第515話 王妃の部屋

 想定はしていたことだが、調査は難航していた。


 城内は広く、それでいて人の数も多いのだ。所在不明の容疑者たちをそう簡単に見つけられるはずもなし。運良く数名の容疑者を発見し、リストから外すことには成功していたが、それでも現状は六割にも満たない。

 フラムたちと併せてようやく八割と言ったところだろうか。


 後二割。だが、そのたった二割が果てしなく遠く感じる。

 もはや城内にはいないのではないかと思えてくるほど、影も形も無い。

 これ以上の調査は無意味。俺の理性がそう訴え掛けてきていた。


 それでも、まだ俺たちにはやり残したことがある。

 それはディアが提案してきたエステル王妃との面会……いや、面と面を合わせるつもりはないし、この場合は覗き見、もしくは観察と言った方が正しいかもれない。


 リーナの案内に従い、俺たちはエステル王妃の私室へと徐々にその距離を縮めていく。

 ここまではプリュイが生み出した濃霧が俺たちの味方をしてくれていた。しかし、どうやらここから先はそう簡単にはいかないらしい。


 俺の『気配完知』が多数の人の気配を捕捉する。

 その気配はある一室の入り口をガッチシと固めるように、ずらりとその部屋の前の廊下で微動だにせずに留まっていた。

 濃霧で視界がかなり制限されているとはいえ、正面からこの警備を突破することは難しい。武力を用いれば話は変わるが、武力無しでここを突破するとなると、転移に頼らざるを得ないだろう。


 しかし問題は廊下の警備だけではない。

 ある一室……エステル王妃の私室の中にもそれなりの数の人の気配があるのだ。

 数にして十一。一ヵ所に固まっている気配のうち、一つはエステル王妃のものだとすると、残りの十名は使用人ないし、護衛ということになる。

 部屋の中にある気配が何の力も持たない使用人だけのものであるならば、その目を誤魔化すことはそう難しくはないだろう。

 王妃の部屋とはいえども、プリュイが生み出した濃霧を魔道具だけで完全に消し去れるとは到底思えない。故に、素人だけが部屋の中にいるのであれば濃霧に乗じてエステル王妃の様子を窺うことくらいは造作もない。


 しかし、リーナが言っていた通り、精鋭がエステル王妃の周囲を固めていた場合はどうか。

 濃霧の中でも周囲を見通すスキルや、探知系統スキル所持者がいても何ら不思議ではない。例え転移で室内に侵入したとしても、それらのスキルを持っていたらあっさりと俺たちは見つかってしまうだろう。

 そうなれば逃走、もしくは戦闘になることは避けられない。

 声を上げさせず、かつ戦闘音を立てずに室内の護衛を制圧。そしてディアの眼でエステル王妃を視る、なんてことが果たして可能なのか。そればかりは中に入ってみなければわからない。


 どう考えても相応のリスクが伴ってくる。

 今引き返せば、原因不明の濃霧が発生した程度で事態が収拾するかもしれない。だが、ここで俺たちがエステル王妃の護衛を殺しはしないでも制圧したともなれば、大事件へと発展するに違いない。


 犯人は誰なのか。

 目的は何処にあったのか。


 根掘り葉掘り捜査が進められていくことになるだろう。

 一応、その対策として俺たちは『義賊』に扮している。が、幸か不幸か現時点では俺たちの姿は誰一人にも見られていないし、そもそものところ侵入したことにすら気付かれていない。

