レナ・ブラッドペリの姉

瑞田多理

プロローグ

「……! おい、起きろ、見ろ! あれを、あのどす黒い臙脂色をしたローブ!」

「んぁ……っ! おいおい冗談だろ。帰ってきやがった。レナ・ブラッドペリが帰ってきたってのか?」

「見間違いようが無いだろ、あんなババアがこの世に二人といて堪るもんか。暖炉の灰を集めたような白髪」

「まるで白樺の枝のような痩躯」

「そして何より……ああ、あの目だ。この世の魔性を全て射殺してやるってでも言いたげな……なんて恐ろしく鋭い紅の眼光だ」

「最後に旅に出てから、どれだけ経った?」

「覚えちゃいねぇが、男やもめだった俺に娘が生まれたくらい昔だ。とっくにどこかでくたばっちまってるもんだと思ってたが」

「ああ、だが、帰ってきた。――見ろ、なにか持ってるぞ」

「引きずってやがるな。聖織布を贅沢にずだ袋なんかにしくさって……中身は何だ?」

「見たか? あの袋、動いたぞ!」

「見間違いじゃないのか……? ――本当だ、もがいてやがる」

「ああ……本当に厄介事ばかり持ち込みやがる、あの魔女は」

「アレを街に入れるのは気が引けるが」

「ああ、だが、俺たちだって命は惜しいさ。開門は俺がやる。お前は領中に言って回ってこい」

「分かった。”レナ・ブラッドペリが帰ってきた”」

「”女子どもは家の中へ。戸締まりをして外を見るな”」

「「”あの魔女に、捕まっちまわないように……!”」」



 畏怖と嫌悪の入り交じった眼差しが、矢のように降り注ぐ中を進む壮齢の女。今にも折れそうな痩躯とは裏腹に、その歩みは手にしたずだ袋を難なく引きずるほどに力強い。

 彼女の名はレナ・ブラッドペリ。南領はもちろんのこと、大陸全土に轟くその名は、良名も、悪名も知らぬ者はいない。

 この世のありとあらゆる魔性を、狩って殺す。

 狼男を。幽鬼を。氷精を。屍人を。


 そして、吸血鬼を。


 人呼んで白腕の守護剣士。白樺の精。白雪の魔術師。

 人呼んで鮮血の辻風。血に飢えた枯れ枝。血涙の魔女。

 レナ・ブラッドペリ。彼女の生業はそのように語り継がれる。

 この世に生じた魔なるものを、見つけては鏖殺する彼女の執心に、いつしか民草の間から名が付いた。

 そのあまりにも執拗な執着と、まるでそれを求めなければ生きて行かれないかのような切迫した態度から――――『蒼血啜りの』と。


 そうして今宵、蒼血啜りのレナ・ブラッドペリが帰ってきた。

 獲物をひっさげて、帰ってきた。

 家屋の中で震えている、無辜の領民達は怯えていた。

 恐ろしい蒼血啜りに対してだろうか? 違う。

 ずだ袋の中にいる魔性のものに対して、だろうか? 違う。


 魔性の物がこれから受ける、魔よりも魔なる所業に対して、だ。


 領民は皆知っている。

 なにを?

 口をつぐんでいるだけで皆知っている。知っているから口をつぐんでいる。


 レナ・ブラッドペリが獲物を抱えて帰った後――その居城から響き渡る悲鳴が、なんと恐ろしいことかを。 

 これより始まるは魔女の狂宴。魔性をいたぶり尽して踊り狂う、魔女の狂宴なのだ。

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