第800話 詭弁

 『四竜の宮殿エレメンツ・パレス』の南西部で『不浄の母』と対峙するセフォンと炎竜族。

 その一方でザグレスは老執事と共にセフォンから離れるため北西部に移動しつつ、異形の魔物と戦い続けていた。


 大地が翻り、土柱が天を貫き、魔物を土塊に作り変え、破砕する。

 ザグレスが持つあらゆる力――スキルと技を駆使し、魔物の群れを粉砕していった。


 その姿は誰の目から見ても地竜族随一の戦士として恥じぬ戦いっぷり。側仕えとして控えていた老執事は文字通り近くで控えていただけで一切手出しせずにザグレスの孤軍奮闘により、道を切り拓いていった。


「――ふんっ!!」


 金剛と化した拳による一撃で、また新たに魔物の屍が増える。

 直接大地に作用する広範囲かつ高威力の土系統魔法はザグレスの得意とするところ。それによって周辺の魔物をほぼ壊滅状態にまで追い詰め、残すは取り零した十にも満たない魔物のみとなっていた。


 ここまでくれば大規模魔法を展開する必要すらない。

 所詮は再生力だけが取り柄の魔物ばかりなのだ。その凶刃がザグレスに届くことは万が一にもあり得ない。


 また一体、また一体とザグレスが魔物を狩っていき、やがて周囲に立っていたのはザグレスと老執事の二人だけとなる。


「お見事でございます、ザグレス様」


 実に満足げに手を叩き、ザグレスを称賛する老執事。

 老執事の目から見てもザグレスの実力は地竜王アース・ロードプルートンに勝るとも劣らない境地に至っているように映っていた。


 王の血を継いでいるからといって、必ずしも実力が伴うとは限らない。

 血を重んじる竜族からしてみれば、たとえ実力が伴っていなくとも些事に過ぎなかった。


 重要なのは血であり、歴史なのだ。

 始まりを紡ぎ、積み上げてきた過去を未来へと繋げる導き手を玉座に据えるのである。


 ザグレスも例に漏れず、一族から何かを期待されていたわけではない。

 プルートンの血を継いでいるという事実だけで支持を得るには十分だったのだ。

 しかし、ザグレスは老執事の胸を躍らせた。期待以上の実力を間近で見せつけたことで魅了した。

 プルートンに吹く逆風を退ける一つの盾としてではなくザグレスという一人の男を、プルートンに匹敵する一人の戦士として、そして英雄として改めて認めさせたのである。


「やはり貴方様こそ、次代の王に相応しい」


 その言葉は聞く者によっては悪意があると感じる者もいるだろう。

 だが決して老執事に悪意があったわけではない。

 ただ純粋な想いから未だに地竜王はプルートンだと信じて疑っていないだけだった。

 そしてそれはザグレスも同じ。だからこそ悪意だと感じることも嫌味として捉えることもなく、真正面からその言葉を受け止めた。


「それを考えるのは時期尚早だろう。まだまだ未熟の身……我々にはまだ王が必要だ」


「御心のままに」


 仰々しく一礼した老執事に重々しくザグレスが頷き返した――その刹那、暖かな風が南方から迫り、二人の間を吹き抜ける。

 そして尖った耳を持つ二人の男女が大地に降り立った。


「やあ、ザグレス君。助け舟は……おっと、必要ないみたいだね」


「……風竜王ウィンド・ロードルヴァン」


 ザグレスの表情が引き締まる。

 無意識下で腰を僅かに落とし、臨戦態勢を取っていた。老執事も数瞬遅れて警戒心を高める。


 そんな二人に構うことなくルヴァンはソニスを傍らに控えさせ、ザグレスたちを歓迎するかのように両手を広げ、こう言った。


「素晴らしいよ、上々の立ち回りだ。セフォン君に悟られずに上手く離れられたようだね」


「……」


 ザグレスは声を発することも首を動かすこともなく、沈黙を貫いた。


「おや? どうして怖い顔をしてるんだい? これは君が選択した道さ。君が自分の意志で僕の手を握り返したんだ。今さら忘れたとは言わせないよ」


 ルヴァンは広げていた両手を下げ、眉をハの字に変え、そして歪な微笑を作った。


「僕は塔で君と会い、服従でも死でもない第三の選択肢を提示した。――『逃亡』という新しい選択肢をね。でも……一言で逃亡と言っても、何の理由もなく『竜王の集いラウンジ』を途中退出するのは難しい。皆から警戒されている君なら尚のことだろうさ。そこで僕は考えたんだ。ザグレス君が『竜王の集い』から抜け出す口実を……大義名分を与えられないかってね」