 濃霧に乗じることで上手く行き過ぎたつけが今になって回ってきたとも言えるだろう。侵入者が現れたという痕跡をあえて残しておくのも、一つの手だったかもしれない。


 長い長い廊下をゆっくりと慎重に駆けていく。

 この先の正面に突き当たって左に曲がれば、エステル王妃の部屋が見えてくるはずだ。


 引き返すなら、今しかない。

 調査をここで打ち切り、フラムたちが集めた情報と照らし合わせ、ひとまず容疑者をさらに絞り込めたと満足するのも悪くはないだろう。

 けれども、ここからさらにもう一歩踏み出すならばこの機会を逃す手はない。


 リスクを取れるのも――今しかないのだ。


 俺は決意を固める。

 廊下の突き当たりを直前に急停止し、俺は自分の左肩を叩く。


 それは事前に取り決めていた合図だった。

 エステル王妃の部屋に転移し、作戦を決行するという合図だった。

 そして、二つを手が肩に乗ったことを確認し、俺たちは空間を跳んだ。


 視界が切り替わる。白霧に満たされていることには変わりないが、そこには確かに肌で感じられる人の気配があった。

 相手の迎撃に備え、即座に異空間から短刀を取り出し、構える。いくら『気配完知』を使えるとはいえ、視界の悪さに関しては条件は同じ。白霧の中、いつ攻撃が飛んで来るかわからない状況で気を抜くことなどできない。


 構えを取ってから一秒、二秒と時間だけが経過していく。


 動きはない。そればかりか不自然極まりないほどに室内は静まり返っていた。

 話し声も無ければ足音も無い。聴こえてくるのはすぐ後ろに立つディアとリーナの呼吸音だけ。

 俺たち以外に誰もいないのではないかと思わず錯覚してしまいそうになるが、唯一『気配完知』だけがそうでないことを告げてくれる。


 俺を除いた気配は全部で十三。そのうち二つはディアとリーナのものだ。

 何度確認してみても、この部屋には確実に俺たち以外の人間が十一人存在している。にもかかわらず、未だ誰一人として動くことも話すこともなく、ただじっと不気味に沈黙を貫き続けていた。


 明らかにおかしい、不自然だ。

 エステル王妃以外、この部屋には使用人しかいないのであればまだ理解はできる。しかし冷静に考えれば、そんなことはまずあり得ない。

 廊下だけを厳重に固め、室内は使用人だけ。そんなザルなことがあり得るはずがないのだ。最低でも半数以上は護衛と考えるのが普通だろう。


  だが、それはそれで不可解な点が生じる。

 リーナの言葉が正しければ、エステル王妃に付く護衛は精鋭中の精鋭とのことだ。その質がどの程度であるかは定かではないが、少なくともこの密閉された空間に突如として三つも人の気配が増えたともなれば、仮に誰も探知系統スキルを持っていなかったとしても何かしらの違和感を抱くはず。直立不動で黙ったままなんてことがあり得るとは到底思えない。


 不気味さ、不自然さ、そして強烈な違和感。

 あまりにも異様なこの部屋の様子に、俺とリーナの足は固まってしまっていた。


 そんな中、ディアだけが動き出す。

 一歩、二歩とゆっくりとその足を動かし、前へ前へと進んでいく。

 あっという間にディアの後ろ姿は白霧の中に呑み込まれそうになる。その消え行く後ろ姿に焦りを覚えた俺は構えを解き、リーナと共に慌てつつも慎重にその背中を追いかけた。


 毛の長い絨毯の上を歩いているとはいえ、完全に足音を消し去ることなどできない。

 すぐさまディアに追い付いた俺は、ディアを追い越し先頭へ。俺、ディア、リーナの順に縦に並び、霧の中を歩いていく。

 そして部屋の片隅に固まるように集まっていた人の気配までちょうど五メートルを切ったその時だった。


 白く濃い霧を切り裂く銀閃が突如として俺の鼻先に迫る。

 空気の流れが変わっていなければその予兆に気付けなかったかもしれない、あわやという一撃。

 それでも回避することは簡単だったが、後ろにはディアがいる。回避ではなく俺は一歩だけ足を引き、手に持っていた短刀でその銀閃を叩き落とした。


 金属音が甲高く鳴り響く。

 人の気配が動いていなかったことから半ばわかっていたことだが、俺が叩き落としたのは何の変哲もない銀色のナイフだった。


 一瞬だけ床に落としていた目線をすぐに戻す。そして、より一層警戒心を高め、次の攻撃に備える――が、いくら待っても次の攻撃が飛んで来ることはなかった。

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