第494話 矛先

 激しいノック音に、この場にいた全員の視線が食堂の扉へと向けられる。


「どうしたのでしょうか?」


 来客がいることは周知のはず。アリシアの号令のもと、人払いも行った。にもかかわらず、この場を訪ねてきたということは余程の事があったに違いない。

 アリシアが不快感を示さずに純粋な心からそんな言葉を漏らしたのも、そういった事情を察したからだろう。


 扉の近くで見張りをしていたセレストさんが対応に向かう。が、それをロザリーさんが止めに掛かる。


「私が対応します」


 エドガー国王から全権を預かっているロザリーさんの決定は絶対的なものだ。王女であるアリシアでさえもこの決定を覆すことは難しい。

 本来であれば指揮系統が異なるはずの騎士であるセレストさんが不満を漏らさずに大人しく引き下がったのも、こういった背景があるからなのかもしれない。


 セレストさんが元の配置に戻り、ロザリーさんが今もなお鳴り続けるノック音に対応すべく、扉を開く。


「報告致します」


 扉から現れたのはメイド服姿の女性の使用人だった。

 血相を変えた……とまではいかないものの、その女性の表情からは動揺や焦りが窺える。


 客人の手前だからなのか、ロザリーさんに耳打ちする形で報告が行われ、報告を終えた使用人の女性はこちらに一度頭を下げてから静かに退出していった。


 どのような報告があったのか気になってしまうのが人の性と言うものだろう。ロザリーさんの言葉を待つべく、全員が視線を向けたまま黙って待つ。

 すると、ロザリーさんは口を開ける前に、何故かちらりとカタリーナ王女に視線を向けてから事の詳細を告げた。


「どうやらマギア王国の騎士団が当屋敷を訪ねて来た模様です。曰く……『失踪したカタリーナ王女殿下の捜索にご協力願いたい』、と……」


 内容を訊き、ロザリーさんの謎の視線に合点がいく。


 ――カタリーナ王女が失踪している。


 騎士団のこの発言から察するに、今俺たちの目の前にいる王女は、何らかの事情で行方を眩ませていたということなのだろう。

 そして騎士団が言うところの『捜索に協力』という言葉の意味は、『この屋敷の中を調べさせろ』ということに他ならない。


 つまるところ騎士団は、この屋敷でカタリーナ王女が匿われていると疑っている……いや、ほぼ確信に近いものを持っているに違いない。

 でなければ、他国の王族が滞在している屋敷を訪ね、協力という名の疑惑を向けてくることなどあり得ない。


 和やかだった雰囲気が一瞬にして砕かれる。

 カタリーナ王女の自然な笑みも、苦々しいものへと変わっていった。


「……ここまでみたいッスね。もう戦う力も逃げる力も残ってない。ははっ……これはもう完全に詰み、ッスね」


 戦う、逃げる。

 この二つのワードから、彼女の置かれている状況が如何に危ないものであるか、ある程度察することができる。

 しかし、今この場で安易に救いの手を伸ばすことは俺にはできない。もっと細かく言うのであれば、逃がす能力はあるが、逃がす権限が俺にはないのだ。

 ラバール王国の力が及ぶこの屋敷で多数の者にカタリーナ王女の姿が見られてしまった以上、仮に転移能力を使って彼女を逃がしても、どうしてもボロが出てしまう。

 そして何より、事情は知らなかったとはいえ、純然たる事実としてカタリーナ王女をこの屋敷に招いてしまったのはアリシア……ひいてはラバール王国であることには変わりない。

 こうなってしまっては、もはやマギア王国とラバール王国の問題なのだ。

 俺の出る幕などないに等しいし、俺がとやかく言う資格もない。いくら歯痒く思っていても決定権がラバール王国にある以上、どうすることもできないのだ。


 そしてその決定権はロザリーさんが握っている。

 両国の関係にひびを入れないためにも、感情ではなく合理的な判断が求められることは言うまでもない。


「アリシア王女殿下、ここは相手方の誤解を解く必要がございます。私に一任してはいただけませんでしょうか?」


 やはりと言うべきか、ロザリーさんはカタリーナ王女を引き渡すつもりのようだ。誤解を解くとは、要するに『匿った』という疑惑を晴らすということに他ならない。

 一応、ロザリーさんはアリシアを立てるべく、判断を仰ぐような口振りではあったが、その実態は異なる。あくまでもポーズとしてそう言っているだけであることは言うまでもないだろう。


