第652話 宴のあと

 盛況だった歓待の宴が幕を閉じ、時計の短針が一時を回った深夜。

 首都ラビリントの西区画にある小洒落た洋館に、二人の国の長が密談を交わすため、集まっていた。


「ラバール王国の国王である俺をこんな時間に呼び出すなんて、どこぞのお偉いさんだ?」


 軽口を叩き、肩を竦めながら、用意された椅子に腰を掛けるエドガー・ド・ラバール。

 二人が旧知の仲であるが故の言動であることは言うまでもない。

 エドガーをここに呼び出したダミアーノ・ヴィドーも、そんなふざけた態度を見ても憤慨するどころか、軽口で応戦する余裕があった。


「ブルチャーレ公国の大公、ダミアーノ・ヴィドーとでも名乗っておこう。ふっ……相変わらずだな、エドガー」


「ダミアーノ、お前も……と、言いたいところだったが、少しやつれたか? いや、ただの老化か?」


「たった一年で見違えるほど老け込むわけがないだろうに……。色々と苦労が重なって疲れが溜まっているだけだ。そんなことよりも、わざわざこんなところに呼び出してすまなかった。流石に衆人環視の中で話すべき内容ではないのでな」


 互いに時間がないことを理解しているダミアーノが話を早速切り出す。


 時刻は深夜一時を回っている。

 信頼の置ける少数の護衛を洋館の外で待機させているとはいえ、大国の王を夜更けに呼び出すというのは、たとえ二人が旧知の中であっても憚れる行為だ。

 それに時間がないのはダミアーノとて同じ。

 極秘裏にエドガーと会うこと自体、大きな危険性を孕んでいる。

 ましてラビリントはどの貴族の領地にも属さない国営地なのだ。

 いくらダミアーノが大公といえども、このような場で大国の王と密談していることが露呈すれば、他の貴族――とりわけ四大公爵家に下手な勘繰りをされてしまう恐れがあった。


「まずは謝罪を受け取ってもらいたい。誠に申し訳ないことをしてしまった。言い訳になってしまうが、まさかエドガーに暗殺者集団を差し向ける者がいたとは想定もしていなかった。完全に私の監督不行届であり、大失態だ。すまない……」


 椅子に掛けながらも、ダミアーノはテーブルに額がつくほど頭を低く下げ、謝意を示す。


「確かに受け取った。だからもう頭を上げてくれ、ダミアーノ。それよりも犯人の特定はどうだ?」


「……すまない。急ぎ尋問をかけているが、まだこれといった証言を引き出せていない。ここからは私の憶測が混じってしまうが、おそらく犯人は相応の権力を持った貴族だろう。全く尻尾を見せることなく、暗殺者を仕向けることなど、並の貴族ではまず不可能だ。資金力を持ち、隠蔽工作を行えるほどの貴族ともなると、その数はかなり絞られてくるが、それ以上の手掛かりは……」


 申し訳無さと不甲斐なさ、そして犯人の特定が進まない歯痒さに気を落とすダミアーノに、エドガーが慰めるように共感を示しつつ、疑問を投げかける。


「まあ、大方そんなところだろう。にしても、不可解な点が多過ぎるな。俺に暗殺者を差し向けた意図もそうだが、それ以上に本当に俺を殺すつもりがあったのか? 捕らえた暗殺者共の腕は確かなものだった。だが、それにしては些か手際が悪すぎたようにも感じた。なにせ、こちらの被害は軽傷者が出たくらいで、それ以外の被害はない。暗殺の成功・失敗はさておき、本気で殺しに掛かって来ていたのだとしたら、被害があまりにも少な過ぎるとは思わないか? 被害に遭っておいてこう言うのもなんだが、どうもちょっとした嫌がらせ……いや、脅し程度にしか思えなくてな」


