第13話 関船

「まったく。稽古を放り出して、こんな場所にいるだなんて」


 言葉と共に、冷たい視線が背中に突き刺さる。

 舟に揺られながら、初は「何を言っている」と、菊に反論した。


「私は、ここへ勉学をしにきたのだぞ?」

「こんな場所で、何を学ばれると?」


 菊の目が、眇められる。視線に気圧されかけた初は、わざと背筋を伸ばした。


「世の中を学びにきたのだ。武家の子女たるもの、世間知らずでは何かと差し支えがある。領内を自分の足で歩き回り、なにか問題は起きていないか、困りごとはないかと目を光らせるのは、当然の勤めではないか」


 いつも自覚、自覚とうるさいと菊のことだ。これならば、文句はあるまい。


 胸を張った初に、すれ違う家舟からサザエが投げ渡された。


『鮫姫様、今朝の釣果です。食べてくだされ!』

『おう、ありがとう! 今度また、礼を持っていくよ!』


 手を振り返した初は、背後からの視線に、はっとした。


「……勉学?」

「ほ、ほら、明の言葉の勉強だよ! 安宅荘には、外国人が多いから」


「おーい、姫様ぁ!」と、これから海に出るのだろう漁師たちが、声を張り上げた。


「今日は、舟遊びですかい?」

「次に漁へ出るときは、うちの舟に乗ってくだされ! 歓迎いたしますぞぉ」


 嬉しいけど、今じゃない。絶対、今じゃない。


 やめろと手振りで訴える初に、勘違いした漁師たちが湧き上がる。船縁を艪で叩く音がこだまするたび、菊から放たれる怒気が重みを増していった。


「姫様、みんなに慕われてるね」


 家舟を操る蛋民のカクが、楽しげな声で告げた。

 人混みに近づけない初たちを見て、舟を出してくれたのだ。


 霍は、一際出っ張った前歯を陽光に輝かせながら、


「ここらへんの人、みんな姫様のこと好きね。米を分けてくれたり、水きれいにする方法、教えてくれた。みんな感謝してるよ」

「姫様、水をきれいにできるの!?」


 霍に抱えられるようにして艪を漕いでいた沙希が、目を輝かせる。


 蛋民は、雨水を生活用水にしている。それを洗濯から料理、飲料水にまで使うのだ。

 一応、木炭や砂利を使って濾過しているようだが、それでは雑菌の繁殖は防げない。そこで初は、貝殻から消石灰を作り、水を浄化する方法を教えた。


 初が掻い摘んで事情を説明すると、沙希はますます感心した様子で、


「すごいすごい! 水をきれいにできるなんて、姫様すごい力を持ってるんだね!?」

「うん、沙希。ちゃんと話を聞いてたか? 私はただ、消石灰を作っただけでな?」

「姫様、海の水も飲めるようにできますか?」


 凛にまで問い詰められて、初はどうしたものかと返答に困った。


「姫様の勉学は、領民の役に立っておるようですな」


 笑みを浮かべる亀次郎を、菊は横目で睨んだ。


「こんなもの、遊びの延長です。とても勉学とは」

「ですが、ここの者たちは姫様に感謝している。親しみを持っている。領主というのは、とかく民の恨みを買いがちです。姫様が民に愛されれば、その分だけ安宅家の評判も良くなるというもの」


 亀次郎の言葉に、菊が黙り込む。


 この二人が議論して、亀次郎が勝つなど珍しい。初は、意外な思いで亀次郎を見つめた。


 堤防から出た舟は、海岸に沿って進む。

 しばらくすると、人だかりの中心が見えてきた。

 

 初は、手を庇代わりにして浜辺を睨む。大勢の人々がひしめき合う浜辺には、船の残骸らしきものが転がっていた。


「あれが、寄舟か」

「かなり大きい船ですな。かわら(和船の竜骨)の形から察するに、明の交易船でしょう」


 隣に並んだ亀次郎が、渋い顔をする。残骸に群がる人々を見て「これは出遅たなぁ」と無念そうに呟いた。


「あれでは、目ぼしい物は残っておりませんぞ」


 この時代には、寄舟よりふねと呼ばれる慣行が存在する。


 海で遭難した漂流船や漂着船、あるいは漂着物などは、発見者が自分の持ち物にしても良いという慣習法だ。


 寄舟が発見されると、周辺の村人たちがこぞって押し寄せ、船の積荷を奪っていく。その一部は寺社に納められ、供物として奉げられるのだ。


 貧しい漁村などは、嵐の晩になると浜辺へ出て、松明を焚くらしい。すると沖を航行する船が、松明の火を湊の明かりと勘違いして、寄港しようと近づき、座礁するのだ。そうして寄舟だと難癖をつけて、積荷を奪っていく。


 現代では考えられない話で、はじめて寄舟慣行について知ったときは、初も驚いた。


 そんなことをしたら、船や積荷の持ち主が怒るのではないか。訊ねた初に、安定は、


「船が遭難するのは、仏罰だ。その積荷を神仏に供えれば、船主たちの罪も雪がれよう」


 どうもこの時代の人間の考え方は、根本的に現代人とは違うらしい。あれほど絶句したのは、祭りではしゃぎ過ぎた親父が、山車から転落。血塗れで帰ってくるなり「これは汗だ! 俺には、カバの血が入ってるから!」と、トチ狂ったことを抜かして祭りに戻ろうとしたとき以来である。


