06-執事

 天蓋つきの広いベッドに沈み込むように、老婆が横たわっている。枕元に立つのは、東洋系の顔つきをした若い執事。年のころは二十四、五といったところだろうか。長めの黒髪を後ろに束ね、静かに佇んでいる。

「そこにいてくれたのね。よかった」

 老婆が薄く目を開け、つぶやく。

「お茶を、お持ちしましょうか」

「そうね、お願い」

 流暢なドイツ語。若い執事は目を上げると、入り口付近に控えるメイドに指で合図を送った。メイドは一礼し、紅茶をいれはじめる。熱いダージリンティー。

 紅茶が運ばれるのを見計らって、執事は老婆の上体を慣れた手つきでそっと起こした。老婆の視線が、窓の外にただよう。

「……雨ねぇ」

 たっぷりと砂糖を効かせた紅茶を一さじ、執事はスプーンで自分の口に運んだ。口の中で転がすようにして味を確かめる。老婆が頬のしわを緩ませて、上目遣いで執事を見た。

「あなたと出会ったのも、ちょうどこんな雨の日だったわねぇ?」

「覚えておいででしたか」

「忘れられるわけないでしょ。あなた、泥だらけの濡れ鼠でお城の裏庭にうずくまっていたんだから」

 執事が微笑み、毒見を終えた紅茶をそっと老婆に手渡す。

「あの日、陛下に拾っていただいたおかげで、私はまた人間として生きることができるようになったのです」

「私はまだほんの七歳だった。あの時は本当に驚いたのよ?」

「申し訳ありません。あの時は猛烈に、腹を減らしておりまして。……けれど陛下は、恐れることなく、獣だった私を受け入れてくださった」

 窓を打つ雨の音。陛下と呼ばれた老婆が口にする茶器には、豪奢な細工が施されている。

「あなたを化け物だ、なんて言う人は、きっと人間ってものを知らないのだわ。あなたほど人間らしい人間に、出会ったことがないもの」

「恐縮です。女王陛下にそう言っていただけると、救われます」

「いいわよ、こういう日は昔みたいに、ヴィクトリアで」

 十八歳で即位したイギリスの女王は、そう言うと少女のように無邪気に笑った。

「礼儀正しくて、何でも知っていて、戦う力を持っていて、老いることなくずっとそばにいてくれる。理想の執事だと思うわ、タカヤ」

「いえ、礼儀はあなたから教わったのですよ、ヴィクトリア姫。それに、私は何度死んでも生き返るだけの、ただの毒見です」

「おかげで、公の場に出してあげられないのが残念ね」

 そう言って、女王は夫を失ってからほとんど見せなくなった笑顔をまた浮かべるのだった。

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