第37話


 後ろから来る当然の衝撃に、少女は成す術もなく地面に転がった。

 驚き、そして碌な受け身も出来なかったのだが、幸いにも腐葉土の多い山の土はふかふかでさほどの痛みを感じることはなかった。むしろ、走り過ぎて悲鳴をあげる肺と心臓のほうが痛いほどである。


 捕まった。

 捕まってしまったと思った。


 少年が、勇者が追いかけていたことは分かっていた。何を言っているかまでは分からないが、ずっと名前を呼んでいたことだけは彼女も分かっていた。


 ならば、この次は簡単な話。

 きっと自分は殺されるのだろう。旅の間に父が何度も魔法や護身術を教えようとしてくれたのを面倒くさいと断ってきた。それをこんな形で後悔することになるとは情けなくて自然と涙まで出てきてしまう。


 ぎゅっ! と瞳を閉じてその時を待っていたモニカだが、いくら待とうともその時が来ることはない。

 不思議とゆっくり瞳を開けた少女は、映る光景に目を疑った。


 そこに居たのは、どこから現れたのか牙をむく一匹の鬼蜘蛛オグリージャと、傍の木から続いてくる数匹の鬼蜘蛛オグリージャ


 そして、

 まるで鬼蜘蛛オグリージャから彼女を守るために立ちはだかる一人の少年の背中であった。


「……れ、……お?」


「モニカちゃん! 怪我はない!?」


 右拳を握りしめ、戦いの意志を示す彼は彼女のほうを見ることはない。まっすぐに鬼蜘蛛オグリージャを見つめ、視線を外すことなく飛び掛かってくるなと威嚇するように。


「…………ない」


「そう……。良かったぁ……、大丈夫だからね! 僕が絶対に守ってあげるから!」


 さきほどまで彼から逃げていたにも関わらず、あまりにも彼の鬼気迫る勢いの質問に思わず答えてしまっていた。


 答えたことで少しだけ落ち着きを取り戻した彼女は、取り戻したせいで見てしまった。


「レオ!?」


 ぽたぽたと血がしたたり落ち続けている彼の左腕を。


 だらり、と垂れさがった彼の腕は、ファイティングポーズを取る右腕とは裏腹にまったく動こうとしない。

 それは、動かさないのか動かせないのかまでは彼女には判断が出来なかったが、目の前で彼が怪我を負っているのは明白であり、そして……。


「ど、して……?」


 鬼蜘蛛オグリージャから自分を守るために負った傷であることもきっとであるが、いや、絶対なものであると判断がついた。


「え? あはは、だって当然だよ」


 少年は笑う。

 彼女から彼の顔は見えないけれど、きっと無理に笑っているのではないだろうか。そんな風にすら思えるほど彼の笑いには無理があった。


「だって僕は」


 ではどうして彼は笑うのか。

 大して面白いことを言ったつもりは彼女にはなかった。笑うような状況であるとも思えなかった。

 にも関わらず彼は笑う。その行動の意味が彼女には分からなかった。


「勇者だもん!」


 勇者にだけは気をつけなさい。

 良い悪いは関係なく。勇者という役割を持つ存在には気をつけなさい。奴は君を殺す存在だ。


 彼の言葉の意味が、彼女には分からなかった。

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