第40話


 方角を間違えたと、声には出さないが理解していた。

 周囲に生える植物の種類が変わっていく。それも、ハコブの村に来る前に四人で山を越える最中で見たものへと。

 つまりはそれは、彼らが山の奥地へと足を踏み入れてしまったことを意味していた。


 レオは血を流し過ぎて、もう走っていることが奇跡のような状態であった。視界は普段の半分以下に狭まり、身体に力が入らず、ガンガンと殴られているかのような頭痛がし続けている。


「も、ニカ……ちゃ……」


 ふらつく身体で彼女にバレないように向いている方角を修正しながら、彼女の名前を呼ぶ。修正した方角が正しいかは分からないが、そこはもう賭けるしかない。


「お、おー……?」


「この、まま……、まっすぐ、走っ……て」


「……レオは?」


 彼女の言葉に自然と笑みが漏れる。彼女の言葉には、彼への心配が込められていた。そのことが、なにより嬉しかった。

 何がここまで彼女を怖がらせてしまったのかはまだ分からないが、それでも、自分のことを心配してくれるようになるまではなっていることが、嬉しかった。


「僕は……」


 痛む頭痛を押し殺して、右手に力を入れる。

 彼女の手をぎゅっと握りしめて、彼はにぃ! と思いっきり笑顔を見せる。


「あいつらを退治してから行くよ」


 モニカの瞳が驚きで大きく開かれる。彼女が何かを言うまえに、握っていた手を離して彼女の背を前へと押し出す。

 押された勢いで更に前へと向かう彼女が足を止めようとするその前に、


「走って!!」


「~~ッ!!」


 彼女には悪いな、と思いつつも怒りの感情を込めた叫びをあげる。その声に、眠りかけていた勇者に対する恐怖が甦ってしまった彼女の身体は、意思に反して前へ前へと足を進めていってしまう。


 彼女の足音が止まないことを背後で聞きながら、彼は迫る四匹の鬼蜘蛛オグリージャへと向き合い、右手を握る。


 ようやく逃げることを観念した獲物。それも弱っているほうが。

 さきほど仲間を殺した武器ももう手にはない。大きさからして子どもであることは明らかであり、怪我はすることはあっても素手で殺されるようなことはない。


 これ以上山の奥地へと行けば、彼らとて危険が迫ることは理解しているのか、さきほどのように様子を見ることはなく、四匹は一斉にレオへと飛び掛かる。


「……来い」


 迫る鬼蜘蛛オグリージャに、閉じてしまいたくなる瞳を無理やりにこじ開ける。

 諦めるのも、後悔するのも、良い人生だったと笑うのも、そんなことは全部死んでからすれば良い、とは母の教えである。


「僕は」


 彼の役割は勇者である。

 勇者の役割とは、


「ママの」


 そんなことよりもなによりも、

 彼が最後に思い出すのは、


「息子だァアアア!!」


 大好きな母の顔だった。


 だが、

 振り上げた拳もむなしく、

 鬼蜘蛛オグリージャの牙が、レオへと迫っていく。

 柔らかい彼の皮膚へと、鬼蜘蛛オグリージャの牙が喰い込んでいく。命を奪われていく感覚を味わいながら、

 彼は。

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