15-2 妖精女王の導き

 男が複雑な思いで窓の外を眺めていたとき、ふと、テーブルを挟んで向かい側の席に、人影が腰を下ろした。

 他にも空いている席はある。それなのに、あえて近づいてきたからには――。男は、自然な動作で人影の方を見やった。



 女であること、それに、目深にかぶったフードの向こうに垂れる茶髪から、樹の都アルベリア生まれであることがかろうじてわかるばかりだ。

 そこまで確かめてから、男は、そっと相手から視線を外した。


 人が顔を隠すのには理由がある。触れる必要がない事柄において、相手の意思を尊重するのは、対話――特に、他者に明かせないような――において欠いてはいけない礼儀だ。



 男がそう待たないうちに、女が口を開く。


「あなたに、贖罪の機会をあげる」


「……はて、何のことですかな」


 脈絡のない女の言葉に、男は人好きのする微笑みで応じた。

 女の方は、男の態度になど興味がないらしく、はじめの一言と変わらない調子で言葉を続ける。


「あなたには大きな後悔がある。親友を救えなかったこと、彼の愛したものを守れなかったこと……いいや、違うかな。〈そのために力を尽くせなかったこと〉か。そうでしょう? ザハリ・クワイエル」


 男――ザハリは、心臓をわしづかみにされたような思いで、深く息を吐いた。

 まるで、つい先ほどまで考えていたことを見透かされたようだ。



 自分ザハリ・クワイエルの名と、七年前の一件を知る人物。おそらく彼女は、全都魔術師連合・火の都フラメリア支部の関係者なのだろう。


 かの支部は、あの事件をきっかけに、外界との接触をほとんど断ってしまったと聞いている。ザハリもまた、彼らに拒絶された〈非魔術師〉のひとりだった。



 そう考えると、なおのこと、女がこうしてザハリに接触してきた理由が気になるところだ。


「あなたが今向かうべきかと迷っている場所、そこに向かいなさい。今度こそ、悔やまないように」


 女はそれだけ言うと、躊躇なく立ち上がり、ザハリに背を向ける。

 ザハリは、女の正体を問いたい気持ちを喉の奥に飲み下しながら、宿を出ていく女の背中を見送った。


 女の正体も目的もわからないが、彼女の言葉は、ザハリの心の深きにまで届いていた。



 ザハリは、取り上げたペンにふたをかぶせ、紙切れとともにかばんにしまった。そうして、目を閉じ、無言の祈りを捧げてから、静かに席を立つ。

 目指すは、〈向かうべきかと迷っていた場所〉――この宿に最も近い『空の破片』の足もとだ。



 空振りに終わるかもしれない。何かの罠かもしれない。

 けれど、もしこれが、妖精女王の導きなのだとしたら。女の言ったように、少しでも、亡き友に報いることができるのだとしたら……。


 

 ザハリが宿屋の扉を開けた、そのとき。ドアベルに被せるようにして、カーン、カーン、カーン――三音からなる鐘の音が、火の都フラメリアに響き渡る。

 そのメロディーの意味するところを知るザハリは、たまらず、舗道を蹴って駆け出した。



 〈手遅れにならないうちに〉――先ほどの女が、耳もとで囁いたような気がして。

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