第2話 狼はしっぽを振る

「へレン、主語」


 いつも通り簡潔におっしゃったセーシュ様のお声に、歓喜で背筋が震えます。

 セーシュ様はめったに感情を表に出さない方ですが、いつになく強く怒りを感じる音でした。

 けれど、こんな時でもお言葉を頂けて、お声を聴けるのがとても幸せな私は、セーシュ様の部下としては失格ですから、お怒りもごもっともです。


「重ね重ね申し訳ありません。国を獲れとのご下命を受けてから実現まで二年もの時をかけてしまいました。私の落ち度です」

「国?」


 これは、王国をそのままの形で存続させているのか。ということでしょう。ご不満に思われるのは当然ですし、我々配下としても、散々愚王と無能に弄ばれ続けた玩具の処理をセーシュ様に行わせる気は毛頭ありません。


「はい。やっと全ての片がつきました。ご安心ください、建国の準備はすでに整えてございます。残すは陛下の宣言のみ。支配領域は現状、旧エウアスト国及びボルネ高原一帯。目ぼしい有力者は城に集わせております。後ほど陛下に謁見をと希望が出されておりますが、それについてはボーマンより香盤表を預かっておりますので、後ほど奏上いたします。ところで陛下、国名はいかがしましょう」

「ヘレン、その前に俺の命令を復唱しろ」

「はっ。”俺は自分のものではないものを救うほど暇じゃない”」


 あの日のことは鮮明に覚えております。セーシュ様はいとも容易く、この地に住まう者すべてに手を差し伸べることを決めたのです。

 絶望的であった戦況は、あっけないほど簡単にひっくり返りました。

 救ったのは、我らが主。なれば、救われた民が忠誠を誓う先など、決まっています。


「……王がベマ帝国に喧嘩を売った時だったか」

「左様です」


 二年前、旧アスト国王フルズは、性懲りも無く、帝国との戦端を開きました。

 それも、普段の亀のような政務の処理速度はなんだったのだ、と思うほどの素早さで。

 事の発端は、帝国から第一王子むすこよめとして嫁いでくる姫に横恋慕したことです。まず、あの無能は姫を無理やり攫うことを企てました。

 実行地は、国境に位置する我がエリウス領。当然、全てを見通していたセーシュ様はそれを阻止しました。逆上したフルズは、なりふり構わず、姫を脅しました。

 自分のものにならなければ、母国に軍を出すぞ、と。

 エリシャ姫が持参金として鉱山と、良質な騎馬兵を擁する領地を持ち込んだことに目をつけ、帝国が第一皇子を傀儡として王国を併呑しようとしていると難癖をつけたのです。姫は従わず、民はまたもやとばっちりを食いました。

 フルズは、一度は自らが承諾した嫁入りを宣戦ととる、などという訳の分からない言い分で、帝国に攻め入ったのです。

 帝国があるのは王国の南東方向。戦は、国の食料庫たる穀倉地帯が連なる一角から、収穫期の只中ただなかに兵を集うという暴挙を伴って行われました。

 否応なく巻き込まれたエリウス領でしたが、元王の愚行の中でも、セーシュ様は他領の兵にも救いの道を示し、和睦を取り付けたのです。

 戦場でのセーシュ様もそれはもう素敵でした。

 精悍な鎧姿、的確な指示を下す冴え渡る知性。魔剣で魔獣を薙ぎ払うあの雄姿といったら……いけません、目の前のセーシュ様を蔑ろにして回想にふけるところでした。寝起きで気怠げなセーシュ様なんて直視できないけれど、頑張ります。


「……会議を行う。皆を集めろ」


 一度息をついたセーシュ様は、伏せていた視線をあげて、そう命じました。

 紫の瞳に見据えられた私は、腰砕けになりそうになる己を叱咤し、伝令に走ります。

 あれこそセーシュ様。私がセーシュ様に心酔した理由は多々ありますが、あの眼差しを身に受けるたびに、彼こそが我らの主なのだと本能が訴えかけてくるのです。

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