第二話 金魚

「あたしに、金魚ってあだ名付けたのってなんでなんですか。」

「僕は、殺す時には、相手にあだ名をつけてから殺すことにしてるから。」

「なんで、あだ名つけるんですか。」

「人間の名前って長いから。苗字もあるし、名前もあるし。フルネームなんかで呼んだら長くてだるいじゃん。」

「じゃあ、なんで、あたしに金魚っていうあだ名をつけたんですか。」

 僕はそこで金魚に返事をした。

 ただ。

 しただけだった。

 おそらく、金魚にその言葉は一切聞こえなかっただろう。

 金魚の体は縄で縛られている。

 そして。

 その体が丁度入るくらいの狭い透明な筒の中に入れられている。

 下から水が注入されている。

 水面は静かに筒の中を昇っている。

 最後には。

 この筒の中いっぱいになるだろう。

 言うまでもなく。

 溺死するだろう。

 ひざ下あたりまで上がってきた水面は、静かに揺れていて金魚のスカートの裾に僅かに触れるくらいになっていた。

 前に、これを使って人を殺した時は、ポンプの調子が悪く、何度か咳払いのような音を立てることがあった。エンジンがあったまってくれば、それはなくなるのだが、先ほどもその音のせいで、僕の言葉はかき消されてしまっていた。

「高校三年でAVデビューするのって変ですかね。」

「AV女優の数を考えると、変じゃないんじゃない。」

「あたし、バカなんです。」

「へぇ、そうなんだ。」

「でも、セックスだけは凄く上手いんです。」

「凄いね。」

「自分の得意なことで稼いでみたかったんです。」

「好きなことで生きていくって、難しいからね。得意なことで生きていくのは賢い判断だね。」

「そしたら、セックスカウンセラーとか、正しい性の伝道師とか呼んでもらえるかもしれないじゃないですか。」

「キャリアを積んで、勉強すればね。」

「あたし、ちゃんと考えてAV女優になろうと思ってたんです。」

 水面はいつの間にか、金魚の腰あたりにまでやって来ていた。

 水流のせいで、スカートの裾が浮かび上がり太ももが見えた。何となく痣のようなものが見えたものの、そのまま視線を横へとずらす。

 金魚が僕を覗き込むように首を傾げる。

「見ましたか。」

「少しだけ。」

「あたし、そういう男の人とばっかり付き合うんです。DV癖みたいな人ばっかり。」

「好きな人がDVなの、それとも、付き合い始めるとDV男になっちゃうの。」

「分からないです。DVは、その男の人のせいだし、あたしには何の責任もないし。」

「間違いないね。」

 金魚は僕の目を見つめていた。舌を出して何となく困ったような表情をする。

 こういうことをしてきたのだろう。

 こういう、一番、大変な状況でどうするべきか分からずに誤魔化し誤魔化し生きてきた。だから、この瞬間も、死ぬ間際に彼女は何となく誤魔化したのだ。

 死ぬのは間違いがないのに。

 参っちゃいますよね。

 と。

 舌を出してみせた。

「あたしの好きな人がどんどん暴力的になっていくんです。でも、好きだからしょうがないじゃないですか。いつか変わってくれるかもしれないって思うじゃないですか。恋してる女の子ってみんなそう思っちゃうじゃないですか。普通、女の子ってそうなんですよ。でも、男って全然変わらないんです。だから、やっぱり自分の身を護るために、他の男の人に助けを求めるんです。で、助けてもらうんですけど、その人もまたDVなんです。でも、好きになってくれた人だし、助けてくれた人だから、やっぱりそういう恩に報いるためにも好きになってあげなきゃいけないじゃないですか。それを繰り返していくうちに、またどんどん、救ってもらったときの恩が大きくなっていって、別れるまでの時間がどんどん長くなっちゃうんです。前よりはもう少し長く付き合っておかないと、辻褄合わないかな、みたいな感じなんです。」

「男と女って難しいよね。」

「そうなんです。好きになってもらうのは結構うまいんですけど、好きであり続けるのって難しくて、でも、そういうことも勉強ですよね。」

「うん、勉強って大事だよね。」

 水面は首元まで上がって来ていた。

 どこか首を吊らせて死んだ、犬、のことを思いだした。水面によって首が囲われた姿はそのまま縛られているかのように見えた。

 金魚は、犬の一つ上にあたる。

 つまり。

 七姉妹の中では六女にあたるということになる。

 金魚は覚悟を決めたような喋り方というよりも、少しだけ現実から足を浮かせて生きているのが癖になっているのだと思う。死を恐れない、というよりも体験したことのないものを恐れる心のメカニズムが分からない、という事だと思う。

 僕は、正直。

 こういう状況でなければ、かなり良い友達にはなれだろうと思っていた。

「殺し屋さんは、なんで、あたしたちを殺すんですか。お父さんに雇われた以外の理由はないんですか。」

 私は携帯電話を取り出すと、画像をタップして筒越しに金魚へと見せた。

「僕のお母さん。」

「綺麗ですね。芸能人とか。」

「AV女優。」

 随分前に。

 失踪したが。

 僕は言葉を付け足すこともせずに携帯電話をポケットへとしまう。

 自分の母親の話をしたのは、本当に久しぶりだった。このようなさわりの部分でさえ、まず口にもしない。相手がもうすぐ死ぬ相手だったことと、仲良くなれそうな気がしたからかもしれない。

 正直、母親はトラウマであるとか、自分にとっての暗い過去、という訳でもない。

 ただ、切っ掛けにはなってはいるのだと思う。

「君のお父さん、金持ちでしょ。だから、自分の娘を勧誘したAV監督を探すためにAV業界を調べつくしたんだって。で、その時に、運が良いのか悪いのか、僕のお母さんの情報を手に入れたんだと。」

「それを餌に貴方を殺し屋として雇ったんですか。」

「七人殺すなんて、普通、殺し屋はやらないからね。相当、金積まれてるか。海外逃亡の経路をしっかり作ってもらってなきゃ無理だって。君のお父さん、確かに富豪だけど、正直、そこまでじゃないじゃん。だから、これを餌にして、僕に仕事を頼んできたから、まぁ、受けたっていうかね。」

「あたしたち七姉妹全員、殺すんですか。」

「七人殺したら、僕はお母さんに会えるからね。」

「会って、どうす。」

 その瞬間。

 僕はバルブを蹴ってポンプを最大出力にした。

 筒の中を大小さまざまな泡が生まれ、上から下へと大量に昇っていく。

 水が飛び出し、筒の外側を舐める様にして、そのまま床を這って来る。僕の足元は水浸しになったが、靴自体は雨用の厚底の合成樹皮の靴だったので、中まで入ってきて不快になることはなかった。

 筒の中の大量の泡のせいで。

 筒の内側を叩く、金魚の拳以外、何も見えなかった。

 あの親は、仕事でも、仕事ではなくともセックスの好きな女だったそうだ。

 僕の、割と良い外見は母親のものだろう。それ以外の部分は父親のものだろうが、その父親が誰なのかすら僕は知らない。

 僕を産んで。

 僕を売って。

 僕から逃げた女のことを。

 僕は知りたくてしょうがない。

残り五人。

 

 

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