夏の輝き

中村未来

出会い

「何で泣いてるの? ほら、いいお天気だよ」


 ついさっき会ったばかりの少年はそう言って、美雪を目の眩むような、夏の日差しの下へ連れ出したのだ。


 ――――――

 気づけば美雪は、学校から駅へと向かういつもの通学路を歩いていた。夏休み直前の土曜日、大学受験の模試で休みは潰された。

 自分なりに一生懸命解いたつもりだが、記憶が無い。どんなにしっかり自分を保とうとしても、集中しようとしても、宙を歩くかのように足元は頼りなくて、風に飛ばされる風船のようにすぐに意識がここではない所へと持っていかれる。

 きっと判定結果は酷いものだろう、これならわざわざ学校に来ることも無かったかもしれない。

 そう、学校をサボる――もとい休む選択肢だってあったのだ。なのに登校したのは、それを言い訳に、逃げたかっただけなのかもしれない。

 現実は何ひとつ変わること無く、家に帰れば否応無く待ち受けている。

 冷たく、固く、動かなくなった愛猫が。


 二年超、体に刷り込まれた帰り道。駅のホームに迷うことも今更ない。美雪はいつものように、帰りの電車に乗り込む。

 中途半端な時間のせいか、割合空いていた。窓際の席に座る。

 四年間一緒に暮らした黒猫のユウのことが否応なしに頭をいっぱいにする。

 病気になってからは日に日に弱っていくのが素人目にもはっきりとしていて。横になって、動くことも少なくなり、エサもほとんど食べようしなくなった。


 電車が動き出し、車窓の景色が流れていく。ガラスの向こうには光があふれかえり、世界中を照らしている。何かが始まりそうなほどの熱気と、明るさが有り余っているのに、美雪を照らしてはくれない。

 こみ上げてくる涙を必死にこらえようとしたが、美雪がどんなにこらえてもやがて雫は目からこぼれて頬をすべり落ちてしまう。


 駄目だ、これではとても家に帰れない。


 自宅の最寄り駅まではまだ四つほど先だが、美雪は席を立ち、次に停車した駅でホームに降りた。入れ違いに電車にのってくるカップルがこちらを見て少しだけ怪訝な顔をした。これが高齢の女性だったりしたら、「どうしたの」なんて声をかけられそうだから、何も言わずにすれ違ってくれた二人に感謝をする。

 降りた駅は、普段は通過するだけで、初めてホームに降り、初めて改札を通った。何があるのかも知らないまま道なりに階段を下りて道路の向かいにある公園へ歩いてみる。

 昼時だからか、それとも暑さのせいか、公園には誰もいない。電車が上りも下りも発車して、迎えに並んでいた自動車もロータリーからいなくなっていく。

 木陰のベンチに座ってみる。木製のベンチは座れないほどではないが、しっかり温まっている。それでも直射日光がいくらか遮られるだけでもマシになる。

 セミの声が響いてやかましいのに、行き交う人はいなくなって、まるでエアーポケットにはまってしまったよう。

 日差しはなおも強く輝き、地面に枝葉の影をくっきりと落とす。

 美雪は唐突に悟る。

 光が強く眩しいほど、生み出される影も黒く濃く、深いーー。


 自分は日光を浴び、暑いと感じ、汗をかいているのに、ユウは、母親が段ボールに敷いた、使い古しのバスタオルの上で横たわっている。


 誰かどうか、この現実を消してください。


 祈っても叫んでもどうにもならないことがわからないほど子供ではない。けれどとめどなくあふれてくる涙を抑えられるほど大人にもなれない。

「お姉ちゃん、おうちに帰らないの?」

 後ろから不意に声を掛けられ、肩越しに振り返った。小学生くらいの男の子がいつの間にか立っていた。

 デニムのハーフパンツと濃紺のTシャツから伸びた手足は既にかなりの日数太陽に焼かれたのか、浅黒だ。少し釣った眼が真剣にこちらを見ているので、にらまれているような気分になる。

「うん、もうちょっとしたら帰る……」

 人差し指で涙をぬぐいながら返事をする。近所の子が遊びにきたのだろうか、いつまでも泣きながらここに座っていたら変に思われるだろう。

 少年は、ぱっと笑顔になると美雪の手を取った。さっきまでにらんで見えた表情が、ひまわりが咲いたように明るくなる。


「何で泣いてるの? ほら、いいお天気だよ」

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