23-願いごと
バイト上がりに貰ってきた廃棄の弁当を食っていたら、ナナが上がり込んできた。いつものように軽く挨拶を交わすと、ナナはでかい緑茶のペットボトルをちゃぶ台に置いた。
「そういえばさ、ずっと、気になってたんだけど」
視線をこちらに向けず、ナナは言う。以前景品で貰ったコップを二つ、棚から出して並べた。
「答えたくなかったら、別にいいからね」
緑茶がコップに注がれていくのを、冷えたコロッケを頬張りながら俺は眺めた。電子レンジが欲しいとこだが、金は極力使いたくないし、荷物も増やしたくはない。無戸籍、不老の痛いとこだ。周囲に訝しがられたときに、いつでも消える準備が要る。
ナナは俺の顔をじっと見つめて、意を決するように口を開いた。
「高矢って、もしかして、キリストなの…?」
べひゅっ、と変な声が出た。コロッケが喉に詰まる。慌てて手を伸ばすと、ナナが緑茶のコップを差し出した。
「ごめん大丈夫!? ちょっとタイミング悪かったかな。ごめん、ほんとごめん」
大丈夫、と手を挙げてみせ、緑茶でコロッケを飲み下す。よりによって、キリストと来たか。まあ確かに何度でも復活するし、そういえば絵のモデルになったこともあったな。だが、あの絵はリヒャルトの家ごと燃えてしまったはずだ。ナナが見たとも思えない。
「残念ながら人違いだ。俺が西欧に漂着した時点で、キリスト教はだいぶ広まってたしな」
「そっか。そうだよね。高矢みたいなのがキリスト様のわけないか」
あはは、と笑うナナの屈託のなさに少し和むが、高矢みたいなの、という言い回しには少々トゲを感じる。
「……キリストじゃあないが、神様だったことはあるぜ」
言わなくていいことが、口をついて出た。馬鹿にもせず、怯えもせずに聞いてくれる相手を目の前にすると、つい昔話をしたくなってしまう。甘えなのかもしれない。
「高矢が、神様?」
案の定、興味深そうなキラキラした瞳で覗き込んでくる。
「それって、前に話してくれた、陰陽師の式神だったってやつ?」
「いや、もう少し前だな。あんまり何度も生き返るんで、殺せないなら崇めとけ、ってことになったんだろ。とりあえず住める広さの祠に押し込められて、毎日供え物されてた。自由はなかったけど、まあ食うに困らなかったから、わりとマシな時代だったな」
かなり古い記憶だ。当時の民衆の顔も名前も、ほとんど思い出せない。米と酒はあった気がするが、他に食っていたのは何だったろうか。
ナナはへええ、と感心する。だったらさ、と、いたずらっぽい笑みで続けた。
「だったらさ、高矢、お願いごと、叶えられる?」
願いごと。途端に嫌な記憶が蘇ってきた。結局、俺を崇めてきた人間を、誰一人俺は救えなかった。怯えて集まってきた彼らと一緒に、なす術なく高波に飲まれてしまった。そうだ、そういえば、修道院のワイン蔵の時も。
「……すまん」
誰に謝っているのか、自分でもわからなかった。ナナは慌てて、あっごめん、冗談だから、と手のひらを振る。
「いいのいいの、宗教ってさ、あれじゃん、信じていれば救われるんだよ、意外と」
いや、あいつらは救われなかった。
「ほら、おみくじだってさ、いいの引けばそれだけで嬉しいじゃん? その時点で救われちゃってるし。悪いの引いてもさ、その場に縛ってきちゃえばちょっと安心できるよね」
今年も豊作でありますように。この子が無事に育ちますように。たくさん聞いた、祈りの言葉。俺は何もできなかった。何もできなかったが、感謝の言葉もたくさん聞いた。ただ飯を食らって、座っているだけの俺に、ありがとうございます、と。今年も無事に米が刈れました、この子はこんなに大きくなりました、と。
「……そういうもん、なのか……?」
「そういうもんじゃない?」
ナナはひょいと手を伸ばして、俺の弁当から煮豆を取って素早く口に放り込んだ。あ、と言いかけた俺に、抜群の笑顔を返す。
「考えてみれば今もさ、高矢は神様だよ」
俺が、今も? どういうことだ。
「居場所……かな。ここに来れば、高矢としょーもない話してダラダラ過ごせる、って御利益」
あはは、と笑って、ナナはコップに緑茶を注ぎ足した。
「はい、お供えー! これからも、よろしくね」
性的な目で見ない相手、と見くびられているだけかもしれない。でも今は、そんなナナが愛しく思えた。大学であまり友達ができていないようだし、最近両親が不仲だと言っていたのも気になるが、俺の部屋なんかで気が紛れるなら、好きに使えばいい。
「っていうかさ、高矢、私のお供えがないと生きてけないの、昔とあんま変わってなくない?」
う、と言葉に詰まる俺に、にや、とナナが笑う。今の愛しさ、撤回だ、撤回。
「バイト増やして金稼いでもいいが……この時間に会えなくなるぞ?」
あっ、やだウソウソ、それは勘弁! 大げさに手を合わせてみせるナナを見ながら、俺は供え物の緑茶をゆっくりと呷った。
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