第94話


「山越えだな」


「しかないだろうな」


「そうだね」


 夜遅く。子ども達はもう寝入ってしまった時間帯にアドラ、クリスティアンそしてハコブの三人は広げた地図の周りで話し合いを行っていた。


「普通は船旅を使うんだが……、お前らがやっちまった事の大きさを考えたら港は絶対にマズい」


 ハコブの言葉にクリスティアンは苦笑する。いままで可能な限りこっそりと旅をしていたのが嘘のようであった。


「に、しても次の目的地もまァた女神様に由来の土地かい。……詳しくは聞かねえけどよ」


 目指すのはここから遠く北西の場所。だが、地図上で見ればまっすぐ北西に陸地は無い。距離も時間も安全性も考えれば普通は船を使う旅である。

 だが、ラジュルタンにて騒ぎを起こした彼らが今まで以上に手配されていることは間違いなく、危険を冒してでも人目に付きにくい陸地を通り、一度南西に降りてから回りこんでいく道を取るほかなかった。


「どうせ南に行くんだ。一旦アドラの村見て行ったらどうよ」


「国の連中が滞在してる可能性があるから却下だ」


 山賊ハコブの村へ来てから早三日。昼間は常に山に入って食料を集めている彼女は生傷が絶えなかった。


「そういえば、昼間に姿が見えませんでしたが、どちらへ?」


「あ? ああ」


「へえ、ハコブが居ないのを気付く程度には余裕が出来たか」


「え? あッ!!」


「土嚢追加な」


「…………」


「がっはっはッ! どんまい、兄ちゃん」


 がっくりと肩を下ろすクリスティアンの姿にハコブは大笑い。バンバンと背中を叩いてあげたせいで彼は咳き込んでしまっていた。


「なぁに、特段変なことはしてねえさ。ちょいと懇意にしている商人が来たんでな。物資の購入と情報を少々よ」


「なにか変なことはあったか」


「いやァ? ラジュルタンに兵士が送られているとか分かりきったことぐらいで、あー……そういや、珍しい話はあったか」


 コップを手に取り、白湯で乾いた口をぬらす。

 あまり溜めすぎてはアドラの拳骨が飛んでくると、彼は話を続けた。


「なんでも港町に魔族が現れたとかって噂が流れているらしい」


「魔族が?」


「え……」


「ああ、つってもようやく今頃話が来るぐらいだからな。襲撃があったとかじゃあねえんだろ。もしかしたら魔族の犬かなんかが探りに来てたんじゃねえかな」


「ち、なみに! その魔族の見た目とかは……!」


「んぁ?」


 平静を装うとして失敗している様子をまさに絵に描いたようなクリスティアンの態度にハコブは気付かない振りをしていた。


「いやァ、そこまではな。そもそも人数は一人だ。いや、大群だ。男だ、女だ。みたいに無茶苦茶な噂ばっかりらしくてな」


「なんだそれ。いくらなんでもあやふやすぎねえか」


「まったくだ。ていうことは、それだけ大したことじゃねえってことだろうよ」


「そ、うですか……」


「ともあれだ! 山を越えるなら超えるで準備は必要だろ。うちの食糧集めも兼ねてもう少しはここでゆっくりしてろよ」


 お前らも早く寝ろよな。と彼は自室へと戻っていってしまった。聞いてしまった話の内容に茫然としているクリスティアンに、アドラはため息をこれでもかと分かり易くついたあとで、


「んぎゃ!?」


 彼の背中を蹴り飛ばした。


「あの馬鹿だから無視してくれたが、お前さ。もう本当にいい加減にしろや」


「え? あ。……ご、ごめん……」


「知り合いか」


「…………分からない。少なくとも、ここしばらくは斥候を送るなんて話は出ていなかったはずなんだけど」


「ふぅん……」


「…………」


 蹴られた背中をさすりながら、思考の海に沈んでいく彼を放置してアドラも息子が待つ寝室へと戻ることにした。

 一度だけ振り向くが、変わらぬ彼の姿にもう一度だけため息を零し、今度こそまっすぐに彼女は歩いていく。


 一人取り残されてしまったことにクリスティアンが気付いたのは、それからしばらく経ってのことであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る