 初たちが乗る家舟の周囲には、多くの漁船が繰り出していた。


 寄舟からこぼれ落ちた漂着物を探しているのだろう。漁師たちは目を皿のようにして海面を睨み、網を投げ入れて海の中をさらっていた。


「姫様、船が」


 家舟の下を通り過ぎていく海女たちの逞しさに、半ば呆れていた初は、菊の声で顔を上げた。


 白地に三階菱の紋様を掲げた大型船が、悠々と沖を進んでいる。


 たしか、関船といったか。安宅家が使っている船の一つだ。鋭く尖った船首に、スマートな船体。船の上部は、矢倉と呼ばれる木製の装甲で覆われた特徴的な姿をしている。


 関船の水主が、こちらに気付いた。船上で何やら、やり取りが行われ、関船の船首がゆっくりと回頭していく。


「こちらに気付いたようですね」

「あの距離で、良く見えるな」


 二百メートルくらいは、離れていたはずだが。


 関船の舷側から百足の足みたいに突き出した艪が、海面を掴んで蹴り飛ばす。


 見る見るうちに迫ってくる関船は、見上げるほどの大きさだった。おそらく、家舟の三倍はあるだろう。


 関船は、家舟の船腹すれすれに止まると、矢倉の隙間から、ぬっと人の頭が突き出した。


「初! こんなところで、何をしておるか!?」


 船上から、直定が呼びかけてくる。


 いっけね、と立ち上がりかけた初の襟首を、菊が無造作に掴んだ。


「どこにいかれるのですか、姫様。ここは、海の上ですよ」

「まかせろ。泳ぎには自信がある!」

「馬鹿なことを言ってないで、行きますよ」


 矢倉の一部。楯板と呼ばれる装甲部分が開き、縄梯子が下ろされる。


 気が付けば、関船から伸びた熊手が、がっちりと家舟に爪を立てていた。関船と家舟はぴったりと接絃され、もはや逃げようがない。


「姫様、お気をつけて」


 一人、気楽な顔で手を振る亀次郎の頭を、初は平手ではたいた。


「お前も来るんだよ! 一人だけ逃げようなんて、いい根性してんな、お前」

「いやいや、私は残らないと。ここには、沙希や凛だっているんですよ?」


 さすがに、幼子を縄梯子で登らせるわけにはいくますまい。

 亀次郎のしたり顔に腹が立つ。が、言っていることはまともだ。


「姫様、行っちゃうの?」

「やぁだーっ! わたし、姫様とまだ遊んでもらってない!」


 不安そうな凛と、抱きついてくる沙希をなだめる。

 初が不承不承、縄梯子に手をかけようとしたときだった。


 頭上に、影が差した。


 陽光が遮られ、徐々に大きくなる影は、家舟の上へと落ちてくる。


「むんっ!」


 気合一発。家舟の甲板に、肉の塊が降り立った。

 着地の衝撃で、舟が大きく揺れる。凛と沙希が悲鳴をあげる中、立ち上がった肉は天に向けて突き上げた両腕を、身体の左右で引き絞った。


「初姫様、お迎えに上がりましたぞ! さあ、早う我らの船へお移り為され!」

猶重なおしげ! この馬鹿、飛び降りる奴があるか!?」


 直定が、珍しく語気を荒げる。


 腰を九十度に折って、直定に謝罪した筋肉だるまは、あらためて初たちに向き直った。


「さあ、姫様。大炊介なおさだ様が、お待ちですぞ! 縄梯子が不安ならば、某の背中へ」

「いや、いい。自分で登れるから。だから、もうちょっと距離をとって」


 やたらと圧迫感のある筋肉を押し返す。なんだか触るだけで、手がべたべたになった気がする。


 赤銅色の肌をてかてかと輝かせた筋肉だるまは、沙希の姿を見つけると、大口を開けて笑み崩れた。


「おお、沙希! ここにいたのか!」

「やぁーっ! 兄様、来ないでぇっ!」


 逃げようとする沙希を捕まえ、頬ずりする。とても十五歳とは思えないてかり具合に、沙希の顔が恐怖に染まった。


「兄上……なぜ、ここに」


 ひとしきり沙希を可愛がり終えた筋肉だるまは、顔を引きつらせる亀次郎に、無駄に白い歯を剥いた。


新三郎よりさだ殿が、船に乗られるというのでな。某も、ご一緒したのだ!」


 安宅藤一郎猶重あたぎとういちろうなおしげは、どこかぐったりした沙希を抱えて、大笑する。


 相変わらず、暑苦しい奴だ。亀次郎とは、だいぶ方向性の違う兄である。


 なんだか、どっと疲れた初の前で、猶重は腰の袋から縄を取り出した。虚ろな目をした沙希を背中に縛りつけ、縄梯子にしがみつく。


「それでは、某は先に行っておりまする。姫様と亀次郎も、お早く」


 瞬く間に縄梯子を駆け上がっていく猶重を見送る。

 ぽかん、と口を開けた亀次郎の肩に、初は手を置いた。


「じゃ、行こうか」


 硬直する亀次郎に、初はとびっきりの笑顔で笑いかけた。

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