3-7話 ディーヴォ

「やっと捉えたぞ、魔女め」

 早駆けしながら言うトマソン。その拳に、まばゆいばかりの輝きを纏わせながら。

 その標的であるところの吹き飛ばされたレナは、素早く身を起こすと帯びていた剣を抜き急襲に備える。アルカディアは、その背に匿われる格好となる。

 しかしアルカディアの目から見ても、先の一撃がとてつもなく効いている事は明らかだった。超然とした表情しか知らない蒼血啜りの口の端からは、真っ赤な血液が……つぅ、と垂れていて、苦悶の表情。

 苦悶。あるいはそれは、憤りかも知れなかった。次にレナがこう言ったからだ。

「貴様……よりにもよって今。その蛮勇の代償、命を以て贖え……!」

「そっくりそのまま返すぞ魔女め。数々あった異端の業の罪、その鮮血で濯ぐが良い!」

 二人が一合打ち合う。拳と剣、本来であれば勝敗を決することすら無意味な二つが交錯する。まるで金物同士が打ち合ったかのような、火花を散らすほどの甲高い音。力負けしたのは、レナの方だ。僅かに後ずさる。剣を持つ手が痺れるほどの衝撃。思わず取り落としそうになるが、辛うじて持ちこたえる。

 その隙を見逃すトマソンではない。ついで放たれる左の拳もまた、目もくらむような光輝を放っている。もう一合の打ち合い。またもトマソンが有利だ。レナは剣を把持することに精一杯で、攻勢に回る余裕が全くない。死闘と呼ぶよりも、私刑と呼ぶ方が適切に思えてくる状況だった。

 三週間と少し前のあの日、庭でトマソンと対峙したときのレナであったなら、ここまでの苦戦は強いられなかっただろう。黒の塔における三週間の幽閉が、レナの力をここまで削いでいたのだった。

「どうした、魔女……! ついにおとなしく神判を頂戴する気になったか」

「ぬかせ、若造っ……少しは腕を上げたようだが、たかだか三週間ぽっち積み上げた研鑽で、このあたしを越えられると思うなよ」

 言うなり、レナは背後に距離を取る。そして大ぶりの一撃を首元へ振り下ろす。剣閃は鋭く、的確。命を絶ちきるのに必要十分なもの。しかしトマソンはその一撃を難なくいなしてみせる。その左手で、剣をつかみ取ることによって。

「生きた長さはそのまま記憶の妄執となるか……道理だな」

 レナは剣を引こうとするが、なんという握力か。どんなに力を込めても微動だにしない。その隙を突いて、再び必殺の右拳が飛ぶ。苦渋の決断。レナは剣を手放して後ろに飛びそれを躱す。

「だが無意味だ、時間など。私ほど主を愛した人間など、他にいないのだから!」

 次の瞬間には、レナの愛剣はトマソンの手によって、無惨にも飴細工のように曲げられ、放り捨てられてしまっていた。

「勝負あったか? 魔女」

 トマソンは勝ち誇った顔をして、レナに一歩一歩迫る。

 拳の間合いまで、あと幾ばくも無い。

 しかしレナはレナで、絶望に打ちひしがれているばかりではない。手のひらにはいつの間にかどす黒い赤色をした手斧が握られている。静脈血の滴り。吸血鬼狩りがその身に宿す刃、血刃であった。

 トマソンは相手がまだやりあう気であることを見て取った。すると彼は、にやりと笑ったのだった。

「どうにもならない状況に、貴様でも足掻くことがあるのだな……あるのだなぁ? 魔女よ」

「同じ狂ったもの同士、譲れない線があるのはわかるだろうがよ」

「同じ? 馬鹿にするな。私のそれは信仰の賜だ。……不愉快だ、消えろ。蒼血啜りの魔女」

「そっくりそのまま返すよ。

 振りかぶられる拳。しかしそれがレナに届くことはなかった。

 トマソンの胸からは、合計五本の蒼炎が体を突き破って燃え上がっていた。肉の焼結される嫌な臭いがあたりに充満する。トマソンは真っ赤な血を吐く。血の泡が口の端に浮かんでは、垂れて顎を伝い落ちる。苦しそうな呼吸が、がひゅ、と最後に一度血の泡と共に吐き出された後、トマソンの体は力を失って、炎剣にぶら下がる形となる。

