空問答のピース・アット・ナイト

玉手箱つづら

1

 李舜くらいは芸能に疎い私でも知っている。顔だってなんとなくこういう感じ、というイメージくらいは思い浮かべられる。

 では今私の左でハンドルを切っている男のサングラスの奥にあるのが、本当にあの李舜の顔か、と問われると、正直まったく自信は持てないけれど。

 街の光が忙しなく顔の上を走っていてそもそもよく見えないし、私がギリギリ知っている顔は正面から見たものだけだから、こんな横顔では判別できない。

 カーステレオは気怠げなシティポップを流していて、知らない曲ばかりだが、しかし私の好みのど真ん中を突いてくる。CDショップでナンパしてくるだけのことはあるらしい。覚束ない夜のための歌。

「アー、音楽、どういう時に聴く?」

 何その質問、と訝る私を見もせずに、ハハ、とわざとらしく笑う。口の端に八重歯がチラッと覗く。

「構えなくていいよ。暇潰しの質問だから」

「……人といるのに暇なんだ」

「あれ、ニュアンス違った? 日本語難しいね」

 曲が止んで、新しい曲に切り替わる。倦怠と、裏付けのない希望の歌。

「私は、曲聴く時に何かを考えたり、効果を期待したりとかはしないけど……」

「うん」

「疲れてる時が多いかな、強いて言えば」

「アー」

「お風呂とか、ベッドとか……他になにもしたくない時に、だらーっと聞く、みたいな」

「ウーン」

 李舜は人差し指を伸ばし、自分の下唇をぷにぃ、ぷにぃと押して、何かを考え込む。

 私はというと、車内の暗さと夜の眠けとで自分自身がぼんやりするので、空っぽに似た心で隣の彼を眺めている。

「違うかも、しれないけど」

「うん」

「なにか、ワーッ!って叫びたいんだけど、叫んでもソレが晴れないことは分かってる、みたいな時?」

「うーん」

 どうなんだろう。すこし的確すぎるような気もする。

「眠ったら治ると分かってる、原因のない悲しみに捕まってる、みたいな時?」

「ううん」

 的確すぎて、私の心のほうが合わせにいってしまっているような違和感があって、ザラザラする。

 フロントガラス越しに見る街の光は、なんでもないものばかりを照らして走る。

 私は、自信もないのに、否定の言葉を口にする。

「もっと、何も考えないの。何も感じてないの。だって、疲れてるから」

 李舜が不思議そうな顔でこちらを見る。

「私は泥みたいになってて、でも眼鏡をかけたまま寝たくなくて、だから曲を流すの」

 記憶をたどって、数日前の晩の私を拾って、意味不明なそれを解釈していく。

 そうだ、私は眼鏡をかけたまま寝るのが嫌なんだ。

 本当に? そんなこと、どうでもよくないか。

 李舜の長くて形のいい指が、ハンドルの上で伸びたり縮んだりする。指が深呼吸をしているみたいでなんだかかわいい。

 曲が止む。新しい曲が流れる。

 私が選曲のセンスを褒めると、でしょ?と言って、嬉しそうに笑う。

「脱落した経験がある人の曲は、暗くても、優しいんだ」

「……へえ」

 それこそどうでもいいな、と思う。

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