第9話
そして次の土曜日。
さっそく初めて妹に会う日になった。
由美さんと一緒にタクシーに乗り目的地へと向かう途中。
「あの、由美さん。私たちどこに行くんですか?」
「そうね、それはつけば分かるよ」
「……はぁ」
由美さんは微笑みながら答えた。
その微笑みは作り笑いだと、子供の俺にも見抜ける。今日の由美さんは朝から不安気味に見えるのだ。
俺も由美さんと同じく、タクシーに乗っていたら緊張し始めた。見たことのない妹に初めて会うもの、それくらいは当然だと思う。
それに、不安要素はもう一つある。
「あの、由美さん」
「はい?」
「そこに、母もいますか?」
母がいるかどうかはとても気になる。
「ううん、秋穂はいないの。だから安心して」
「そうなんですか」
少し安堵した。もし母がいれば俺は多分すぐ逃げてしまうかもしれない。だから彼女に会わない方がいいに違いないと思う。
けれど、少し違和感を覚えた。母がいないということはつまり……
「また自分の子供を捨てたんですか!」
「……ソウくん」
あの女はまた自分の子供を捨てたってことだ。
「やっぱり許しません」
「ソウくん、それは違うの。あなたも和音も捨てられたなんてわけないわよ」
「じゃあ、どうして親としての責任を取ってくれないんですか?」
車内にいるにもかかわらず、叫んでしまった。運転手は少しびっくりしたようで横目で見てくる。
そんな泣き出しそうな俺の頭に由美さんは優しく撫でた。
「まあ、いろいろあるから。ソウくんにも和音にも」
「……カズネ?」
「妹の名前。奏佑に和音、なかなかいいセンスでしょ」
「うん」
俺は頷いた。
本当は、センスがいいかどうかは知らないけれど。好きなわけでもないし嫌いでもない。
「こんな素敵な名前を二人につけたのは秋穂なのよ。言いたいこと分かる?」
「ううん」
「秋穂はソウくんのことも和音のことも大好きってことよ。お腹に10ヶ月も抱えてたもの、嫌うなんてありえないわ」
首を横に振った俺に由美さんはそう教えてくれた。その言葉に俺は反論できなかった。
俺にとって由美さんは超人のような憧れ。仕事と家庭を両立させているところか、すべてのことも完璧にこなせて、知らないことはないような超絶な存在。世界で一番頼れる人だ。
教えてくれないことはあるけれど、俺に嘘をついたことはない。
それに、俺の観察からすれば親は大抵子供を大事にする生き物だ。由美さんはもちろん、友達の親も同じく子供を自分の宝物として心に抱く。
だから余計に迷う。どうして俺だけが違うの?
そんなことを考えているうちにタクシーは目的地に着いた。
二人ともタクシーを降り、目に入ったのは巨大な建物。
「病院?」
戸惑いながら由美さんの背中について行く。エレベータで最上階まで上がり、一番奥の部屋に着いた。
由美さんは先に医者さんと看護師に挨拶し、遅れて俺もお辞儀をする。由美さんが医者さんと少々お話をした後、看護師さんは病室のドアを開けてくれた。
好奇心に勝てず俺はこっそり中を覗き込む。
真っ白だった。部屋も頭も。
白い空間のような病室の真ん中に置かれたベッドがひときわ目立つ。いや、目立つのは恐らくベッドの上で寝ている一人の女の子だっただろう。
「……」
鳥肌が立ってしまった。
怖い。とにかく怖い。
「ソウくん、手を」
由美さんにバレたのか、彼女は手を繋いでくれた。
「行くわよ」
「……うん」
恐る恐る由美さんの後ろを歩く。少しずつベッドの方に近づくと女の子の姿がはっきり見えてきた。
その時俺は人生で一番のショックを受けたからもしれない。
体は思った以上小柄で顔は血色ないくらい青白い。足手はあまりにも細すぎで骨が浮き出て見えるほどガリガリ。まるで死んでいる。生きている証は医療機器から響く無機質な音しかなかった。
「……どうして?」
じんわりと泣き出した。そんな惨状を目の前にして泣かずにいられるわけがない。
「和音ちゃんは生まれた時からずっとこんな感じなの。植物状態のまま最近五歳の誕生日を迎えたわ」
悲しいながらも、由美さんは俺に気を遣っていて優しい口調でそう教えてくれた。なのに、彼女の思いやりに俺は応えられず涙をこぼし続けた。
「ごめんなさい。知る権利あるのに、ずっと内緒にしてて……本当にごめんなさい」
そんな俺を由美さんは自分の胸に抱き寄せた。何度も何度も俺の頭を優しく撫でた。何度も何度も「ごめんなさい」って謝った。
けれど、涙は止まらない。
悲しい。悲しい限りだ。
腹いせに誰かをののしりたいくらいに。
誰かのせいではないと知りながらも誰かのせいにしたいくらいに。
「ううん、由美さんは悪くないです」
しかし、由美さんには責任なんてない。彼女を嫌うなんてできない。
「すべでは私のためなんでしょ?」
目の端で和音の方を見る。
俺は母に捨てられた。和音も俺と同じく母に捨てられた。
すべては子供を産んだのに責任を取らない母のせいだ。
母が取らなかった責任は誰が取るべきなのかを少し考えたら、答えが出た。
その責任は息子である俺が取らなければならない。
「由美さん、一つお願いがあります」
「ええ?」
由美さんはびっくりした。それは当然のことだと思う。
だって由美さんにおねだりをしたのは初めてだ。
「これからもお見舞いに来ていいんですか?」
「うん、いいよ」
由美さんは頷いてくれた。
その時俺は決めた。
俺は見守りたい。
捨てられて一人で戦っている彼女のことを見守りたい。
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