第2話 最低文学賞!

「うちの[輝け令和ノベル大賞]の締切は令和元年5月1日って告知してあるし、今から変えるわけにはいかないんだ。それに」


 色々と言いたいことはあるけど、編集者は構わず言っている。なんだこのハゲ編集者。初めての打ち合わせの時『編集者、もし美人の女性だったらどうしよう』と会うまで思って期待してた過去のぼくを絞め殺したくなる。

 でも、それに?


「決めてた予定の受賞者が逮捕されちゃったからなあ」


 決めてた受賞者? ええっ。なにそれ。

 頭がフリーズした。なに言ってんだこの人。


「ヤクやってDV事件起こして捕まっちゃったんだよ。犯罪者を大賞にはおけないからさ」


 メチャメチャでぼくの頭はまたフリーズした。

 というか、受賞者を原稿の締め切り前に決めてる文学賞って……。


「うちの会社の傾いた命運の起死回生がかかってる賞だぜ? とてもじゃないけどそんな犯罪者と心中したくないからな」


 この編集者はいつもながら、とんでもないことをナチュラルに言う。

 自覚あるのかこの人……。というかこんなヒドイ話ぼく相手でもふつーに話すなよ……大スキャンダルじゃないか。


「じゃあ次席の人を繰り上げればいいじゃないですか」


 うろたえたぼくは、そう返事した。いや、それどころじゃないひどい話だけどさ。頭はもうフリーズで足りなくてブルースクリーンになりそうだった。StopERRORって青地に白文字で出るあれである。


「おまえなんでわかんないの。うちみたいな零細出版社の賞にまともな原稿が集まるわけ無いだろ。集まらないから、タレントを受賞者にして盛り上げようとしてたんだから」


 あまりにもひどすぎる……。あきれて話にならない。というかそれよりずっと以前の話じゃないか。どこからどうツッコんで良いかわからない。むしろ突っ込みどころしかない。


「ほんとあいつなー。たいして歌えもしないし演技も大根だけど、ただの素人よりマシかと思って芸能事務所に依頼してこれだもんな。悪事だけ一端の芸能人みたいにやりやがって。大損だよまったく」


 うわー、心底安易な企画だなー。

 でもそういう安易な会社のおかげでぼくは本を出せたわけだけど。


「とりあえずさ、枯れ木も山の賑わいで原稿集めなきゃいけないんだ。どうせ暇だろ? ほかにも何件かあたってるんだ」


 ひえー、同じ発注を他にもしてるのか……心底ヒドイな。


「まあ、書き手なんて今はいくらでもいるから。それより読んでくれる読者の手配が大変だ。文芸YouTuberの先生のスケジュール今から押さえないといけないんだ」


 そうなのか、今はYouTuberのほうを先生と呼ぶ時代なのか……。

 代わりに書き手はいくらでもいるわけだ。


「とにかく原稿納品してくれ。おまえ書くの早いからどうせ書けるだろ?」


 どうせ書ける……どうせ、なのか。もううろたえながらぼくも判断力が落ちていた。


「あの、これ、原稿料とか印税とかどうなるんですか?」


「ああ、これ、権利ないから。覆面作家としてやってね。原稿は買い切り」


 ええっ。ってことは受賞して出版されてどんなに売れても印税0円?


「単価1文字1円。クラウドワークよりはいいだろ?」


 安っ! 露骨に足元見るなあ……ひどすぎるよ!


「もう昭和生まれの終わった作家にやれるチャンスはこれぐらいだ。ありがたいと思ってくれ。間に合うでしょ?」


 さっきからまったくこっちの話も都合も一切聞いてないよね。


「じゃ、よろしく。俺をこれ以上失望させないで、な」


 ぼくは返事を打とうと思ったが、その気力もすっかり失われてしまった。


 1文字1円なら10万字で10万円。少ない額だけど、今のぼくにとっては大金だ。

 ぼくのカードの支払いは実質リボ払いみたいな手数料まみれでパンパンに利用額が膨れ上がっている。このままじゃ自己破産するしかない。あまりにも辛くて明細もまともに見られない現状だった。

 10万円は喉から手が出るほどほしい。そこまでぼくはおい詰まっていた。

 それを嘆く間もなく、昼になって図書室に来館者がきて、その応対をせねばならなくなった。


 図書室の勤務を終え、自分の軽自動車に乗って自宅に帰った。実家ぐらしの昔からの子供部屋がぼくの部屋だ。父母はまだ元気だが最近体も衰えているし、見ていると老けたなあ、と思う。ぼくも同じように老けているのだろう。この家では父母の年金と高齢者パートとぼくの臨時職員の給料が収入のすべてだ。細いなんてもんじゃない。

 だから、今は10万円でもいい。溺れるものは藁を掴むというが、ほんとその心境が身にしみてわかった。10万円稼ぐには図書室バイトを1ヶ月やらないといけない。それぐらいぼくには大金である。


 だから、ぼくはその藁を掴むことにした。自分のPC机に向かってグーグルドキュメントを立ち上げる。そして、かたわらにスマホを置く。

 スマホの画面をスワイプすると、さまざまなアプリの並んだ画面が流れていく。

 その最後のページに、「?」とだけ書かれたアプリがある。

 ぼくはそれをタップした。


「またむりなことするわけね」

 一瞬世界が暗転したのちに、ぼくの背後から若い女性の声が聞こえた。

 その声の主に振り返ると、そこにパリッとした凜々しい制服姿の女性が足を組んで座っていた。

「ほんと、都合のいいときだけ便利に呼び出されても困るんだけど」

 そういう彼女に、ぼくはそれでも済まないと思う。

 でも、彼女のおかげで、その瞬殺で玉砕した昔の商業出版デビューもできたのだ。


 彼女はカルチャロイドという。誰にどういう理由でどうやって、というか、いつの時代に作られたかすら、一切わからない。

 ただ、気づいたらスマホにアプリ「?」としてインストールされていて、そしてこうして出てきては辛辣に、冷たい口調で、ぼくを助けてくれる、ぼくの原稿を書くときの秘密の相棒だった。でも彼女はそう思っているかどうかは、甚だ不明だ。


 だが、これでこの話がラブコメの色を帯びるとは、この時は思えなかった。

 ラブコメよりも原稿の締切が怖かった。

 というよりも、今は間近に迫ったカードの支払のほうが怖かった。


 それにくらべれば、彼女の冷たい口調はまだ比較的には怖くなかった。


「そんなものと一緒にしないで」


 彼女のピシャリと否定する冷たい声が、春の夜のかつての子供部屋に響いた。

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