始まりの第2話



 それからどれくらい時間がたったのだろう。

 箱はゆらゆら揺れている。

 それはわかるけれど、視界は真っ暗なまま。

 目覚めてしばらく、泣こうが喚こうが人の気配はなく、諦めて耳をすますと川のような水音が聴こえる。

 毛布で二重、三重に包まれているので寒くはないけれど……もしかしなくてもわたしの入っているこの箱は川を流れて……?

 そ、そんな! 桃太郎じゃあるまいし!

 ……とはいえ泣きじゃくっても無駄なのは経験済み。

 手を上げたり、握ったり開いたり、顔に手を当ててみたり、今の自分を改めて調べてみた。


「……あうー、あうー」


 声はこの通り。

 上手く話せない……これは……間違いなく……、



 赤ちゃんになっている。



 そんな気はしてた!

 そんな気はしてた!

 でもこんなことありえるの!?

 わたしは自転車に激突されて恐らく電柱か壁に頭を激しく打ちつけ……それが原因で……!

 え? じゃあなに? わたし、し、死んで赤ちゃんに生まれ変わったってこと?

 死んだらそれで終わりなんじゃないの?

 いや、普通終わりよね?

 記憶を持ったまま生まれ変わるなんてそんなことあるものなの!?

 ううん、それ以前に……ここ本当に日本!?

 いや、日本ではないかもしれないけど、そもそも地球!?

 さっき見たわたしの母親らしき人は額に石が埋まっていたわよ!

 あれは飾りでもなんでもなく、うん、埋まってた!

 そ、そういう民族なのかしら……なら、ここは地球の一体どの国?

 ア、アマゾンの奥地的な?

 げ、原住民族的な……?

 ……な、なるほど、それで川…………。


 ………………………………。


 いやいやいやいやいやいや!?

 アマゾン川って確かワニとかいるんじゃないの!?

 い、いやよそんなのおおぉ!

 こんな小さな箱、ワニのあの大きな口で飲み込まれたら……うわああ、そういえば確か前に動物番組でアマゾン川には大蛇も生息しているとか観た気がするぅぅう!

 ワ、ワニだけじゃない……人間の子供を一飲みにする大蛇や、巨大魚……そんなやばい生き物の宝庫。

 いやぁぁぁぁあ!

 さっき死んだばっかりなのに、早くも死にそうなんですけど〜!?


「あっ」


 ぎゃー、と泣き叫びそうになり、慌てて口を噤む。

 どれほど流されたのかは分からないけれど、人のいる村とかはもう近くにはないはず。

 そんなところでギャン泣きなんてしたら、危険生物に居場所を教えているようなものだわ……。

 う、ううう……ど、どうしてこんな事に…!







「…………!」


 ハッ、とした。

 あれからどのくらい経ったのか……なんという事でしょう……わたしは……寝ていた!

 ま、まあ、赤ちゃんだもん仕方ないわよね。

 しかし赤ちゃんだからこその問題が浮上している。

 現在進行形で新たなるピンチ。


 ………お腹すいた…おしっこしたい。


 く、空腹は我慢できる。

 というかするしかない。

 しかし排泄は、確実に限界が近い!

 前世では成人済みだった気がするのでそれは大変に耐え難い!

 そもそもこんな密封空間的方舟の中で大なり小なりしてみなさいよわたし。

 臭い的な意味でも、人としての尊厳的な意味でも地獄! 立ち直れないわよ!

 でも泣き喚いて危険生物に発見され、方舟ごとパックンチョされたら人生がまた終わる!

 始まって間もないのに!

 というか、ついさっき再開したばかりなのに!

 い、いやぁぁ! 誰か助けてぇぇ!


「!」


 人の声……?

 え? 幻聴!?

 ……ううん、間違いない、聞こえる!

 川の中に人が入ってきて、歩いて近づくようなザブザブという音……誰か助けに来てくれたんだわ!


「よっと。…………うーん?」


 ほらやっぱり、人の声!

 目を開けると少し乱暴に蓋が開く。

 満天の夜空とともにうっすら見えたのは小汚い髭面。

 ……………………うわぁ……悪い人全開の顔。

 い、いや、人を見た目で判断するのは良くないわ……い、いい人かもしれない、し?

 自分の今の状況を考えれば、この人に助けてもらうしかない!

 お願い助けて!

 また川に流すのは勘弁!


「赤ん坊? ちっ」


 舌打ちが聞こえたけれど、蓋がまた閉められてまたザップザップ人が歩く音と川とはまた違う揺れ。

 これは、きっと丘に歩いてるんだわ?

 そ、そうだよね?


「おい、どうした?」

「中身はなんだったんだよ」

「見てみ」


 他にも大人の男の声。

 なにかしら、と見上げると再び箱が開く。

 すると今度は満天の星空が完全に隠れるほど小汚い髭面のおっさんたちが全面に!

