8-1 進まない針

 ジェラールは、長く煙を吐いた。


 今朝、起床したてに痛んでいた右足は、もうなんともない。それでもパイプを置けないのは、手持ち無沙汰だからだ。



 窓のない拠点を持つ火の都フラメリア支部の者たちは、時間ごとに定められた日程に忠実に動く。

 そうしなければ、すぐに時間の感覚を失い、心身に異常をきたすことを、経験を通じて学んでいるためだ。


 とは言っても、拠点内には、皆がもれなく時間を確かめるに十分な数の時計がない。

 そのため、ライナルト率いる指導員らが、直接時計から時間を確認したうえで〈時計役〉となり、皆の生活を取り仕切っていた。



 支部長であり、支部員の下についていないジェラールにとっての〈時計役〉は、カキドだった。

 カキドは、外での活動も多いからと、特別に備品の懐中時計を持つ許可を与えられていた。 


 最近、古いクロノグラフを手に入れたからと、備品の懐中時計を返しに来たが、どちらにせよ、彼女がジェラールの生活管理を担っていることに変わりはない。



 そのカキドが、今日はまだ現れていなかった。


 ジェラールの腹の具合からして、もう正午を回っているはずだ。このままカキドを待っていては、朝食どころか、昼食も食べ逃してしまいそうだ。


 執務室からの外出もカキドを伴うことが条件である以上、今のジェラールにできることは、おとなしく彼女を待つことだけだった。



 それにしても、あまりに遅い。

 いつもなら、朝のうちに仕事を持って執務室にやって来て、適当に嫌味を言いつつ、ジェラールを朝食に連れ出してくれるというのに。


 昨晩遅くに出かけていったにしても、もうとっくに帰っている頃だろうに――。


(――そんな危ないことさせてさ。明日の朝、僕が帰ってなかったら、ジェロアのせいだからね)


 ふと、ジェラールの頭に、去り際のカキドの言葉がよみがえる。

 冗談で言ったに違いない一言に、妙に引っかかるものを感じて、ジェラールは歩行補助杖を取った。胸騒ぎがする。



 勝手に外出したことをカキドに叱られたなら、謝ればいい。むしろ、そうであってほしい。

 ジェラールは少し迷って、昨晩受け取ったまま開封していない手紙を懐にしまってから、不自由な体に許される限りの早足で執務室を飛び出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る