 諦念めいた笑みを浮かべ、カタリーナ王女は椅子から立ち上がる。

 彼女も彼女で、これ以上はラバール王国に迷惑を掛けられないと考えたのだろう。


「私も協力させていただきます。友人の屋敷を訪ねただけ、そう説明する責任がありますから。では参りましょ――」


 歩き出そうとしたカタリーナ王女。その腕を掴んだのは、他の誰でもなくアリシアであった。

 そしてアリシアは神妙な面持ちで椅子から立ち上がると、ロザリーさんに向けて言い放つ。


「――アリシア・ド・ラバールの名のもとに命じます。我が国には貴国に協力する意思も義務もない。そう伝えなさい」


 ただの少女ではない。

 王女としての確かな貫禄を持つアリシアがそこにはいた。


「なっ――」


 思いもよらぬ発言に、カタリーナ王女は絶句する。

 そして直接言い渡されたロザリーさんも驚きを隠しきれてはいなかった。


「……王女殿下、ラバール王国のため、ひいては民のため、今一度ご再考を。今は感情に流されず大局的に見るべき場面。マギア王国との不必要な摩擦は避けるべきです」


 ロザリーさんの立場上、簡単に頷けないのは理解できる。だからこそ、半ば脅しのようにラバール王国とその民を天秤に乗せ、民を愛するアリシアの心を揺れ動かそうと考えたのだろう。

 しかし、アリシアの意思は鋼のように固かった。


「再考の余地はありません。マギア王国はシュタルク帝国との戦争へ向けて動き始めているところ。そのような重大な局面で、さらにラバール王国とも敵対しようとは考えないでしょう」


 大国であるラバール王国とシュタルク帝国。

 確かにアリシアの言う通り、マギア王国にこの二つを同時に相手にできるほどの力はないだろう。

 だが、まだ弱い。ロザリーさんを納得させるには至らない。


「シュタルク帝国へ向けていた矛先が、先にラバール王国へ向けられる可能性も捨てきれません。それに、カタリーナ王女殿下を誘拐したともなれば、大義名分には十分。むしろマギア王国にただ一人しかいない正統な王位継承者を取り戻そうと躍起になると考えるべきではありませんか?」


「……」


 矛先を簡単に変えられるかどうかは微妙なところだが、ロザリーさんの言っていることは概ね正論だろう。少なくともアリシアが言葉を詰まらせる程度には説得力があった。


 あまり比べたくはないが、公爵家の令嬢と王女ではその重みが全く異なるのは事実。

 ならば、カタリーナ王女の奪還を優先するに違いない。


 だが、俺たち『紅』は確信していた。

 マギア王国とシュタルク帝国の戦争は普通ではない、と。

 全てはシュタルク帝国が、アーテが書いた台本通りに進められているのだ、と。

 故に、その矛先が変えられることはないと確信していた。


 俺はアリシアの背中を押すために、口を開く。


「あまり無責任なことは言えませんが、その可能性は限りなくゼロだと思いますよ」


 ロザリーから訝しげな視線を向けられる。


「……何故そのように?」


 俺たちが知り得た情報を全て晒け出さなければ答えられない難しい問いが返ってきた。

 当然、俺には全てを語るつもりはない。語ったとしても、到底信じてはもらえないだろうとわかり切っていたからだ。


「理由なら――」


 茶を濁すために、ある程度筋が通った答えを返そうと口を開きかけたその時だった――カタリーナ王女が自嘲するかのように語り始めたのは。


「――ああ、その点なら心配いらないッスよ。むしろ私を殺すために騎士たちを差し向けてきたんでしょうし」

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