 い、いやぁ、みんな悪人ヅラが……ひどい……。


「おぎゃあ! おぎゃあ!」


 あまりの悪人ヅラルーレットに思わず泣き叫ぶ。

 いやー! なによこの臭いー! 何日お風呂に入ってないのー!

 鉄臭いのと加齢臭とワキガみたいな臭いが入り混じって最悪〜!


「ええい! うっせぇな!」

「おい、金目のモン入ってねーのかよ? あんだこの汚ねぇ石は」

「お、でもこの布は絹じゃねぇか? こりゃあ上物だぜ?」

「他にめぼしいモン入ってねーな。チッ、おーいお頭〜」


 おかしら?

 わたしを拾った男と、他の悪人ヅラがわたしの入った箱を乱暴に持ち上げて歩き始める。

 焚き火のパチパチ燃える音。

 そこには「ガハハ!」と笑う数人の男の話し声。

 な、なんだろう……もう嫌な予感しかしないんですけど……!


「おう、どうだった?」

「上物の絹布がこれっぽっちと、赤ん坊と小石ですねぇ」

「ほう、絹はいいじゃねえか。だがガキかぁ……種族は?」

「人間っぽいっすね。ほら、毛深くもねぇし耳もねえ」

「鱗もなけりゃ尻尾もなさそうだ……お、でも見てくだせぇ! 女ですよこのガキ!」



 い


 い


 いやああああああああぁぁぁ!



 身ぐるみを全部剥がされて、公衆(悪人ヅラのおっさんの集団だけど!)でご開脚って!

 さささささ最低! 最低よ!

 それに、片足を持ち上げて逆さ吊りなんて扱い方が雑すぎる!

 ついでに今そんな事されたら…………!


「げ!」


 …………出てしまうのは、仕方ないと思うの……。

 あ あ あ あ ぁ ……………死にたい。


「おぎゃぁぁあぁ! おぎゃぁぁあぁ!」

「こ、このクソガキ!」

「ギャハハハハハ! ションベンかけられてやんのー!」

「待て待て、焚き火が消えちまうだろう!」


 足を掴まれたまま振りかざされて、今度は恥辱よりも痛みで泣き叫んだ。

 痛い痛い痛い! 本当になんてことするのこいつら!

 と、いうか、このおっさん今わたしのこと焚き火の中に投げ込もうとした?

 赤ん坊をこんな風に扱うなんて!

 っていうか折れる! 足が折れちゃう! 痛いってば! 下ろしてよー!


「赤ん坊かぁ……どうしやす、頭?」

「そうだな、『エデサ・クーラ』に奴隷として売りゃあまとまった額にはなるだろうよ。女なら慰安に使えるだろうしな。……いや、うちで寝技でも仕込んで暗殺者に仕立てるのもいいかもしれねぇな。儲かるぞ〜」

「ははは! そいつぁいいですね! 俺たちも使えるし、その辺の小さな村から女を攫ってくる必要もねぇ!」

「いやいや、攫ってきた女はそれはそれで……」

「まあなぁ」

「それに盗みは俺たちの仕事だろうが! たまーに戦利品の味を確認しねぇと腕が落ちるぜ!」

「ハハハハハ! 違いねぇ!」


 …………な、……な……!

 こ、こいつらなに言ってるの!?

 もしかして、ううん、もしかしなくても……こいつら……盗賊……?

 う、そでしょ……なんて奴らに、拾われちゃったのよ、わたし…。

 このままじゃ、わたし……奴隷か、暗殺者……じょ、冗談じゃないわよ!

 嫌! こんな奴らと一緒にいたら、いつか殺される!

 助けて! 誰か! 誰か助けてお願い!


「ぎゃああぁ! んぎゃああぁぉ!」

「っうるせぇな! 黙ってろ!」

「ぎゃああぁおんん! あんぎゃぁぁ!」

「…………頭、やっぱここでバラしちまいましょうぜ。俺たちに子育てなんざできねーでしょう?」

「ああ? まぁ、な。でも近くの村から女でも攫ってきて面倒を見させりゃあ…………、……なんだ?」


 助けて!

 助けて! 誰か!

 こんなところで死ぬのは嫌!

 こんな奴らに利用されるのも、奴隷にされるのも嫌!

 お願い、助けて! お願いよ!


 必死に、泣き叫ぶことしか……わたしにはできない。

 満天の星空もきっちり目を瞑って泣きじゃくるから堪能する暇もなかった。

 そして、盗賊たちがなにかと戦い始めたことにも、気づかない。

 わたしの泣き声が、彼らにとって予期せぬものを呼び寄せたのだ。

 ぎゃあ、というなにかが潰れるような声と音。

 泣き声を上げるのにも疲れてきた頃に、獣の唸り声が近づいてくることに気がついた……。


 グルルルル……って。


 ちょ、ちょ、ちょっと、待ってよ……聞き間違い……だよね?

 まさ、ま、まさか?


『グルルルルルルルル……』

「ぎゃーーーーー!」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る