「それがこの騒ぎということは察しているつもりだ。魔物を従え、『四竜の宮殿』にけしかけたのだと」


「やれやれ……フラム君にも言ったけど、僕に魔物を従える力はないよ」


 茶の塔に現れ、第三の選択肢を提示してきたルヴァンの手を、ザグレスが取ったことは紛れもない事実だ。

 しかしその時、ルヴァンから詳細は伝えられなかった。

 言われたことは『機を待て』、『時が来たらセフォン君から離れろ』という曖昧な指示のみ。


 手を握り返した手前、ザグレスは大人しく指示に従った。ただ時を待っていたとも言えるだろう。


 ――そして、その時は訪れた。


 結界に押し寄せ、食い破らんと迫る大量の魔物。

 ルヴァンが魔物をどう用意したのかザグレスも未だにわかっていない。

 ただし、急転直下のこの状況を招いたのがルヴァンであることはすぐに理解できた。

 だからこそ指示通りに次の一手としてセフォンから離れ、比較的冷静な思考のまま状況を見守ることができていたのだ。


 とはいえ、ザグレスはルヴァンを完全に信用したわけではない。むしろその得体の知れない力に警戒心を抱いていたほどだった。

 そして何より信用できない要因となっていたのは茶の塔で語ったルヴァンのとある言葉。


 ザグレスはルヴァンに抗議するようにキツく睨みつけながら問う。


「確かあの時、こう言っていたはずだ。――『暴力が嫌いだ』と。あの言葉は嘘だったのか?」


 暴力を全て否定するつもりはない。

 極論、力を振るうということは力の向く先……すなわち受け取り手によって大なり小なり暴力となり得るからだ。


 だが、ルヴァンが振るったであろう力は、利を受ける側のザグレスからみても明らかに過剰だった。

 被害を想定することすら困難。既に死者が出ていても不思議ではない無秩序な力。

 ザグレスが望んだのはあくまでも『竜王の集い』から離脱する機会だ。先行き不明な混沌ではない。


 ザグレスから抗議の視線を受けるも、ルヴァンは吊り上がった口角を戻さなかった。


「ああ、確かにそう言ったし、今でも暴力は嫌いさ。けど――」


 そこで一度言葉を切り、今度こそルヴァンは笑みを引っ込め、昏い眼差しを向けて言い放つ。


「――何かを勝ち取るためには代償は付き物だ。そうだろう? それに僕の手は汚れていないよ。だって、暴力を振るっているのは魔物なのだから」


「……それは詭弁だ」


「僕はそうは思わないな。見解の違いかな?」


 昏い瞳に光が戻り、柔らかな笑みを浮かべるルヴァン。

 つい毒気を抜かれそうになるほどの清々しい表情に、ザグレスはより一層警戒心を強める。


「後悔しているのかい? でも――もう手遅れだ。一度放たれた矢は戻らないよ。きっと今頃、セフォン君は魔物と死のワルツを踊っているだろうね。僕が受け持った魔物も分けてあげたから」


「……ルヴァン」


 怒りで声を震わせるザグレス。

 だがそれ以上、声も出せなければ、手も出せなかった。

 この状況を招いたのはルヴァンであり、そして自分であることをわかっていたからだ。


 爪が食い込んで血が滲んだ拳を解き、深く息を吐く。


 もう後戻りはできなかった。

 たとえ血を分けた兄妹であろうと慈悲をかけることはないし、かける資格もない。

 ザグレスに残された道は生涯にかけて業を背負い、残った者として最大限この機会を利用し、自らが課した責務と使命を果たすこと。


「セフォン君を助けにいかなくていいのかい?」


 悪魔の囁きを払い除け、ザグレスは己の道を突き進む。


「ここで朽ちるも生きるもセフォン次第だ。関与するつもりはない」


「物は言いようだね。やっぱり君には『逃亡』がお似合いのようだ」


 気付けば砂塵は晴れていた。

 だが、空をすっぽりと覆い隠した雷鳴轟く暗雲は残ったまま。


「嵐はまだ続きそうだ」

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