断片九 樹洞

 シゲの後をついて川辺に降りていくと胎樹がみつかった。

 オリツは手近な場所にある地面から低い位置にある入りやすそうな樹洞の中を覗いて、中が空っぽなことを確認する。

「すまないけれども、ちょっと休ませていただくわ」

 そう言って樹洞の中に入っていった。

 オリツが樹洞の中に入っていくとしばらくして樹液が流れ出し、樹洞の穴が閉じ始められていく。樹洞の中は居心地がいい。外からの音も、外からの刺激もそのまま素通りはしない。このまま永遠にこの中で過ごしたいという気持ちにさえなってくる。

 が、そのまま中にいると胎樹に取り込まれてしまう。


 胎樹は胎樹だけでは後裔を残すことができない群生生物である。一見すると樹木のようにみえるのだが、植物ではない。植物ではないのだが動き回ることができないので、樹洞の中に入り込んだ生き物を利用して繁殖するしかない。胎樹が水辺にしか生えないのは水を求めてやってきた生き物を捕まえるためである。

 樹洞に入ってもらわないことには仕方がないのだが、樹洞に入ってしまえば胎樹に囚われてしまったも同然となってしまう。というのも樹洞の中はとても居心地がいいのだ。どんな生き物でもそこから出たくはなくなってしまう。むろん、外に出たいという意志があれば外に出ることはできる、しかし本能だけで生きているような生き物はほぼ逃れられることはできない。これが、捉えたものは逃さないほどの強い束縛力を持っていたとしたら、そのうち胎樹に近づく生き物などいなくなり、繁殖できずに絶滅していただろう。


 オリツは樹洞の中で目を閉じて胎児のように体をまるめていた。まだ日は明るいので眠いわけではない。樹洞の中ではこの姿勢が一番心地よい。

 体を休めていただけだったが、オリツは、いつ拵えてしまったんだろうと自問していた。

 残念ながら自由奔放な生活を送っていたオリツには、心当たりがありすぎた。

 この仕事が終わったら次はもう少し真面目に生きよう。前回の仕事のときにも同じことを誓ったのだが、これで何度目かの同じ誓いをする。


――孕み屋の代金は俺が払うとタツゾウは言うだろうねえ。でもこればかりはあたしが出すのが筋ってものだよねえ、どうしたら受け取ってくれるかしら。と思うのだが残念なことに無い袖はふれない。

 いまは持ち合わせがまったくない。

 今回の仕事がうまくいけばもちろん分け前が手に入るのだが、そのうちの半分くらいは借金の返済にまわってしまう。

「今度はほんとに真面目に生きるしかないねえ」とオリツは自分に言い聞かせる。


 物音がした。

 誰かが近づいてきた気配がした。

 樹洞の穴は樹液で塞がれて音は遮断されているのだが完全に遮断されているわけではない。むしろ音は殆どそのまま通過しているのだが、不思議なことに胎樹の樹液の膜越しに聞こえてくる外の音は中の生き物にとって心地よい音に変化する。

 近づいてきたのはタツゾウだろう、とオリツは感じた。

 なんだかんだいってタツゾウは優しいのである。オリツだけとそう思いたいがオリツ以外の者にもタツゾウは優しい。そこが腹の立つときもあるがオリツはそんな素振りをタツゾウには見せまいと努力している。

 タツゾウの気配が身近に感じ始められてきた。

 オリツの入っている樹洞の穴の大きさがもう少し大きければ外にいるタツゾウも中に入れてあげることができるのに、とオリツは少し残念に思った。

「すまないねえ」

と外にいるタツゾウに対して言う。

 が、返事はない。タツゾウはそういう性格なのだ。

 いけないと思いつつ、オリツは

「タツゾウ、あんたのややなら拵えてもいいよ」

 そんな言葉をささやきながらオリツはすでにまどろみ始めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る