第514話 進捗状況
濃霧が白銀の城を満たすにはそう時間は掛からなかった。
数メートル先の視界すらも奪ってしまうほどの濃霧は、城内をパニックに陥れるには十分過ぎる効果を発揮している。
ガンガンと鳴り響く警鐘の音。各所から聴こえてくる怒りの声。恐慌状態に陥った人々の悲鳴。
もはや城内にいる人間の視覚と聴覚はほぼ完全に麻痺したと言えるだろう。
そのような好機をみすみす見逃す俺たちではない。
台本には無かった突発的な濃霧を発生させた犯人とその発案者はプリュイとフラムであることはすぐに察しがついた。
最初こそいきなりのことで戸惑いはしたが、視覚の遮断と混乱の坩堝と化した今のこの状況は俺たちにとってはまさに追い風。慎重に気配を探りながら転移を繰り返すという地道かつ大きく行動が制限された状態から解放されることで、俺たちの調査は順調に進んでいた。
俺を先頭に『気配完知』を発動しながら、俺たち三人は大胆に廊下を駆けていく。
常に『気配完知』を発動しておくことで、視界が制限された中でも人とぶつかるようなことはない。そこに加え、ディアの超精密な風系統魔法の制御能力により、誰彼構わず襲い掛かってくる濃霧の制御にある程度成功していた。
ディアが言うには、濃霧を発生させているのはプリュイということもあって、完全に霧を制御することまではできないとのことらしいが、それでもディアの力は十分役に立っている。
俺が『気配完知』を頼りに対象へと近付き背後を取り、ディアが俺の視界を一瞬だけクリアにしていく。この一連の流れを淡々と繰り返していくだけで調査は着々と進んでいったのだった。
そして俺たちは約三十分の調査の後、一度リーナの部屋へと戻ってきていた。
念のため、一度周囲を警戒してから安全を確保。仮面を外し、ここまでの進捗率を確認することにした。
リーナの部屋にも濃霧が充満していたが、超近距離で会話する分には問題はない。
「あーあ、この部屋もかなり湿気が酷いッスね。身体中もギトギトしてるッス……」
リーナはしつこく肌にこびりつく衣服に眉をしかめながら、ズボンのポケットの中に無理矢理捩じ込まれていた一枚の紙を取り出した。
「げっ……インクが滲み始めてる……」
よれよれになった紙に書かれてあるのは容疑者候補たちの名前だった。
リストの半数近くには既に二重の横線が引かれている。つまるところ、横線で消された者たちは容疑者候補から外れたことを意味していた。
「うーん、まだ五割ってところか……」
「ここからが厳しくなるね……」
進捗率に悲観していたのはディアも同じだったらしい。
顔を曇らせ、ここから先の予想される展開に悲観し、声のトーンを一つ落としていた。
約三十分で五割。そう考えれば然程悪い数値ではないように思えるが、実際はそうではない。
リーナが挙げた名前の殆どは要職に就いている者ばかり。そのせいもあってか、突然の濃霧の発生という非常事態に、一人で……或いは警備の者たちを伴って自室に閉じ籠っている者が大多数いてくれたおかげで三十分という時間で五割に達することができていた。
しかし、残りの五割に関しては未だに居場所さえ掴めていないのが現状だ。
濃霧と転移。この二つを効率良く利用することでリストに記載されていた者たちの部屋は全て回り終えていた。だが、候補から外れていない者たちは部屋を空けており、リーナの知恵と知識を借りても所在が掴めずにいたのだ。
「フラムたちと併せて十割、とは流石にいかないか……」
フラムたちの居場所は把握している。
白銀の城の頂上にずっと
城の外に逃げ出した者や警戒にあたっている者たちを上から観察してくれているに違いない。
「外に出てるのは騎士や警戒兵がほとんどッスから、良くて二割……まぁ、併せて七割ってとこッスかね」
リーナの推測が正しければ、残すは三割。
正直なところ、この三割を埋めるのはかなり厳しいと言わざるを得ない。
居場所が特定できない以上、ここから俺たちが打てる手は非常に限られてくる。パッと思いつく限りでは運否天賦に任せて城内を駆け回ることくらいだろうか。
あまりにも非効率。
だがそれでも、やるしかない。
