No.1-3
強襲揚陸艦の扉が重く開き、私達の乗る上陸艇は出発した。濃い灰色の雲が空を覆い隠している。海上は荒れ、私達を含む兵士の乗った船は大きく揺れ、海に慣れていない兵士が船酔いと緊張で口から汚物を吐き出す。既に、地獄の門は開かれている。
今回の作戦は水陸両用作戦。敵国の海岸へ強襲揚陸を仕掛ける。敵が強固な要塞を構築している箇所を想定し、要塞から外れた場所へ上陸し敵兵力を誘引し、後に本隊が上陸。要塞と誘引した敵兵を包囲するのが作戦の最終目標だ。私達はこの作戦の先鋒、誘引を任されている。
船が母艦から離れるに従い、船上の兵士たちの緊張は頂点に達した。手を震わせる兵士、中身を全て吐き出し何もない胃液を吐き出し始める兵士。兵士の中でもとくに、船の先頭に配置された者は悲惨だった。敵の抵抗があった場合、いの一番に死ぬのが彼女たちだ。泣き出す先頭の兵士のヘルメットを殴りつけ、鬼の伍長は声を張り上げ私たちに最後の忠告を行う。
「上陸したら砂丘まで駆け上がれ! 運が良ければ弾が当たらずそこまで行けるから、そこで応戦しつつ隊長の指示を待つんだ!」
「弾に当たったらどうすればいいんですか!」
「自分の無事を神にでも祈ってろ!」
その言葉を聞いて、私は少し笑ってしまった。クローン兵士に神など居るものか。
「イーデン! 何がおかしい!」
「いえ! なんでもありません!」
私が模範的な答えを返すと、伍長は黙り込んだ。
「上陸作戦って言うと、オマハ? それとも硫黄島?」
隣の新兵は、縁起でもないことを言い出す。
「馬鹿。そこは仁川とかにしておきなさいよ」
私がそう注意すると、新兵は青い顔で唇を噛み、真っ直ぐ前を見つめ、口を閉じた。
彼女が上げた例は最悪の事例だが、確かに上陸作戦と言えば成功しても失敗しても損害が出るようなものばかりで、歴史上の成功例を漁っても、攻撃側の死亡数が少ないのは私の言った仁川上陸作戦ぐらいなものだった。
「十分以内に上陸だ! 覚悟を決めろ!」
伍長は、女とは思えない声を上げ、深くヘルメットを被った。私もそれにならい、自身のヘルメットの位置を確認した。既に砲撃は船のそばにまで届いており、先程からそこらじゅうで敵の砲弾が海面を打っては大きな水飛沫を上げている。
そうしてとうとう船は、沿岸へと辿り着く。上陸艇の先頭部分が口を開き、地獄は始まった。接岸と同時に銃声がそこかしこから轟いた。先頭の兵士たちは要塞から放たれた機関銃の弾丸にその身を貫かれ、身体から血飛沫と脂肪。頭から脳漿を吹き出して死んだ。
「海に飛び込め!」
伍長がそう言い切る前に、私は海へ飛び込む。水中は、戦場とは思えない程静かだったが、機関銃の弾丸が水の中まで打ち込まれ、水を切り裂くような音がすると同時に、海に飛び込んだ他の兵士たちの身体を静かに貫いていった。銃撃を受けずに済んだ運の良い兵士が、装備の重さに耐えかねて水底へと沈み、口から泡を吐いて溺れ死ぬ。
水を吸った重装備の重みは、まるで私を暗い水底に引きずり込もうとしているようだった。それでも私は底に沈んだ銃、死体を踏みつけながら、浜辺へと向かった。
陸には、上陸を妨害するために設置された三足の障害物が並べ立てられていた。その陰に隠れる生き残りの兵士たち。私もまたその後ろに隠れ、息を整える。
「おい、あんたら!」
私は、障害物に隠れる兵士たちに呼びかけた。
「今から手榴弾を投げる。それが爆発した後、私の後についてこい!」
私の声を聞いた兵士の一人が悲痛な叫びを上げる。
「突っ込んだらみんな死にます!」
「ここは全部敵の射線に入ってる。どこに居たって死ぬんだぞ!」
「私は嫌です! ここに居ます!」
「勝手にしろ臆病者! 他の奴らは私についてこい!」
また別の兵士が、私に叫ぶ。
「私達は生き残れますか!」
私は笑いながら、彼らに叫んだ。
「神より他に知る人はなし<God Only Knows>だ!」
手榴弾の安全ピンを抜き、真後ろに放り投げる。爆発に連鎖するかのように、地雷が炸裂していく。
「行くぞ!」
その手に銃を、頭にはヘルメットを、そして一絞りの勇気を持って、私達は飛び出した。身体も重く、障害物に前方を阻まれた私達は走ることも出来ず、歩くようにして銃火を潜り抜ける。砂浜には兵士の血肉が、死体が、砲弾が、打ち上げられた魚が転がっている。私が何を蹴ったかなどもう何も分からない。永遠に思えるような時間の中、私達は歩き続ける。そうしてようやく、目の前にあった友軍兵士たちの吹き溜まる窪みに飛び込んだその瞬間に、私は自身がようやく多少マシな死地に移動出来たのを理解した。
「空軍は? 海軍は? 戦車隊は? 工兵隊は? ここの指揮官は一体誰! 皆どこで何をしているというの!」
隣に居た兵士に、私は叫んだ。
「私達の乗っていた母船は沈みました! 戦車は遠洋で爆撃を受けて沈没! 工兵隊は生き残りも物資も残り僅か! 指揮官は上陸時に皆負傷! 空軍の支援を待つのみです!」
そこに居たのは、昨日私と一緒に月を見た、あの新兵だった。
「あんたたちの階級は?」
「今ここで指揮権を持つのはあなたです!」
