第526話 早まる期日

 オルソン侯爵領最南端の都市『ステンガ』。

 シュタルク帝国からの侵攻を防ぐためにステンガは防衛都市として築かれた歴史がある。

 華やかな王都ヴィンテルとは違い、ステンガは質実剛健を体現したかのような造りとなっていた。


 切り立った崖上に築かれたこの都市の出入り口は北だけ。

 レド山脈を挟んだ先にあるシュタルク帝国からの侵入を防ぐためにこのような立地になっているのだ。

 都市をぐるりと囲う防壁は二十メートルもの高さを誇り、さらには対衝撃の結界まで施されている。

 全てはシュタルク帝国のためだけにこの都市は存在しているのである。


 謂わばこの都市は、マギア王国をシュタルク帝国から守るためのかなめであり、砦だ。

 しかもステンガの人口の大半は軍人。マギア王国全土から集められた優秀な兵たちが集い、この都市から常にシュタルク帝国へ睨みを利かせている。


 都市内部も軍人が利用する施設ばかりが建ち並ぶ。

 娯楽施設や観光名所などは何処にもなく、武具の貯蔵庫や訓練所等の軍事施設が都市の大半を占めている。


 そんな防壁都市ステンガには今、二人の要人が滞在していた。

 無骨な施設ばかりが建ち並ぶこの都市に唯一存在する優美な洋館。その中に王都から訪れた二人の大臣が円卓を囲んで会議を行っていたのである。


 その二人こそ、紅介たちが血眼になって探していた容疑者……この土地の領主でもあるラーシュ・オルソン内務大臣と、軍事畑出身の武人エーヴェルト・ヘドマン外務大臣だった。


 二十代半ばのラーシュと五十を過ぎたエーヴェルト。

 爵位だけを見ればラーシュが上でエーヴェルトは一つ下の子爵。そんな二人だったが、長きに渡りマギア王国を支えてきたエーヴェルトの方が爵位を超えた強い発言力を有していた。


 軍事畑出身ということもあり、五十を過ぎても尚、エーヴェルトの屈強な肉体と鋭い眼光は衰えを知らない。

 鍛え抜かれた太い腕を組み、思案げな顔でエーヴェルトはおもむろにラーシュに相談を持ち掛けた。


「オルソン殿、貴殿はこの後の展望をどう見る?」


 国王アウグストの右腕とも評されているラーシュ。普段からアウグストと接する機会が多いこともあってか、エーヴェルトから鋭い眼光を受けた程度で物怖じすることはなかった。


「この後とは宣戦布告が行われた後という認識であってますかね?」


「相違ない」


 ラーシュは『そうですねぇ……』と一言置いた後、暫し考え込んでから口を開いた。


「シュタルク帝国は紛れもなく強国です。こと魔法分野に於いては我が国が負けているなんてことはないでしょうが、侮れない相手であることは間違いないでしょうね。正面からぶつかり合えば五分……と言いたいところですが、少々こちらの分が悪いと自分は見ています」