「足を使って出来る限り埋めていくしかないか……。この霧がいつまで続くかわからないし、そろそろ行こう」
「そうッスね」
手早く容疑者候補リストを仕舞い、リーナが支度を終える。
後は仮面を装着し、転移するだけ――と、その直前にディアが悩ましげに口を開けた。
「……相談があるんだけど、いい?」
「相談?」
ディアのやや躊躇い気味の発言に、俺は首を傾げながらも話を促す。
「もし良かったら、国王様か王妃様の様子を少し見てみたいの。わたしなら何か見えてくるものがあるかもしれないから」
魔力を可視化するディアの眼は、俺が知る限りでは唯一無二の力。その眼を使い、ディアはアウグスト国王とエステル王妃の様子を確認したいとのことらしい。
やや躊躇ってはいたが、ディアがこんなことを言うからには何か考えや思惑があるのだろう。自信の有無はともかく、ディアの相談という名の提案に乗ってみるのも悪くはなさそうだ。
「……? よくわかんないッスけど、二人がそうしたいならそれでもいいッスよ。でも、この非常事態時にお父様に近付くのは、いくらなんでも無理だと思うッスけど……」
リーナの口振りからして、アウグスト国王の周囲は警備の者たちでがっちりと固められているとみて間違いなさそうだ。
いくら濃霧によって視界が制限されているとはいえ、周囲を固められていては近付くことも難しい。ましてや、今回の対象は国王だ。城内でも……いや、マギア王国の中でも精鋭中の精鋭によってその身は守られているはず。そう簡単に近付くことはできないだろう。
「なら、王妃様は?」
アウグスト国王が駄目ならと、ディアは対象をエステル王妃に絞る。
「うーん……お父様と合流してなければ、もしかしたらいけるかもしれないッスけど、それでも結構危険だと思うッスよ? 護衛の数自体は少ないッスけど、質はそれなりに高いッスから。まっ、私の方が強いッスけどね」
「……うん。それなら王妃様のもとに行ってみたい。危なそうならすぐに引き返してもいいから」
妙なところで何故か張り合うリーナをディアは華麗にスルーし、俺に力強い眼差しを向けてきた。
その紅い瞳からは強い決意を感じる。先ほどまでのどこか自信がなさそうなディアの姿はもうなくなっていた。
「よし、調査を続けながらエステル王妃様を探そう。リーナ、案内を頼む」
「お母様の部屋までッスね、了解ッス」
こうして俺たちは容疑者探しを続行しながらも、エステル王妃の様子を見に行くことにしたのであった。
―――――――――――
一方、その頃……。
「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……。妾、もう限界……」
顔を蒼く染め、肩だけに留まらず全身で呼吸をする、疲れ果てたプリュイの姿が白銀の城の頂上にあった。
痛ましいプリュイの訴え。しかし、この場に取り合う者はいない。むしろ、さらに鞭を打つ鬼がいた。
「何戯けたことを言っている。たかが数分しか経っていないではないか」
直視できないほど弱っているプリュイと、弱音を吐くプリュイに憤るフラム。そしてそこにはもう一人、ただ沈黙を貫くことしかできない者がいた。
(す、数分……。もう三十分は過ぎているのに、フラム様は数分と仰有いましたか……?)
ロザリーは無表情のまま心の中でフラムの鬼のような所業にドン引きしていた。
けれども、口は挟めない。そのような勇気は、蛮勇は持ち合わせていなかった。
もし口を挟み、フラムからの怒りを買えば最後、ロザリーは己に火の粉が降りかかると本能で理解していたからだ。
「そもそもだな、お前が王都中を霧で満たすくらい余裕だと言ったのではないか。今さら取り消すことなど許さないからな」
「ぜぇ……ぜぇ……。この、クソババア……め、覚えておけよ……」
「本当にお前という奴は口を動かしてばかりだな、情けないぞ」
(申し訳ございません、プリュイ様。この件が終わり次第、謝罪の意味も込めて貴女様を労わせていただきますので、今は……今だけは御許しを……)
そうロザリーは心の中で謝罪し、誓いを立てたのであった。
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