白馬の王子様をお呼びでしょう?
真名瀬こゆ
あなたがお姫様
「白馬の王子様が現れても、突っぱねちゃうタイプでしょう」
初夏の夜。風が冷たいこともなく、わたしには丁度よく過ごしやすい気候だった。
夜の公園。人影はなく、ベンチに座るわたしと彼だけがいる。
「自分が一目惚れしたら、相手もそうだと思ってる」
彼は減らず口で、自分の感覚が絶対だと思ってる。こと、わたしのことに関してはわたしより知っているんじゃないかという口振りで彼の想像を語る。
それが嘘でないことがわたしは嫌で嫌で仕方がなかった。
「いい年なのにロマンチックな夢見がち」
彼と初めて出会ったのは私の仕事場だった。
彼は新進気鋭のデザイナー。ぱっと見ただけで存在がお洒落だと思わされた。わたしより四つも年下の男。対するわたしは地味なOLで、遠めに見た彼の第一印象は「わたしには縁のない人間」だった。
実際、仕事でも関りはなかった。彼と直接に関わったのは、うちの会社で一番爽やかでイケメンの営業課のエースだけ。資料を広げながらああでもない、こうでもないと進む商談の席の華やかさは休憩室の流行りの話題だった。
「話さなくても運命の相手ならなんでも分かってくれる、なんて意味分かんない主張して」
さすがに”ロマンチックな夢見がち”な私でも、目撃しただけの男に対して、出会ったという評価は出さない。
初対面。わたしと彼は廊下ですれ違った。
そして、わたしの首にぶら下がった社員証を目に留めた彼が「貴方、資料を作ってくれた人ですか? 珍しい苗字だから何て読むのか気になってたんです」と声を上げたのだ。
ちなみに、わたしのその時の心の声は「こいつ、正気かよ」だった。
「わたしのこと、無理矢理にでも自分のものにしてくれる、とか」
確かに、彼の商談に使われた資料はわたしが作った。
表紙に設けられた作成者の欄に書かれた名前が目についていた、と続けた彼に、わたしはやはり異邦人を見る目をするしかなかった。そして、心の中で「そんなつまらない要件で話かけてきたのか」と彼の行動の気軽さを貶していた。
「積極的になる必要ない、とか思ってんしょ?」
それからも、彼はうちの会社でわたしを見つける度に声をかけてくるようになった。仕事の話だったり、ごみよりもどうでもいい話だったり。敬語だったのも本当に最初の一言、二言だけだ。
コミュニケーション能力を数値で換算するなら彼には無限大の記号がぴったりだと思う。
人間、回数を重ねると慣れるもので、わたしは彼という存在に感じていた異質さをだんだんと忘れていった。
そして、ついさっき。
会社を出たところでばったりと遭遇したわたしと彼はなんとなく一緒に歩き始めた。それから、通り道にある公園に寄りたい、という彼の謎な発言に引っ張られ、今はベンチに並んで座っている。
そして、今。
彼の口から滾々と語られる”わたしという人間”についての考察を聞かされているのだ。
「バカだなあ、言葉にして態度に表さなきゃ伝わる分けねーじゃん」
彼の言う”わたし”は、吃驚するぐらい”わたし”に間違いなくて。そんなこと自分で分かってるから黙っててよ、とヒステリックにぶちまけたい気分でいる。
「あんた、優しいし、愛想もいいから、結構いいなーって思う男いっぱいいたと思うよ」
「――は?」
「あ、ちゃんと話聞いててくれた。目が死んでるから聞き流してるかと思った」
へらへら、と笑った彼は、すくっと立ち上がると私の前に仁王立ちした。
そこに立たれると邪魔なんだけど――強がりみたいな悪態が、心拍数を上げる羞恥と心の領域を奪い合うように戦っている。
何を言っているんだこいつは。何を焦っているんだわたしは。
「でも、話してもつれないし? 誘ってもやんわり断られるし? 」
正直、身に覚えはある。
彼はどう見たって私を特別視していた。でも、わたしは自意識過剰と判を押されるのが何よりも嫌だった。そうかと思っても、踏ん切りなんてつかなかった。
「一回目で誘いに乗ったら軽く見られるとか思ってんの? 断られて二回目誘うこっちの労力は? 気持ちは? 勇気は?」
耳が痛い。胸が痛い。
こいつ、何を言う気なんだよ。湧き上がる思春期みたいな甘酸っぱさに、熱っぽくなる頬に、ちょっとだけ浮かんだ涙に、恥ずかしさで彼の顔を見れない。
「何様だよ。ばぁか。よく見られようと思いすぎ。プライド高過ぎ」
「何様は、こっちの台詞」
自分でも聞いたことない震えた声。
「あんたにわたしの気持ちなんて分からないでしょ」
「だから、分かんねーよ、聞いたことねーもん」
いいな、と思う。
わたしも彼くらい素直に思ってること言えたらいいのに。
「話すことなんて、ないから」
「どーして? あんた自分の気持ちどころか、自分のこと全然話さないよな」
「……だから、話せないの。世間話はできても、自分のことはなにもないの」
人の話を聞くと、この人も自分の世界があっていいな、と羨望に駆られる。同じ仕事をしているはずなのに、なんでこんなに見ている世界が違うのか、と。
朝起きて、家を出て、仕事をして、家に帰って、ご飯を食べて、テレビを見て、お風呂に入って、寝る。それで、次の日を迎えるのが一日じゃないの?
「つまんない人間なんだよ。なにも、聞かせることがない、薄っぺらな人間なの」
「そんなことないよ」
「だから、あんたに何が――」
「かなり自分に自信がなくて、用心深いけど、あんたはいい女だよ」
こうやって嘘ついてまで、慰めなきゃいけないほど、今のわたしは傍から見たら惨めなのだろうか。
「今、俺があんたを慰めるために嘘ついたと思ってるだろ」
「……」
「素直に受け取りゃあ可愛いげあるのに」
「悪かったわね」
「悪くないよ、そんなんだったらあんた、彼氏の一人二人いておかしくなかったし」
げろ吐きそう。
心臓じゃなくて、胃を掴まれているような気分。こんなこと、わたしは知らない。
こいつは私をどうしたいんだろう。
目の前の男が今まで稚拙に関係を積み上げてきた奴と同一人物に見えない。すれ違って、挨拶して、それで十分だったでしょう。
「自分に自信持てばいいのに、あんた自分に厳しすぎ」
彼の言葉は心の深いとこまで突き刺さる。
血が噴き出しても緩められることがない。傷口を抉り、広げていく。心が暴かれる。
わたしだって、わたしだって、可愛げある性格でいたかった。にこにこと花みたいに笑って、人を妬まず生きていきたい。
「勘違いの女が一生懸命に自分語りしてくるのに付き合うより、あんたが人にいうことじゃないからって黙ってる話を聞き出す方が俺は楽しい」
「黙ってることなんて、べつに……」
「あるよ」
本当に、こいつは、わたしの何を知っているというのだ。
「なぁ、こっち見てよ」
「……人の目を見て話すの苦手なの」
「だろうな。全然、目ぇ合わないもん」
「うるさい」
人と関わるのは難しい。
いろんな人間がいて、自分の価値観を常識にすると世の中は生きにくい。
一人でいるのは寂しいけど、誰かと関わる煩わしさを天秤にかけてしまう。孤独はとてもとても楽なのだ。
そうして、楽な方に身を預けていたら、いつの間にか人の目を見るのが苦手になっていた。
でも、今、顔を上げられない理由はそれだけじゃない。
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