17-箱

 これ見よがしなまでにゲルマン然とした顔立ちの乗組員たちの話を聞くために、ドイツ語に堪能な水谷が船内に派遣された。

 ドイツ降伏の報せが届いたちょうど一ヶ月後に、その船はひっそりと呉に入港した。国籍を窺えるものはすべて塗りつぶされていたが、形状からしてドイツのUボートであることは明らかだった。魚雷はすべて撃ち尽くし、船体にはいくつもの傷が刻まれていたが、深い亀裂にならなかったのは奇跡といえよう。

 遣独・遣日潜水艦作戦は何度か行われていたが、現状までの成果は決して芳しいとは言いがたい。日本に向かう途中の艦が米国艦に降伏し、二名の日本人技術者が自決したのも記憶に新しい。

 しかしこの船は、なんの取り決めも連絡もないまま、忽然と港に現れたのだった。海軍は当然警戒したが、救難信号を送ってきたこともあり、半ば拿捕するような形で港に係留することになった。米軍が拿捕した艦を使ってスパイ行為を働こうとしている可能性を論ずるものもあった。水谷自身、相手が本当に友軍の人間なのか、完全に信用したわけではなかった。


 乗組員の説明では、どうやら船は降伏直前に出国してきたらしい。ドイツ国内で研究されていた最新兵器を隠し持ってきたということだった。

「しかし、埒が明かんな」

 水谷は大きくため息をつく。最新兵器は最高機密で、乗組員たちですら積荷の内容はまったく把握していないという。船員全員を一旦拘束し、彼らが立ち入りを禁じられたと言う船底に向かうと、そこには大小さまざまな木箱が無造作に積まれていた。

「爆弾とか病原体ってこともありますからね。慎重に調べましょう」

 そう言って眼鏡をずりあげたのは林だ。ドイツ語には長けていないが、水谷が調査に入る際に選んできた、信頼の置ける部下だった。もしも罠なら、被害は最小限のほうがいい。そう判断して、調査は二名で行うことにした。

 暗い船底を懐中電灯片手に歩き回る。箱にはそれぞれ、ドイツ語の書かれた紙が貼られていた。

「氷結泥、不燃木材、永久銃……なんだこりゃ」

 ドイツ語といっても、半ば造語に近い意味内容のものが多い。箱を一つ一つ眺めていると、不意にドン、と鈍い音がした。

 水谷と林が同時に、咄嗟に音のしたほうを照らす。奥にぽつんと、大きめの箱があった。人が入るにはやや窮屈だが、しゃがみこめば裏に隠れられるほどのサイズだ。林が無言で、ピストルを構えた。

 ゆっくりと近づく。距離を半分くらい縮めたところで、ドン、ドン、とまた音がした。音と同時に箱がかすかに震えた気がする。二人は顔を見合わせた。

「あの箱……なんて書いてあるんです?」

「Reanimationspuppe……蘇生人形、ってとこか……」

 ドン、とまた箱が鳴った。誰かが箱を叩いているのは間違いなかった。おそらくは、それも、内側から。

「林……、入り口のとこに、鉄挺があったろ。取って来い」

 無言で走った林から、水谷はバールを受け取った。ぞくりと冷たい、気の進まない手触り。

「開けるんですか……?」

「撃つなよ、林」

 威嚇としては十分だが、狭い船内でピストルを発砲すれば跳弾がどこに飛ぶかわからない。内側から叩くような音がもし爆発音なら、火気そのものが厳禁だ。中身が敵なら、鉄のバールで殴り倒したほうがいい。

 箱の上部にバールの先を入れて、ぐいとこじ開ける。外から釘でしっかりと打ちつけてあるようだった。

「やっぱりやめましょうよ水谷さん。それ、おかしいですよ完全に」

 林の声はやや震えていて、水谷は小さく舌打ちする。貴様、それでも日本男児か、と一喝するのをぐっとこらえて、代わりに全体重をバールにかけて押し下げた。バリバリッと激しい音を立てて、箱の上部が大きく開いた。

 何か飛び出してくるか、と身構えたが、数秒たってもなにも起こらない。バールを構えて、水谷は恐る恐る箱の中を覗き込んだ。


 目が合ったのは、衰弱しきった瀕死の男。うずくまるような格好で箱に押し込められていた。ぼんやりと半分開いた目で、水谷たちを見上げている。何度箱を叩いたのか、両手の外側は腫れて血が滲んでいた。乾いて裂けた唇を震わせ、かすかに聞き取れる小さな音を発する。

「wasser……」

「……なんて言ってるんです?」

「水、だそうだ……」

 狐につままれたように、二人の軍人はしばらく箱の中を凝視し続けていた。

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