 ラーシュは盲目的になるほどマギア王国の軍事力を評価してはいなかった。むしろマギア王国の中枢にいる人間にしてはあまりにも自国のことを過小に評価していたほどだ。

 この発言は聞き手によっては強い反感を買う恐れがあっただろう。臆病風に吹かれたのかと叱責されてもおかしくはない。


 しかしエーヴェルトはラーシュに対して憤ることはなかった。

 騎士団から外務大臣まで己が実力のみで至ったエーヴェルトだからこそ、誰よりも理解していたのだ。

 このままでは勝ち目は薄い、と。


 確かにマギア王国は魔法先進国として他国よりも一歩も二歩も先に進んでいる。それは比較対象がシュタルク帝国であっても例外ではない。

 優秀な魔法師を数多く輩出している実績と魔道具の研究・発展は他国の追随を許さず、この点に於いてはエーヴェルトも確固たる自信を持っている。

 魔法と魔法のぶつけ合い――つまるところ魔法戦だけならば十分シュタルク帝国に通用する……いや、それどころか上回るだろうとも考えていた。


 だが、それは机上の空論に過ぎない。

 戦争とは全てと全てのぶつかり合いなのだ。数多の魔法が頭上を飛び交う魔法戦だけではなく、当然ながら肉体と肉体をぶつけ合う地上戦も含まれる。

 そして、そういった魔法以外の分野では圧倒的にシュタルク帝国が上なのだ。


 まずもって人口が違う。

 大陸の東に広大で肥沃な領土を持つシュタルク帝国の推計人口は、ざっとマギア王国の三倍以上。

 対照的にマギア王国は、毎年厳しい冬に襲われ、農作物の収穫が乏しいため、人口の増加率は他の大国と比べるとどうしても低くなってしまう。

 いくらこの世界での戦争は数よりも質が重要だとはいえ、その数の差は決して無視できるものではなかった。


 そして平均的な兵の質に関しても、シュタルク帝国が上。

 圧倒的な経済力を背景に、多くの職業軍人を有しているシュタルク帝国兵の屈強さはこの世界の共通認識とさえなっているほどだ。

 募兵に頼らざるを得ないマギア王国と、多くの職業軍人を抱えるシュタルク帝国。兵の質が劣るとエーヴェルトが考えるのも当然だと言えるだろう。


 数少ない優位性は魔法師の質と豊富な魔道具、そして士気の高さくらいだ。

 一人娘を亡くしたフレーデン公爵家を筆頭に貴族階級の者たちの士気は非常に高い。支配者階級である貴族たちが惜しげもなく兵と金を融通してくれる算段があるからこそ、こうして開戦に踏み切る一歩手前まで至っていた。


 だが、まだ足りない。

 これだけではまだシュタルク帝国を上回ることはできない。


 ラーシュの忌憚のない意見に共感したエーヴェルトは深く頷き、話を続ける。


「私の見立てでは、このまま戦えば勝算は良くて四割程度と言ったところだろう。貴殿はこの四割という数字をどう考える? 強国と呼ばれるシュタルク帝国を相手に四割だ。決して悪い数字ではないが、果たして貴殿はこれを良しとするのか?」


「まずまずの数字ですが、自分なら良しとはしませんかねぇ。裏を返せば六割で負けてしまうのですよ? 確かに得られる物は大きいかもしれないですが、同時に失う物があまりにも大き過ぎます。せめて六割……いいえ、五割なら賭ける価値はあると思いますがねぇ。――まぁどのみち、自分がマギア王国に賭けることは絶対にありませんが」


 ラーシュの言い草はまさに他人事そのもの。

 マギア王国の内務大臣とは思えない、あまりにも国を軽視した発言だった。

 にもかかわらずエーヴェルトは怒りを抱くことも、違和感を覚えることすら

 エーヴェルトの目を通して見えるラーシュの姿は、真摯にマギア王国を想っているかのように映っていたからだ。

 付け加えるように放ったラーシュの最後の一言についても、エーヴェルトの耳には届いていなかった。


「その通りだ。同時に私もこのままで良しとするつもりは毛頭ない。そこで一つ貴殿に頼みがある」


「何でしょう? 自分の計画に支障がない程度の頼み事なら訊いてあげても構いませんが?」


 そう言いながらラーシュは口元を悪魔のように歪める。

 もうラーシュには隠すつもりはどこにもなかった。――否、操り人形を前にして隠すモノが何もなかったのだ。


 ラーシュの興味は、自我と思考力を残しておいた操り人形が一体自分に何を提案してくるのかどうか、そこにあった。


「開戦時期を早め、宣戦布告を行った同日にシュタルク帝国へ仕掛けたいと私は考えている。相手の虚を突く形で攻め入ることで必ずや大きな優位が築けるはず。この策を決行するためにも貴殿には陛下から許可を頂戴してきてもらいたいのだ」


「宣戦布告の直後に攻め入ると? この地に兵が集まり切るまでまだそれなりに時間を要すると思いますけど」


「集まった者たちから波状に攻め入れば問題あるまい。優先すべきはシュタルク帝国内にこちらの拠点を築くこと。正々堂々と真正面からぶつかり合えば拠点の設置さえ怪しくなるだろう。レド山脈という攻め手側が不利となる巨大な障害がある以上、拠点の設置だけは何としてでも成功させなければならない」


 万全の状態を整えられる前にシュタルク帝国へ攻め入り、拠点を築く。

 マギア王国の準備も疎かになるという大きなデメリットがある作戦ではあったが、それらを度返ししてでもエーヴェルトは拠点の設置を優先させたいと考えたのだ。それはひとえにエーヴェルトがシュタルク帝国を過小に評価していなかったが故の作戦だった。


 しかし、この作戦には大きな過ちがあった。


 そもそも前提が間違っていたのだ。

 マギア王国が戦争を仕掛けるわけではない。この戦争は初めからシュタルク帝国が計画し、仕掛けたものなのだ。


 故に、虚を突くことなど不可能。

 既にシュタルク帝国は今か今かとその時を万全の状態で待っていたのである。


 当然、ラーシュはその事実を知っていた。

 だからこそ彼は、より面白くなりそうな選択を取る。


「陛下に許可を取るまでもありません。良いですよ、貴方の案を採用しましょう。もその方が困ってくれそうですし」




 こうして紅介たちが預かり知らぬところで開戦の日が早まることになったのであった。

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