第527話 開戦の予兆
俺はベッドに倒れ込み、ぼんやりと天井を見上げていた。
避難民の受け入れをエドガー国王に快諾してもらった日以降、俺たちは行き詰まってしまっていた。
マギア王国の動向を調査しようにも限界がある。
物価の確認や王都への人の流入の調査など、できることは限りなく少なかった。
しかも俺たちが白銀の城に潜入してからというもの、城の警備は厳重を極めている。今では城の敷地内だけではなく、その周囲一帯も完全に封鎖されており、潜入調査を得意とするロザリーさんでもそう簡単に足を踏み入れることは難しいとのことだ。
ただでさえ、俺たちは身動きが取れない状態だった。
だが、そこからさらに拍車を掛けるかのように俺たちへの監視の目も、つい昨日から強化されてしまっていた。
それまで俺たちを監視していた騎士たちは一新され、より優秀な騎士が宛がわれることになったのだ。
それも厄介な事に、新たに宛がわれた騎士たちは探知系統スキル所持者ばかり。その分、戦闘能力は以前の騎士たちよりも多少劣っているようだが、俺たちからしてみれば探知系統スキル所持者の方が厄介極まりない存在だった。
お陰で屋敷を抜け出すことすらままならなくなってしまっている。
俺たちに与えられた自由は、これでほぼ皆無。許可なく外出が許されるのは学院への登校のみという最悪な状況にまで陥っていた。
ちなみに向こうの言い分では、あくまでも護衛の強化とのことらしい。
突如として白銀の城を襲撃した『義賊』。
その『義賊』から俺たちを守るために護衛を強化してあげたというスタンスをあちらは取っているようだが、白々しいにも程がある。
その証拠に、一新された騎士たちの戦闘能力は以前と比べ、幾分か低下しているのだ。俺たちを本当に護衛するつもりなのであれば、戦闘能力に長けた者を用意するのが道理。
にもかかわらず、戦闘能力ではなく監視能力に長けた人材を寄越してきたあたり、俺たちの監視を強化する意図が見え見えだ。
もう少しまともな言い分は無かったのかと呆れたくなるほどだった。
とはいえ、こちらに打てる手がないのもまた事実。
ロザリーさん曰く、アリシアの権限のもとで護衛を突っぱねるという強行策に打って出る手も一応無くはないらしいが、その手札は最後の最後まで取っておきたいところ。行使すれば最後、マギア王国との関係悪化が避けられなくなるからだ。
この世界の国際法がどのように整備されているのか俺にはわからないが、俺が元いた世界ほど整備されていないことは確かだろう。他国の人間である俺たちが軟禁状態になっているところから鑑みても間違いなさそうだ。
この屋敷の主権がどちらに及ぶのか。
それさえも明確になっていない以上、迂闊な真似はできない。
こちらはマギア王国の第一王女であるリーナという爆弾を抱えているのだ。存在が露呈すれば良くて国外退去処分……最悪の場合、アリシア以外は即刻断頭台送りになっても何らおかしくはない。
そして最終的にアリシアは人質となり、ラバール王国は窮地に追い込まれてしまう。
無論、ただで殺られるほど俺たちは弱くはないが、どちらにせよラバール王国に尋常ならざる迷惑を掛けることになってしまうだろうことは火を見るより明らか。
考えれば考えるほど鬱になってくる。
頭を空っぽにしてしまい、眠ってしまえればどれだけ楽だろうか。
だが、こうしてうだうだしていられる時間はもう終わり。
メイド仲間を連れて買い出しという名の市場調査に出ているロザリーさんがそろそろ帰ってくる時間だからだ。
ロザリーさんが帰宅後、俺の部屋に集まり報告会を行うのが今や習慣となっている。
とはいえ、ここ最近の報告会はほとんど中身のない形だけの物になってしまっているのは言うまでもない。
軟禁状態の俺たちが集められる情報などたかが知れているし、そう毎日のように何か新しい情報を掴むことなどできやしないからだ。