 助けに入ったのは、合計6体のイロナだった。五体がトマソンを刺し、もう一体がレナに素早く駆け寄る。

「お嬢様……申し訳ありません。力及ばず」

「構わんよ。一発もらっただけだ、かすり傷さね。一日もしないうちに元通りになるさ」

「一日……かかりますか。それではいけませんね。私どもがお守り致しますので、どうぞ必殺の一撃のご用意を」

「なにを言っている? 奴は今、お前たちが」

 そう言いかけて、レナは目を剥く。

 力の失われたトマソンの拳から、光が生じていた。

「お嬢様。嘆かわしいことですが」

 五体のイロナが剣を引く。トマソンの体が崩れ落ちる、そのはずだが……彼、否、もはやそれは膝立ちに堪えた。

 焼かれたはずの胸の傷は、みるみるうちに元通りの肌色に戻っていく。

 白目を剥いていた瞳が、ぐるりと回って光を取り戻す。

 トマソンは、生きている。

「嘆かわしいことですが……あれを私どもが殺すことは叶いません。何故ならあれはすでに」

「そうとも、化生ごときが俺を殺せるわけがない。なぜなら俺は」

 イロナとトマソン。二人の声が同時に、レナの耳を塞ぐ。

「狂信の化身……あなた様と同じ不死者になってしまわれた」

「完全な主の加護を得たのだから! 世界の理と俺は同一になった! 故に……ッ!」

 もはや完全に力を取り戻したトマソンは、拳を強く打ち合わせる。するとまばゆいばかりの閃光が衝突点から生じ、回廊を包み込んだ。イロナの短い悲鳴が聞こえた。閃光は一瞬で消え去った。あとに残っていたのはトマソンだけ。側に仕えていたイロナも、どこにもいない。

「道理で邪視も効かないわけだ……うちのイロナを、ただの一撃で六人も殺ったのかい」

「痴れ言を。屋敷幽霊ごときがいくら出てこようが同じ事だ。俺は、魔女レナ・ブラッドペリ……! お前を滅ぼすために!」

 トマソンが拳闘の構えをとる。

 レナは応じて、自らの血で鍛えあげた斧を……霧散させる。血の霧が立ち上り、消える。

「そうかい。うちのイロナを何人も、殺ってくれたのかい」

「なんのつもりだ。命乞いなら聞かんぞ」

「じゃあこれなら聞いてくれるのかい。”ぶっ殺してやる。よくもやってくれたな”」

 レナの語勢は決して強くはない。平時の彼女とほぼ変わりない……しかしその一言は、トマソンという一人の狂人を瞬間、縛り付けるだけの力を持っていた。

 そしてその一瞬こそが、レナにとって必要だった。彼女の切り札を顕現させるための、僅かな隙。

 それは白銀の大鎌。刃先は長く、レナの背丈ほどある柄と同じほどの長さ。僅かに柄の方に向かって湾曲し、滑らかな曲線を描いている。蝋燭の光を受けて、僅かに輝く。

「頼むよ、”ディーヴォ”……永久を生きる様な、可哀想なやつばらに」

 トマソンが駆け出す。

「何を出そうが同じ事……! 滅せよ! レナ・ブラッドペリ!」


「今与えたまえ……永久の別れを」


 交錯。拳の間合いにて打ち合った二人。トマソンが放った渾身一撃を柄の真ん中で受けて、レナが僅かに後ずさる。

 驚いたのはトマソンだった。こんな、枯れ木を思わせるような太さの棒きれ一本、粉砕されて然るべきなのだ。それをレナは平然と受け止めて……あまつさえ笑みを見せる余裕まであったのだ。

 発憤するトマソン。次いで左拳を繰り出そうと右手を引く。その時だった。レナの嘲笑が何を指し示していたのか、知ることになったのは。

 柄に触れたその部分。拳の一番尖った場所。そこが真っ赤に焼けただれていたのである。

「……なに?」

 一瞬狼狽えるトマソン。その隙を突いてレナは油断なく大鎌の間合いに距離を取り、命を刈り取る一振りを繰り出す。

 卓越した技能により、すさまじい速度で繰り出されるその一撃。しかし今のトマソンにはそれすらも時間が伸張されたかのようにゆっくりと見えている。闘争と、それから主への信心を履行しているのだという興奮がそうさせるのだ。

 払うべきか、避けるべきか……トマソンは逡巡しない。つねに攻勢をとる男だった。振り下ろされる大鎌の側面を左拳で打ち払い、残る右で無防備なレナの体に必殺の拳をたたき込む……考えるよりも先に体が動いていた。大きく潜り込むトマソン。そして盾となる左の一撃を放つ。

「……うぐッ!?」

 レナの鎌を弾くことには成功した。しかし猛烈な痛みを覚え、今度はトマソンの方から鎌の間合いの更に外へと後ずさる。

 確かに茎を捉えたはずだった。その左拳が、右拳とおなじように真っ赤に焼けただれているのだった。更にトマソンを驚愕させたのが、その流れで見た右拳の方だった。未だに傷が治癒していない……完全なる主のご加護を賜ったこの体に、傷が付いている!

「何をした、魔女め」

 息を荒げながらトマソンは問う。

「答えてやる義理があるのかい。知ってどうするんだい。異端の技だよ」

「それも道理だ。だが俺には知る義務がある。主のご加護を賜ったこの体に、傷をつける外法があるとするなら……俺はそれを滅さなければらならない。お前を血みどろになるまで殴打して聞き出しても良いのだが」

 レナが含み笑いする。

「主のご加護……ねぇ」

「何が可笑しい」

「いいや。修道士が不死者、だなんてね。面白いと思っただけさ。お望み通り教えてやるよ、こいつがなんなのか」

 レナは鎌の峰をそっと撫でて、言う。

「その身を以て、ね」











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