 暗殺者の対処を行ったそのほとんどが紅介たちによるものであったが、エドガーは暗殺者集団の手際の悪さを指摘した。

 それは、狙われていた身だからこそ抱いた奇妙な違和感。

 暗殺者は放たれた。けれども、その腕相応の脅威を感じられなかったことに、エドガーは腑に落ちていなかったのである。


「殺意はなかった、と?」


「そこまでは断言できない。が、少なくとも俺がそう感じたってだけだ」


「そうか……」


 エドガーからの話を訊き、ダミアーノは黙って思考を巡らす。

 暗殺者を差し向けておきながら、その目的がエドガーの殺害ではない可能性を追っていたのだ。

 そもそものところ、ラバール王国の国王を殺したところで、利がある者がいるとは思えなかった。

 大公であるダミアーノに暗殺者を差し向けたのならば、まだ理解ができる。公国内を揺るがすことで派閥間の勢力図を塗り替えたり、他の四大公爵家に限っては新たな大公の座を狙うことも可能だからだ。


 しかし、ラバール王国がブルチャーレ公国にとって重要な同盟国であることを知らぬ者はいない。

 圧倒的な軍事力を持つシュタルク帝国がその勢力を伸ばしている今、自国を守るためにもラバール王国との同盟は必須。

 エドガーを殺したところで、百害あって一利なしと考えるのが、ブルチャーレ公国の貴族の共通認識と言っても過言ではない。


 では何故、暗殺者が差し向けられたのか。

 仮に目的が殺害ではなく脅しにあるにしろ、やはりその意図がダミアーノにはわからなかった。


 沈黙するダミアーノに、エドガーが遠慮のない言葉をぶつける。


「今の俺の話だけで答えなんて出るわけがないだろう。考え事は一人の時にやってくれ」


「そう、だな。すまない、時間を無駄にしてしまった」


「さっきから謝ってばっかりだな、まったく……。で、そろそろ本題を切り出してくれるんだろう?」


 また出そうになった謝罪の言葉を飲み込み、ダミアーノは姿勢を正し、表情を真剣なものへと取り繕う。


「単刀直入に訊かせてもらおう。ラバール王国におけるフラム殿の立ち位置を」


(やはり気にしていたか……)


 ダミアーノの視線から逃げずにエドガーはその瞳をジッと見つめ返す。

 その問いは、エドガーの想定の範囲内にあったものだった。今現在の世界情勢を鑑みると、当然の問いだとも言えるだろう。


 シュタルク帝国には地竜族の一部が。

 マギア王国には水竜族が。

 ラバール王国には炎竜王ファイア・ロードであるフラムと、その従者イグニスが。


 今でこそ大国とは呼べなくなってしまったマギア王国を含め、三国にはそれぞれ竜族が後ろについているように表向きは見えている。

 対して、ブルチャーレ公国はルミエール一人だけ。

 同じ国家を預かる身として、エドガーにも竜族の有無を無視することなどできようはずがないことを痛いほどわかっていた。


(ダミアーノの立場からしてみれば、気にするなという方が無理な話だな)


 誤魔化すこともできる。

 真実と嘘を織り交ぜれば、偽の情報を信じ込ませることもできただろう。

 しかし、エドガーは真実のみを語ることにした。

 偽ることで生じるかもしれないデメリットを鑑みれば当然の選択とも言える。

 もしここでダミアーノに偽の情報を伝え、その情報がフラム及び『紅』の耳に入ってしまった場合、エドガーへの信用が地に落ちることは明らか。

 これまで苦労して友好的な関係を築いてきたというのに、全てが無に帰すことになれば目も当てられない。

 ダミアーノないし、ブルチャーレ公国と情報戦を繰り広げるメリットよりも、『紅』を悪用するデメリットをエドガーは嫌ったのである。


「同盟を結ぶ際にも話したと思うが、俺はフラムと比較的良好な関係を築けているつもりだ。だが、逆に言えばそれだけの関係性でしかない。互いに利があるのなら手を貸し合うこともあるが、例外を除ければフラムが我が国のために自発的に動いてくれることはないだろうな」


