養父になる日



 俺の名前はマルコス。

 人間大陸の北東に位置する『ダ・マール』という国で騎士をしている。

『ダ・マール』は王や皇帝がおらず、政治を司る十六人の元老院と司法を司る三人の神官、軍事を司る四人の騎士団団長によって構成された、いわゆる民主主義の国。

 人間を最優秀種とする『エデサ・クーラ』帝国と亜人の大陸の自治権を守るために同盟を組み、戦っている。

『エデサ・クーラ』は東南にある複数の国を従属とした帝国。

 先に言った通り人間大陸を統一して西の亜人大陸を蹂躙し、人間こそ至上の種族であると知らしめることを掲げる過激な国だ。

 俺の身を寄せた『ダ・マール』は協和を掲げ、亜人大陸の中でも人に比較的友好な種族と同盟を結び『エデサ・クーラ』に抵抗を続けているというわけだな。

 実際、そういう国は少なくない。

 連中は「人間大陸の統一」も目的の一つだ。

 一致団結して、奴らの野望を阻止したいってことだ。

 俺は『ダ・マール』の協和思想に惹かれて、この国の騎士団に入った。

 騎士学校在学中、町で出会ったケルトという美しい娘と結婚して子供ももうけることが出来たし、騎士学校じゃあ一番の成績で卒業!

 出世もトントン拍子……と、実に順風満帆の二十代。

 しかし、三十になる頃には戦争は激化し、俺は遠征が増えた。

 家に戻る度に妻と娘は冷たい目で俺を見るようになり、会話もろくにできない。

 何を話せばいいのか分からないんだ。

 血生臭い戦場の話や、隊の連中とする下ネタなんて聞かせられるわけないだろう?

 町の様子を聞いてみても、ほとんど離れて居ない町の事情なんて聞いて分かるわけがない。

 こうして会話は減り、妻と娘は俺に無言で飯を差し出し、部屋に引っ込んじまう。

 なんとかしたいと思いつつ、なんとかする前に次の遠征。

 何度目かの遠征帰り、これまでの功績で副団長に任命された!

 これで妻と娘も俺を見直す!

 副団長だぞ、副団長!

 いいか? 軍事を司るのは四人の騎士団団長!

 その一人の、直属の部下! 副団長だ!

 これはもうこの国トップの一人にあと一歩という快挙! 大出世というわけだ!

 なあ、分かるだろう!?

 俺は命懸けで戦い抜き、ついにここまで来たんだ!


「ケルト! ナコナ! ただいま! なあ、聞いてくれ! 俺…………」


 家に帰ると灯りはついておらずテーブルの上には『実家に帰る。さようなら』と書かれた手紙と離婚届。

 おお、ダ・マールの神よ……。



 俺はどこで間違えてしまったのだろう…………?







「マルコス副団長!」



 部下、ギルディアスの声にハッとした時には敵の剣が振り下ろされているところだった。

 以前なら避けられた。

 だが、俺は正直なんのために戦っているのかがわからなくなっていたのだ。

 国のため?

 いや、俺は妻や娘がいるあの国のために戦ってきた。

 しかし妻も娘も俺を捨てていなくなっちまった。

 俺ァ、なんのために………。

 迷っていたら、剣は盾を弾き、次の二撃目で俺は剣を持つ腕を肘から下……吹き飛ばされた。


 終わった。

 俺の騎士生命は、この瞬間に。

 だが、なぜだろう……安心もしていた。

 もう戦わなくていいのだと。

 俺は疲れていたんだな…………ああ……疲れた……。



「副団長!」


 敵をギルディアスが仕留める。

 他の騎士たちが、腕を飛ばされた痛みと戦わなくていい安堵感から気を飛ばした俺を担いで運んでくれた。

 前に出すぎたのはミスだ。

 団長に申し訳ないと思いつつ、その戦いは辛くも勝利したらしい。

 俺はその場にいなかったが、救護テントの中で団長に「勝ったぞ」と一言……告げられて「そうですか」と返すのにいっぱいいっぱいだった。

 同時に、ディールブルー団長が無表情のまま「実家は確か、ロフォーラ山の麓の宿屋だったな? 手続きはしておくから、実家に帰って余生をゆっくり過ごすといい」と、淡々と告げていく。

 ……彼なりの別れの言葉と、これまでの労(ねぎら)い、感謝、団長としての苦渋……様々なものが詰まっていたように感じる。


「ありがとう、ディール。悪いな、こんな形で……」

「構わん。だが、勲章や褒賞は与えられる。退職金もな。傷が癒えたら一度『ダ・マール』に来い。馬車はデカイのを雇え。……お前の褒賞金と退職金は少なくともお前の親共々しばらく遊んで暮らせる額になるだろうからな」

