第505話 竜王の誓い

 リーナたちの努力は泡となって消えるでもなく、シュタルク帝国への援助という最悪の形で残ってしまった。

 戦力が削られたまま開戦に踏み込めば、敗北は必至。

 元より勝ち目がない戦いなのかもしれないが、戦力の低下によって被害がより一層広がることは間違いないだろう。


 やることなすこと全てが裏目に出てしまったことに気付かされたリーナは、悲痛な面持ちのまま言葉を失っていた。

 身体を震わせ、瞳からはいつ涙が零れてもおかしくはない状態。復讐にあれほど燃えていた白銀の瞳も、窮地に追い込まれた今では諦めの色に染まりかけている。


 そんな状態のリーナに必要なのは慰めや励ましの言葉ではない。どんな綺麗事を並べようとも彼女の行き場を無くした心に響くことはないだろう。

 ならば、今の俺にできることは現状を打破し得る方策や指針の提示だ。

 無論、上手くいくとは限らない。むしろ、数多あるリスクを考えると行動には移さない方がいいとさえ思えてくる危険な一手であった。


「……白銀の城に乗り込もう。強引だし、危険かもしれないけど、戦争を止めるにはそれしかない」


 リスクは非常に高いし、問題は山積みだ。

 まず第一に、敵は精神操作を得意としている以上、無闇に敵のテリトリー内に踏み込むことは危険極まりない。

 スキルの全貌がわからないことも不安の一つだが、それよりも敵のスキルに対して果たして俺たちは抗えるのか、そこが何よりも不安な要素だ。


 おそらくディアは大丈夫だろう。神であって神ではなく、それでいて人であって人ではないディアが操られるとは正直、考え難い。


 では、フラムはどうだろうか。

 たぶんだが、フラムも大丈夫だろう。物理攻撃や魔法攻撃に問わず、ありとあらゆる耐性に秀でているフラムが操られる姿は全く想像がつかない。

 未だに底が見えてこないフラムが、もし敵に操られるようなことがあれば、それはもうお手上げするしかないだろう。

 俺が全力を出しても太刀打ちできる気がしないし、そもそもフラムが操られて俺が操られないなんて世界線が存在するとは到底思えない。


 となると、一番心配しなければならないのは俺となる。

 耐性にはそれなりの自信はあるものの、完璧とは程遠い。常時発動型の『千古不抜オール・レジスト』は、俺に多種多様な耐性を与えてくれる一方で、どうしても器用貧乏感が否めないのだ。

 一応、『魔力の支配者マジック・ルーラー』という絶対安心の保険があるため、余程のことがない限り俺が操られることはそうそうないだろう。とはいっても常時発動しておけるようなスキルではないことから、細心の注意が必要となってくる。


 第二の問題点は、外交的かつ法的な問題だ。

 当然のことながら、無断侵入など許されるはずがない。発見され次第、即打ち首……なんてことも十分あり得る話だろう。

 もし侵入者がラバール王国の者であったとしても、許されることはないし、躊躇すらもしてくれないに違いない。

 だがそれでも責任の所在が俺たち『紅』だけに留まるのであれば、決行の余地は十分にあった。いざとなったら逃亡すればいいだけの話だからだ。


 しかし、現実はそうはいかない。俺たち『紅』がラバール王国から選出された留学生としてこの国を訪れている以上、無関係だと主張するのは無理がある。

 俺たちがどう言い繕おうが、マギア王国は俺たち(犯罪者)を自国へと引き入れたラバール王国を許しはしない。

 責任の所在は俺たちからラバール王国へ、そして最終的にはエドガー国王へと波及していくことは火を見るより明らか。

 俺たちの意思とは関係なしに、ラバール王国を巻き込んでしまうことを俺は懸念していたのだ。


 これら以外にも問題点は山のようにあるが、その中でも一番厄介な問題は――敵が誰であるのか、これに尽きる。


 他の問題をクリアし、城内へ潜り込んだとしよう。

 しかしそこからが問題なのだ。敵が誰であるのかわからない以上、しらみ潰しに精神操作系スキル所持者を探していくしか俺たちには手がない。

 時間が掛かることは勿論のこと、潜り込んだ上で城内の人間を一人一人当たっていくのはどう考えても無理がある。加えて侵入を敵に気取られてしまえば、逃げられたり隠れられたりされる恐れだってあるのだ。