 ただし、ここでエドガーは嘘を吐くのではなく、ある情報を隠した。

 それはイグニスの存在である。

 竜族が齎す国家間のバランス崩壊を危惧しているダミアーノに、フラムに加えてその従者であり、右腕とも呼ばれているイグニスがラバール王国に滞在している事実を知られたくはないと考えたからだ。


 もちろん、理由はそれだけではない。

 エドガーの目にはイグニスがそこはかとなく不気味に映っていたのも大きな要因の一つだった。

 裏表を感じさせない真っ直ぐな性格のフラムとは対照的に、イグニスからは何の感情も見えてこない。

 どのような性格で、何を考え、何をするのか。

 未だにエドガーはイグニスのことを掴めていなかった。

 故に、もしここでイグニスの許可なくその正体を漏洩した場合、どのようなリアクションが来るのかが見込めず、その存在を隠さざるを得なかったのである。


 ブルチャーレ公国を統治する身として、エドガーの言葉をそのまま鵜呑みにすることはできず、ダミアーノは疑り深い眼差しで再度問い掛ける。


「ラバール王国はフラム殿に庇護されているわけではない。この認識で間違っていないのだな?」


「ああ、概ねそんな感じだな。フラムは一介の冒険者としてラバール王国に拠点を構えているだけだ。俺を含め、フラムの正体を知る誰もが、彼女のことをラバール王国の軍事力に含めて考えてはいない」


「……わかった。今のエドガーの言葉を四公会議にて皆に伝えておく。他の三公が納得するかどうかは別だが、少なくとも私は納得することにした」


 旧知の仲とはいえ、全てを信じた訳ではない。

 しかしそれでもダミアーノは心の何処かで安堵し、張り詰めていた緊張を解き、椅子の背もたれに身体を預けた。


「ところで、『例外を除ければ』と言っていたが、例外とは何のことだ? 差し支えなければ教えてくれないか、友よ」


「都合のいい時だけ『友』呼ばわりは卑怯な奴だな……。まあいい、別に大したことじゃない。単にフラムがアリシアのことを気にかけてくれているってだけの話だ。弟子と思っているのか、あるいは妹とでも思っているのかは知らないが。どちらにせよ、アリシアのためなら動いてくれるかもしれないってだけで、フラムが俺やラバール王国のために動くことはまずないだろうな」


「羨ましい話だ……。自慢のように聞こえてしまうのは私の性格が歪んでいるのかもしれないな。竜族との付き合い方に我々は四苦八苦しているというのに、ラバール王国は我々の遥か先を行っている。何かコツみたいなものでもあるのか?」


「んー……最上級の肉でも贈ったらどうだ?」


「つまらない冗談を。そんなことで友好的な関係を築けるものか」


 エドガーに冗談を言ったつもりはなかったが、ダミアーノは完全に冗談だと思い込み、バッサリと切り捨て肩の力を抜いた。


「どうした? また一つ疲れでも溜まったか?」


「いや、むしろその逆だ。今だけは肩の荷が一つおりた気分になっている。まあ、先の話を他の者たちに説明しなければならないと思うと、盛大なため息を吐きたくなるがな……」


「過労で死ぬなよ? 正直に言ってしまうと、もしお前以外が大公になったら、上手く付き合っていける自信がないからな」


「だったら労ってくれ。なんだったらラバール王国が握っているシュタルク帝国の情報を教えてくれてもいいんだぞ?」


 エドガーの前に置かれていた空になったワイングラスに、ダミアーノがワインを注ぐ。


「俺を酔わせて情報を吐かせるつもりか? 仕方がない、今晩だけはもう少しお前に付き合ってやるよ」


 その後、二人は時計の針が二時を指し示す時まで、他愛もない話で花を咲かせたのであった。

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