「そう……空軍なんか待ってたら、来る前にみんなボロ布みたいになるわ。今ここで、私達だけでやるしかない」
「一体どうするって言うんですか」
「あなた、何か特技はある?」
新兵は口ごもって、何も答えない。しかし、その背中にある銃の装備から、大方察することは出来た。
「あなた、狙撃が出来るのね?」
「ですが、人を撃ったことはありません!」
「そう、なら今日が初めて人を撃った日になるわね。準備しなさい」
私が命令すると、新兵は手慣れた手つきで狙撃銃を撃つ準備を整えた。
「どこを狙いますか」
「スコープで覗いてみて。上に機関銃手が居るはずだわ。そいつを撃ちなさい」
スコープを覗き、狙いをつけた新兵は一向に撃とうとせず、その場で固まった。肌に貼り付いた砂の上を、玉のような汗が流れていた。
「どうしたの?」
「相手の、相手の顔が見えるんです!」
新兵はスコープを覗いたまま、震えていた。
「……それはね。人じゃないわ」
「え?」
「機関銃を使って弾を吐く虎よ。いずれ私達が死んだ後に、その死肉を貪る虎。決して人じゃない。それは偽りの姿よ」
「そ、そんなわけ」
「事実でしょう。あれを殺さなければ私達が死ぬ。撃てないなんて言わせない。人を撃ちたくないと言うのなら、そう思いなさい。軍隊ではそう考えた方が懸命よ」
新兵は、黙り込んだ。黙り込んだ末に、引き金を引いた。銃弾は命中し、機関銃手は倒れた。
「よし! そしたら突っ込むわよ! 皆着剣して私の後についてきて!」
「撃たれます!」
「馬鹿。撃たれないわよ! ここは防衛線の穴なの。あそこの機関銃以外に火砲が存在しない唯一の穴。だから、ここからトーチカの後ろにまわって制圧すれば、突破口が開けるかもしれない」
「開けなかったら?」
「今度は私達がトーチカに立てこもって援軍を待つのよ」
「それでも来なかったら?」
新兵達は皆、ここまでの悲惨な戦闘で消極的になっている。それはそれで仕方のないことだが、どの道消極的になったところで僅かしか存在しない生き残りの確率が限りなくゼロに近くなるだけだ。動く他ないことは、皆頭では理解しているだろう。
「良かったわね。みんな一緒に死ねるわよ」
私はそう言い捨て、自らの銃に剣を装着し、声を張り上げる。
「三秒以内に覚悟を決めなさい! 三! 二! 一!」
私は、音を切る銃弾の音と砲弾の弾ける音の響く小高い丘を駆け上った。自分の存在など気にかけず、トーチカの裏を目指し、言葉にならない叫びを上げながら、銃を手に持ち走り続ける。
トーチカ裏の塹壕に私は飛び込み、敵兵を刺す。後ろからも、味方のものとも敵のものとも分からない叫びと銃声が響く。この距離なら銃を使うより銃剣を使った方が圧倒的に早い。敵の腕の筋に狙いを定め、切り裂く。その後に頭を銃で撃つ。ただの人間であれば刺すだけで事足りるが、私達は脳の機能を停止させなければ死ねない。こうしてトドメを刺さなければゾンビよろしく銃を持って襲いかかってくるかもしれないのだ。
トーチカの入り口に辿り着いた時、全身に切り傷、銃創が出来ていた。それでも私は、生き残った。入り口からトーチカの中に入る前に、私は念を入れて中へ手榴弾を放り投げる。待ち伏せしていた敵兵たちの悲鳴が上がる。
ここまで来てようやく私は、他の部隊の隊員と接触することができた。
「イーデン上等兵。お疲れ様です」
その兵士もまた、全身に大量の傷を抱えている。一見するだけでは死体と区別がつかない。きっと私も、同じような状態になっていることだろう。
「そっちの指揮官を教えて」
「はい。アリス・ハーヴェイ大尉であります」
「なら、そちらの指揮に入るわ。こっちの指揮官は私なの。残った兵士をまとめたら、どこに行けばいい?」
「は。ここの後方三〇〇メートル付近で未だ戦闘中であります。そちらで合流していただきたく」
「了解。報告ありがと」
海岸から歩き出した時の兵士の数は十三人。砂浜の窪みの時には二十人居た兵士も、このトーチカの戦いが終わった今ではたった六人だけになっていた。その中には、昨日の新兵も居る。
「腕……腕は? 私の腕は?」
虚ろな目で、積み重なる死体の山を漁る新兵の姿がそこにはあった。彼女の左腕は、肩の先から綺麗に失われている。
「ねえ、あなた」
私が声をかけると、新兵はその伽藍堂な瞳で私を見た。
「イーデン上等兵。私の腕、どこにあるか知りませんか?」
「知らないわ」
「そうですか。じゃあ、探さないと……」
傷口からは骨が見えているが、既に血は止まっていた。私達の身体は、そういう風に出来ているのだ。
「行くわよ」
「行くって……どこにですか?」
「まだ戦闘は続いてるの。こんなところで休んでいる暇はないわ」
「私の腕はどうなるんですか!」
「その傷なら新しい腕をつけてもらえるわよ。それに、あなたはまだ兵数の一人として数えられている。次の戦場で戦う義務が、あなたにはまだあるわ」
言って、私は彼女の残された右腕を引き、次の戦場へと導く。彼女はその空虚な目のまま、自らの失われた腕のことをずっと呟いていた。
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