「治療費で半分くらい消えそうだけどなぁ」

「馬鹿か。それもこちらで払う。医者にかかったら治療費は『ダ・マール』に請求するようにしろ。国が払わなくても俺が払ってやる」

「…………そこまで面倒かけられねぇよ、馬鹿野郎」

「本当なら事務仕事に専念しろと言いたいんだがな……」

「無理だな。……こりゃ利き腕だ」


 顳顬(こめかみ)を押さえるディールは本気で俺の退団を残念に思っているのだろう。

 彼の立場上、政敵もいれば理想や志を共にした戦友は俺を含めてそれほど多くない。

 味方が一人減るのは、痛手なのだ。


「悪いな……ディールブルー。それでも、離れていても……俺はお前の戦友(とも)のままだ。それだけは約束する。俺になにができるか分からないが、なにかあったら頼ってくれ」

「……馬鹿野郎は、お前だ……! そんな腕で……‼︎」



 これが俺の失う、最後の一人であればいいと……切に祈りながら俺は戦線を離脱することになった。

 同じく怪我で戦えない者は『ダ・マール』行きの馬車に詰め込まれて出発する。

 さらばだ、ディールブルー。

 我が、無二の戦友よ。

 お前との戦場は俺にとってかけがえのないものだった。

 それだけは本当だ、どうか信じて欲しい。


「副団長、傷は痛みますか? お水は……」

「痛み止めが効いている。大丈夫だよ。ただ、なあ? ギルディアス、俺はもう副団長じゃあねぇ。ただのマルコスに戻っちまったんだ。副団長はやめてくれ」

「お断りします。まだ副団長の退団手続きはなされていないではありませんか! それに、自分にとっての副団長はマルコス副団長だけです!」

「ギルディアス……」


 才能のある若い騎士にこうまで言われちまうとくすぐったいったらねぇ。

 感謝するべきなのか、その真っ直ぐな眼差しをやめてくれと懇願すべきなのか……。

 俺は妻と娘を失って、無二の戦友を裏切るような戦いをした男だ。

 騎士にあるまじき行為だろう。

 俺が誓った騎士の忠誠は、一体どこへいっちまったのか……ああ、情けねぇ。


「ギルディアス、俺はロフォーラ山の麓の湖脇に実家がある。そこで降りるが、聞いているか?」

「はい、そちらの宿屋が副団長のご実家なのですよね。……退団後はそちらで生計を立てられるのですか?」

「そのつもりだ。親もいい加減ジジババになっちまったからな。最後に親孝行するさ。……まあ、こんな腕じゃ畑作ったり魚釣ったりくれぇしかできねぇかもしれねぇな。ああ、掃除もできるか? うーん、箒くらいなら左だけでも……?」

「……やる事が多そうですね。『ダ・マール』に来られたら、義手の技師に相談してみてはどうでしょうか?」

「義手か……そうだな、期待はできないが、多少はましかもしれん。そうしてみるよ」


 ……妻と娘がいたら、引き連れて親の宿屋を一緒にやるのも面白そうだったな。

 そんな叶わぬ夢を想像しながら、自嘲して馬車の外を見る。

 馬車の中は呻き声で満ちていて、外の景色は後ろの馬車で遮られていた。

 時折聞こえる小鳥の声が唯一の慰めか。

 あっけないもんだ。

 俺の人生は……。


「わあ!」

「!」


 ガタン!

 大きく馬車が揺れ、馬の嘶(いなな)きと御者の悲鳴に思わずギルディアスと共に馬車から飛び降りる。

 腰の剣に右手を付けようとしてハッとした。

 ……もう、俺の右手は——!


「どうしたのだ!」

「獣です! 巨大な獣が!」

「なんだと! 魔物か⁉︎」

「ギルディアス、他の護衛兵を集めろ! 馬車は全車停止! 動ける者は後方を警戒! 獣型なら一頭ではないはずだ!」

「はい!」


 ……それでもやれるこたならあるはずだ!

 ギルディアスに人を集めさせ、最前の馬車へ向かう。

 魔物だとしたら——厄介だ!

 あれはただの獣ではない。

 魔物は、大昔に一度だけ現れた邪竜の魔力で穢れた獣や人間の末裔。

『原始罪(カスラ)』と呼ばれる、悪意の塊をその身に宿す化け物。

 それを癒す力はこの世にないと言われ、倒せば『原始罪(カスラ)』は周囲に撒き散らされてそれを吸った者は等しく魔物に姿を変える。

 つまり、倒してはならないのだ。

 倒せば倒した者も、その周囲にいる者も全て魔物に変わる!

 しかし魔物は生き物を見れば無遠慮に襲ってくる……ある程度弱らせて、撃退するしか道はない。


「! ……あいつがそうか!」

「で、でかい!」


 先頭の馬車の前には黒い獣がいた。

 でかい……思っていた以上だ。

 三本の尾を揺らし、目を細めてこちらを窺っている。

 ……これは、違うな……。


「副団長、どうしますか。魔法を使える者で攻撃を——」

「いや、あれは魔物じゃない。……ただの獣というわけでもなさそうだが……魔物ならとっくに襲いかかってきている」

「! では、あれは……?」

「わからん。俺も初めて見る生き物だ……まさか、幻獣かなにか、か?」

「幻獣ですか? まさか?」


 幻獣——。

 西に獣人、エルフ、ドワーフ、コボルト、蜥蜴人(リザードマン)などの亜人が住む亜人大陸があるが、その反対の真東に竜やペガサス、グリフォンなどの幻獣が住む幻獣大陸がある。

 やつらは本来そこに住んでいて、俺たち人間の中でも命知らずな冒険者くらいしかその大陸には行かない。

『エデサ・クーラ』はいつか幻獣大陸も手中に収めんと目論んでいるようだが、竜なんかとどうやって戦う気なんだか。

 なんにしても、こりゃウルフ系の肉食獣とはまた違う。

 体がでかすぎる。

 それに知性を感じる。

 こちらの様子を眺めて出方を窺っているのだ。

 逃げないところを見ると……なにか欲しいのか?