 これはゲームではない。敵が正々堂々と俺たちを出迎えてくれるとは限らないのだ。


 どう考えても現実的とは言い難いだろう。

 だがそれでも他に選択肢はない。時間は待ってはくれない。


「ほう、主にしては随分と思い切ったな」


 フラムが驚きを示すのも無理はない。

 これまでの俺は何をするにも慎重……いいや、臆病過ぎたのだ。


「戦争の準備は着々と進みつつあるし、これ以上は待てない」


 兵士たちがシュタルク帝国との国境近くに集まってからでは手遅れだ。仮に宣戦布告を前にアウグスト国王の精神を正常に戻せても、憎悪の炎に焼かれた貴族たちが止まらない可能性だって捨てきれない。

 そうなれば最後、マギア王国はアウグスト国王の意思とは関係なしに、開戦に踏み切ってしまう恐れがある。


 そして、その先に待つのは――地獄だ。

 シュタルク帝国の圧倒的な戦力を前に、マギア王国は為す術もなく蹂躙され、自然豊かなこの国はたちまち戦禍の炎に焼き尽くされてしまうだろう。

 そうなってしまえば、おそらく俺は後悔してもしきれない。


 俺は視線をフラムからロザリーさんへと移す。

 勘の良いロザリーさんのことだ、これだけで俺の意思の大部分は伝わっているに違いない。それでも俺は俺の意思を嘘偽りなく言葉にする。


「もしかしたら迷惑を掛けるかもしれません。それでも俺はこの戦争を止めたい。他の誰の為でもなく、俺たちのために」


 ただの我が儘だった。

 偽善を振りかざすでもなく、ただただ自分たちの我が儘を愚直に貫き通す。


 アーテから突き付けられた挑戦状を受け、そして打ち破るために。


「わたしからもお願い。わたしにはこの戦争を止める責任があるから……」


 その言葉の通り、ディアは責任を感じているのだろう。

 今でこそ敵対しているが、元々ディアとアーテはこの世界を管理する神だった。

 遥か太古に二人がどのような関係にあったのか俺には知る由もないが、ディアはディアなりにアーテの行いに思うところがあるに違いない。そうでなければ、ここまで責任を感じることはないはずだ。


 俺とディアに続き、フラムが口を開く。


「私からも頼む。確かに主が言うように迷惑とやらを掛けるかもしれん。だが、約束をしよう。――『炎竜王ファイア・ロード』たる我が名に誓い、この屋敷に住む者たちの命を守る、と」


 フラムの発言は、あまりにも衝撃的だった。

 冒険者『紅』のフラムではなく、『炎竜王』のフラムとしての誓約。

 その言葉の重みは、一冒険者である俺とは比べ物にならない。

 一国の主……いや、それ以上の重みを持っていた。

 その証拠に、感情を隠すことを得意としているはずのロザリーさんでさえ目を大きく見開き、驚愕のあまり声を漏らしていた。


「なっ――」


 驚きを露にしたのはロザリーさんだけではなかった。


「今、なんて……? 『炎竜王』……そう聞こえた気がしたッスけど、流石に気のせいッスよね……?」


 悲痛な面持ちは完全に消え去っていた。どうやら驚愕によって塗り潰されたようだ。


「聞き間違いでも気のせいでもないぞ。仕方がない、もう一度だけ約束してやろ――」


 面倒臭そうにもう一度フラムが誓約の言葉を口にしようとするが、ロザリーさんが慌ててそれを遮る。


「――お待ち下さい、フラム様。貴女様の御言葉はこの耳で、しかとお聞き致しました。しかしながら、どうか今暫くお時間を頂きたく存じます」


 ロザリーさんの対応は元からかなり丁寧なものだったが、この場面に於いては、その丁寧さに一層磨きがかかっていた。


 ――『炎竜王フラム』。


 その名が、この凝り固まった局面を動かす――。

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