実はな、有馬家の小倅こせがれを捕らえてきた」


 安定の顔色が変わった。にんまりと微笑む光定を、安定はわずかに鋭さを増した瞳で見つめた。


「有馬家の? それは、どういう意味じゃ」

「堺にて、ひと悶着ありましてな。我らを逆恨みした有馬家の手勢を、頼定が叩きのめしたのです。その折、我らに加勢した凡下共が、小倅めを捕らえました。初が郎党と言ったのは、その凡下共のことでして」


「初」と、直定は声を上げた。

 先ほどまでとは、どこか種類の違う厳しさを含んだ眼差しが、初に向けられた。


「まさか、そやつらに怪我を負わされたなどということは」

「いえ、新三郎よりさだ兄上が助けてくださりましたので」


 うっかり連れ去られたなんて言ったら、今度は直定にまで監視される。これ以上やられたら、ストレスで気が変になるかもしれない。

 直定は、尋常ではない迫力を放ってきたが、必殺の妹スマイルで、なんとか耐えきる。

 どこか不審そうにしながらも、直定は、光定に向き直った。


「して、有馬家の棟梁はいずこに?」

「船にて、安宅荘までお越しいただいた。今頃、大八たちが館にお連れしていよう」


 光定は、書院に集まった面々を見渡すと、力強い笑みを浮かべた。


「初のおかげで、今後の商いは保障されたようなものよ。商人どもは、青涯和尚だけでなく、初の知恵を借りるために、我が安宅家を頼ることになる。そのうえ、堀内家と有馬家に貸しができるとなれば、我が家の安泰は決まったようなもの」


「頼定」安定は、無言で控えていた頼定に指示を飛ばした。


「歓待の用意は、お主に任せる。直定、信俊は具足を解き、有馬家の息を迎える準備を」

「はっ」


 皆が、慌ただしく動き始める。


 去り際、信俊は初に視線を注いだ。ほんのわずかな間だったが、暗い熱を秘めた眼差しに、初の背を悪寒が走り抜ける。


 小さく身動ぎした初に、安定が怪訝な顔をする。初は、なんでもないと首を振った。


「光定。帰ったばかりで悪いが、先ほどの話を周参見すさみ家に伝えて……」

「殿、ご報告がございます」


 話を遮られた安定は、気を悪くした風もなく、廊下に現れた家臣を見つめた。


「何用じゃ。今は立て込んでおる故、火急の用件でなくば」

「近隣の村人共が、館の門前に押しかけております。代表の者によれば、これは安宅家対する直訴じきそであると」

「なに、直訴じゃと?」


 光定は、眉間に皺を寄せる。


 直訴、とは読んで字のごとく、領民たちが領主に対して、直接訴え出る行動のことだ。領民と領主の間で、なにかしらの問題が発生したときに度々発生する。大抵は、年貢の減免を求めて行われるのが、通例だ。


 今回も、年貢の交渉だと思ったのだろう。安定は、わずかに眉を動かしただけで、家臣に対応を指示した。


「明日まで待つように伝えよ。本日は、それどころでは」

「それが」


 言葉を濁した家臣は、ちらりと初に視線を向けた。


 困惑した様子の眼差しに、初は何事かと首を傾げる。


「村人共が訴えておるのは、その……初姫様が作った風車についてでして」

「……え?」


 予想外の一言に、初はぽかんと口を開けた。

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