第603話 一難去って

 南壁の戦場はフラムが駆けつけたことで安定感を齎す。


「預かっててくれ。せっかくの戦利品が燃えてしまっては勿体ないからな」


 地竜王から奪った腕と足を乱雑にイグニスに押し付けるや否や、フラムは動いた。


 炎竜族が持つ特性『加速』を前面に押し出し、動きを見せた者から目にも留まらぬ速さで始末していく。

 魔力遮断の結界を物ともせず、全てを灰燼に帰す炎を纏わせた竜王剣を一度振るうだけで数百人単位でシュタルク帝国兵たちが灰となって消えていった。


 それを何度も何度も繰り返す。

 シュタルク帝国軍の足が恐怖によって立ち竦むその時まで延々と繰り返していく。


 常人の目では捉えきれないフラムの戦う姿は、まさに戦場に舞い降りた死神だった。


 主防もとい主攻をフラムが担い、魔力が枯渇しかけているイグニスがうち漏らしを片付ける。

 そんな役割分担が行われた今となっては、炎の壁を取り払い開けっ広げになっていながらも、王都に立ち入れる者は誰一人として現れない。


 フラムが恐怖という鎖でシュタルク帝国軍の足を地面に縫い付けたのである。

 シュタルク帝国兵は皆、学習していた。

 前にさえ進まなければ殺されることはないと。


 シュタルク帝国軍にとって幸か不幸か、南の戦場の総指揮官である《四武神アレーズ》の姿はどこにもなかった。

 もし仮に《四武神》が戦場に残っていたのなら、南壁を突破できたかもしれない。

 その反面、戦場に残っていたのなら、『死んでこい』と無謀な特攻をさせられていたかもしれない。


 しかし、今は《四武神》不在。

 この事実が南壁の戦場の趨勢を決したのであった。


 シュタルク帝国軍の後方からけたたましい鐘の音が鳴る。

 それは撤退の合図。

 総指揮官である《四武神》の不在と戦況の不利を鑑みて、撤退の合図が出されたのであった。


 崩れ落ちた南壁の前で堂々と腕を組み、シュタルク帝国軍を睨みつけるフラム。

 そんなフラムから後ずさるように、ゆっくりと慎重に刺激しないようにシュタルク帝国軍が鈍い足取りで退いていく。


 その光景を眺めていたフラムはつまらなさそうにしながらも、やや険しい表情を浮かべてイグニスに声を掛ける。


「ふむ、ようやく諦めてくれたか。これで私たちがこうして見張っている間は攻めては来ないだろうな。だが……」


「例のエルフの所在が未だに掴めていないのが気掛かりでございますね」


 二人が最も警戒していたのは地竜王やドレックではなく、最初からエルフ唯一人だった。

 小さな裂傷だけだったとはいえ、フラムを傷つけられるほどの力をエルフが持っていることは確か。

 油断ができるような相手であるはずもなく、この戦場で姿を確認次第、早急にフラムが対処に当たる予定になっていたのだが、二人の予想に反して件のエルフが姿を見せることはなかった。


 それが意味するところは最警戒人物が二人の預かり知らぬどこか別の場所にいるということ。

 基本的に危機感が薄いフラムでも、仲間を危機に晒すことになるかもしれない今の状況だけは見過ごすことができなかった。


 だが、二人は動きたくても動けない。

 もし今、二人がこの場から離れてしまえば、シュタルク帝国軍が反転し、王都に攻め込む可能性が捨て切れないからだ。

 一度退けただけでは意味がない。門番として二人が居続けてこそ、南壁の安全が確保される。

 そのことを誰よりもフラム自身が理解していた。


「うーむ……面倒なことなってしまったな。この際、全て殺しておくべきだったか? ……いや、やり過ぎは良くないか。仕方ないが、暫くはこの場で待機するしかなさそうだな」


 不穏な言葉が口から漏れ出るが、フラムは思ったことをそのまま行動に移すことはなかった。


 人間を殺すことに何の躊躇いもない。

 しかし、竜の約定を破った地竜王の背叛を他の竜族に知らしめる前に過度に人間を殺してしまえば、フラムの主張が通らなくなる可能性が高まるばかりか、人族の国家に対して過度な干渉を行ったとして、地竜王と同罪だと判断されかねない危険性があった。

 そのため、フラムはシュタルク帝国軍を殲滅するような真似はせず、あえて逃げ道を用意したのである。


「主やディアに何か起こらなければいいが……」


 フラムはシュタルク帝国軍が引き下がっていった方向を背にし、不安げな声を漏らして王都の街並みを――否、建物の影で身を潜めていたマギア王国軍に視線を向けた。


「イグニス、そこらで隠れているマギア王国軍の連中を連れてきてくれ。ここの守りを固めさせる」


「承知致しました」


 フラムたちの最終目的が王都ヴィンテルの防衛にあったのなら、シュタルク帝国軍が諦めるその時まで南壁の防衛を続けていただろう。


 しかし、この戦争は既に詰んでしまっている。

 如何にフラムが異次元の戦闘能力を持っていても、王都全域をカバーすることなどできやしない。地竜王やドレック、あるいは件のエルフなどの強力な『個』が現れれば、その対応に相応時間を取られてしまう。