一言二言、報告を行うだけになりそうだとはいえ、俺の部屋に人が来ることには変わりない。
ベッドから起き上がった俺はシーツの皺をパパッと伸ばし、簡単に部屋の片付けを済ませ、皆の到着を待った。
「大変遅くなってしまい、申し訳ございません……」
俺の部屋に来るなりそう謝ったのはやや顔を青ざめさせたロザリーさんだった。
だが、それも仕方ないことだろう。予定していた時刻よりも既に一時間近く遅れており、部屋にはロザリーさん以外のメンバーが揃っている状態だったからだ。
いくら外出していたとはいえ、遅刻の常習犯であるプリュイよりも遅れたともなれば多少顔色が悪くなってしまうのも無理はない。
そんなくだらないことを考えていた矢先、ロザリーさんは椅子に座るよりも前に、遅刻をしてしまった重大な理由を俺たちに告げた。
「報告がございます。つい一時間ほど前、王都から大量の兵が東に向かい出立したことを確認致しました」
「……」
驚愕すべき報告に俺は言葉を失った。
いや、俺だけではない。ディアもリーナもアリシアも言葉を失い、目を見開いて驚きを露にしていた。
その間にもロザリーさんの報告は続く。
「その数はおおよそ五千から七千。装備や兵の質から察しますに、おそらく本隊ではなく末端の兵士と思われます」
平静を保っていられたのはフラムとプリュイだけ。
報告を訊いたフラムは顎に手をやると、ロザリーさんに疑問を投げ掛けた。
「確かにここ最近はだいぶ良い天気が続いていたとは思うが、雪解けにはまだもう少し時間が掛かるはずだ。開戦に踏み切るには時期尚早なのではないか?」
そう、雪解けはまだ先のはずなのだ。
空からは分厚い雲が消え、晴れの日が続いていたことは事実。
しかしながらまだ気温は低く、雪が解け出すとは到底考えられない。
なのに、兵が動いた。
それが示す意味は、すなわち開戦の前兆だ。
言葉では言い表せない感情が心をざわめかせる。
頭の中が徐々に白色に染まっていき、同時に諦念が波のように押し寄せてくる。
「仰る通りですが、この国の主要な街道は雪が積もらないよう魔道具を用いて整備されております。兵を国境沿いまで移動させるだけであれば造作もないことかと」
「ふむ、『移動させるだけ』ならか。逆に言えば開戦まではいかないというわけだな?」
「……断言まではできませんが、おそらく。レド山脈というマギア王国を他の国々と分断する巨大な障壁があるため、それを乗り越える術がない限り、開戦には踏み切れないでしょう。しかしながら、それも時間の問題ではありますが……」
「兵が東の果てに辿り着く頃には雪が解け始めている可能性もあるというわけか。多少の雪を無視してレド山脈を踏破するとして、残された時間はどの程度だ?」
二人の会話が右から左へ流れていく。
会話に加われるほどの余裕が今の俺には全くなかった。
「兵の到着に三週間ほどでしょうか。ですが、その前に最後通牒を行うのが通例。マギア王国が何かしらの要求を文書にて提示し、シュタルク帝国がその要求を呑まなければ宣戦布告が行われ、開戦となります。それらを加味すると、どれだけ早くても一ヶ月……」
「……ほう。であれば、まだまだ時間はたっぷりと残されているではないか。なあ? 主よ」
話を振られ、俺はそこでようやく我を取り戻す。
フラムの陽気な声が俺の意識を現実に引き戻してくれたのである。
もう一ヶ月しかないのではなく、まだ一ヶ月あるのだ。
そう考えるだけで不思議と心に少しだけ余裕が生まれてくる。
「ああ、この一ヶ月が勝負だ。犯人の特定と戦争の阻止――何としてでも成し遂げてみせる」
自分に言い聞かせつつも俺は皆に見えるよう顔を上げ、堂々とそう宣言をした。
そんな俺の横顔を、フラムが憂いを帯びた眼差しで見つめているとは露ほども知らずに――。
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