「お前たちはここを離れるな。仲間がいるかもしれない、四方の警戒を怠るなよ」

「副団長はどうされるのですか!」

「幻獣なら言葉が通じるはずだ」

「そんな危険です!」

「いいから! ……これからはお前らがディールを支える側になるんだ! ……頼んだぞ」

「副団長……っ」


 一歩、また一歩、近づく。

 奴が立ち入りを許さない間合いを探り、剣は腰に戻して戦う意思がないことを伝える。

 幻獣なら、伝わるはずだ。

 彼らは人間以上の知性を持つと言われているからな。


「あー、俺はマルコスという元騎士だ。腕をやっちまってな。……お役御免になったただのおっさんだ。えー……あんたの名前を聞いてもいいかい? 見たところ幻獣のようだが」


 声をかけてみる。

 さぁて、答えてくれるかね?


『……………………』


 クイ、と顎を右側に動かして、俺を見据えた。

 これは! マジで応えた! 幻獣だ! ほ、本物だ!

 なんてことだ、伝説の存在と……出会う日がくるなんて!


「⁉︎」


 タッ、とひとっ飛びで数メートル先に着地し、そしてまた、俺を見据える。

 同じ方向に首を動かし、今度は座ってこちらを眺めるあの仕草は……ついてこい、と言っているのか?

 なんてこった、信じられねぇ!


「……ギルディアス、ついてこいと言ってるようだ。車列を頼むぜ」

「自分も行きます! 副団長お一人では!」

「いや、あれは幻獣だ。間違いない。……こちらの言葉を理解している。無駄に刺激すれば攻撃されるかもしれん」

「う……」


 幻獣はこの世界の頂点だ。

 竜を筆頭に、幻獣と括られる生き物は全て魔物よりも強いと言われる。

 そんなものを相手に怪我人九割の状況で戦闘なんて行えるわけがない。

 秒で負ける自信がある。

 獣の方へと駆け寄ると、一定間隔で駆け、俺が追いつくのを待つ。

 やはり、俺を誘っている。

 一体俺をどうするつもりなのだろう。

 食われるのか?

 しかし、幻獣が他の生き物を食った話は聞かねぇ。


「ん?」


 黒い獣が立ち止まったのは一本の巨木の下だ。

 そこには淡いクリーム色の卵型の小箱が落ちている。

 獣はそれに鼻を近づけてから、俺を見て……そして少し離れた場所に腰を下ろした。

 あの小箱に、なにかあるのか?

 恐る恐る近づいて、中身を覗き込むと…………お、おい、おいおい!?


「なっ、…………あ、赤ん坊!?」

『アオーーーン!』

「あ!」


 ひと鳴きすると、その瞬間獣は姿を消した。

 幻獣とは言ったもので、本当に幻でも見たかのようだ。

 残されたのは穏やかな風に揺られ、優しい葉音を立てる巨木と小箱に入った赤ん坊……そして右手と全てを失った……俺。

 何故だろう、腰から下の力が全て抜けた。

 手を付くと箱の中身がよく見える。

 毛も生え揃ってない、歯も生えていない赤ん坊がすやすやと眠っていた。

 あの獣はこの子を俺に預けるためにここへ誘ったのか。

 あの獣は…………この赤ん坊は一体?


「捨て子……なのか?」


 ……興味本位で頰に指をくっつけてみる。

 驚く程に柔らかい。

 柔らかくて、温かい。

 小箱の中から取り出してビビりながら抱き上げた。


「…………っ……」


 涙が溢れるほどに温かい。

 ああ、ああ、ああ…………っ!

 ダ・マールの神よ……あの獣はあなたが遣わせた御使だったのか?

 こんな俺に、なぜこんな赤ん坊をお預けになる?

 こんなか弱い生き物を見殺しにすることなどできないが、俺は自分の子どもすらまともに抱いたことも、育てた覚えもないロクでもない父親だったのに。

 ……だからこそ、お与えくださったのか?

 こんな俺に……こんな、なにもない俺に!

 家族も、騎士としての誓いも、利き腕もなくした俺に!


 また、チャンスをくださるのか?

 今度こそ子どもを幸せに愛せ、守れと……?



「…………、……俺の子どもになるかい? ……い、いや、その……なってくれるか?」



 俺のこの後の人生全てを捧げるから。

 俺と、家族になってくれるか?

 小さな天使よ。

 ああ、ダ・マールの神よ感謝します。

 こんな生きる希望もなかった哀れな男に……生の希望に溢れた赤ん坊をお預け下さるそのお慈悲に!




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