 加えて、時間の経過と共にさらなる増援が期待できるシュタルク帝国軍に対し、マギア王国の予備戦力はとうに底をついているのだ。

 半ば包囲された今の状況から勝敗をひっくり返すことなど、もはや誰にもできない。


 だからこそ、フラムたちはここに長く居残るわけにはいかない。

 最低限の未来を手にするためにも、次に進まなければならない。


 その後、フラムはイグニスが連れてきたマギア王国軍に強引過ぎるほどの命令口調で、急ぎ南壁の防衛態勢を整えさせた。


――――――――


 開門すると共に大地を大きく揺らし、一万の軍勢が西へ西へと駆けていく。

 左右・後方には目もくれず前だけを見て、ただひたすらに突き進む。


 一刻を争う逃走劇。

 シュタルク帝国軍に発見され、追いつかれたその瞬間、王都脱出計画は泡となって消えてしまう。

 馬に跨がる者、馬車に乗る者、足を動かす者問わず、ほぼ全員が死物狂いとなり、西を目指す。


 そんな中、ディアとプリュイだけは落ち着き払っていた。

 一方で同乗するカタリーナ、王妃エステル、カイサの顔色は優れない。過度な緊張がまざまざと顔色に反映されていた。

 当然ながら、お喋りに興じる余裕などありはしない。口を噤んで時が過ぎゆくのをジッと待つことしかできなかった。


 やがて、王都一の高さを誇る白銀の城の姿が後方に見えなくなる。

 王都の象徴たる白銀の城が見えなくなったことで、『王都から脱出した』という実感を軍全体が持ち始め、緊張で凝り固まっていた空気が徐々に弛緩していく。


 が、それは油断以外の何物でもなかった。

 確かに軍が王都を脱出したことは紛れもない事実だ。

 しかし、『王都からの脱出』と『シュタルク帝国軍から逃げ切る』、この二つは決してイコールでは繋がらない。


 先頭から複数の馬の嘶きが聞こえてくるや否や、軍全体が急ブレーキを踏んだかのように急停止する。

 馬車に乗っていたディアたちは慣性によって大きくバランスを崩されながらも異常事態を覚っていた。


「――プリュイっ!」


「言われずともわかっている! いくぞ、ディア!」


 馬車の扉を蹴破る勢いでディアとプリュイが外に出る。

 すると、前方から鉄錆のような血臭が二人の鼻を掠め、只事ではないことを伝えてきた。


「ちっ、妾たちが先頭を走っていれば……」


 『このような悲劇を生まずに済んだのに』と言わんばかりにプリュイは顔を歪め、己の理想の真逆に位置する武器を召喚する。


「――来い、『氷神弓エーギル・ロセット』」


 神々しいほどに蒼く光輝く『氷神弓』を強く握り締めたプリュイにディアが指示を出す。


「わたしが前に出る。プリュイは後ろからお願い」


 それだけを言い残し、ディアは足に風を纏わせ、翔んだ。


 ディアもプリュイも後衛を得意としているため、どちらかが不得手な前衛を担わなければならない。

 そこでディアは迷うことなく後衛をプリュイに譲った。

 身体の造りや身体能力は竜族であるプリュイが圧倒的に上だったが、それ以上にプリュイの後衛としての力量が自分を遥かに上回っていると判断し、ディアは自ら危険な前衛を引き受けたのである。


 そしてディアは風を纏った足で宙を蹴り、ロブネル侯爵軍の頭上を次々と越えていき、数秒足らずで異常事態が発生した地点へと降り立つ。


 ディアが地上に降り立ち、すぐさま視界に広がったのは強烈な吐き気を催すほどの凄惨たる光景。

 原形を留めぬ肉塊があちこちに飛散し、地面には赤黒い血溜まりが出来上がっている。

 その肉塊の一部が人のモノであったことは、血溜まりに浮かぶ折れ曲がった剣と、その柄に付いていた千切れた五本の指が物語っていた。


 それからディアは視線を血溜まりから正面へ――犯人と思しきエルフへと向け、紅く輝く瞳で睨みつける。


「貴女がやったの?」


「あ゛あ゛……ん?」


 端麗な容姿からは想像もつかないほどのドスの利いた声がエルフの口から飛び出る。しかし、ディアと目を合わせたその瞬間、僅かな困惑の色が声に入り混じった。

 だが、それも一瞬のこと。何事もなかったかのようにエルフの美人はディアに対してメンチを切る。


「ったりめぇだろうが。テメエらマギア王国のクソ馬鹿共が考えそうなことくらい、私にはお見通しなんだよ。さあて、ここがテメエらクソ共の終着点だ。ここから先は誰も通さねぇ」

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