第487話 歪曲された『死』

 あまりの出来事にカタリーナは返す言葉を失う。

 眼球は激しく揺れ、動揺を隠しきることができない。


「……殿下、如何されましたか?」


 クリストフは酷く衰弱しきっているにもかかわらず、自分の身体のことよりもカタリーナを気遣い、様子を伺う。

 だが、カタリーナはクリストフの気遣いに応じる余裕など微塵もなかった。


(……どうして、どうしてマルティナのことを?)


 マルティナの死はまだ公になっていないどころか、親族にも知らされていないし、知られていないはずなのだ。

 この事実を知っているのは六人だけ。一人欠いた『七賢人セブン・ウィザーズ』だけなはず。なのに、目の前で目を腫らしているクリストフは、まるで全てを知っているかのような言い草をしていた。


 訳がわからない――そうカタリーナが混乱するのも無理はない状況だった。


 そして何より、おかしな点がいくつもある。


 一つは、クリストフの態度だ。

 哀しみ、目を腫らすことに関しては何らおかしいとは思わない。

 だが、もしクリストフがマルティナの死について全てを知っているのであれば、当然マルティナが『義賊』として活動している最中に死亡したことを知っていなければおかしい。

 更に言えば、どこでどのように死んでしまったのか。そしてその原因の一端にカタリーナ自身が少なからず関わっていることを知っているのであれば、怒りの矛先はカタリーナに向けられて然るべきだ。

 にもかかわらず、クリストフからはそのような気配がまるでない。むしろ心からカタリーナに感謝をしている有り様だ。


 次に、何故クリストフはマルティナの死をこうまで早く知っているのか。これが一番の謎だった。

 マルティナが死亡してからというもの、カタリーナはその日の朝には王都ヴィンテルにあるフレーデン公爵家の別邸を訪ね、それから僅か三日ほどでここまで来たのだ。

 王都ヴィンテルから、ここノルヴィードまでの距離は早馬で二日程度の距離しかないとはいえ、クリストフがマルティナの死を知るには些か早すぎる。不自然を通り越し、あり得ないと思えるほどに。


 混乱の中、そこまで思い至ったカタリーナは、ふとあることを思い出す。


(あの日……あの時の門番の様子からして、彼もマルティナの死を知っていた……。でも、今思えばどうやって?)


 マルティナが死亡した現場は小都市クヴァルテールと、ここノルヴィードとのちょうど中間地点にあたる場所だった。

 地図で説明すると、王都ヴィンテルから北へ進むとクヴァルテール、そしてここノルヴィードと続く形になっている。

 もし仮に『七賢人』以外の目撃者がその場にいたのだとしても、王都にあるフレーデン公爵家の別邸と、この本邸へ同時に報告することは困難極まりない。それこそゲートを使わなければ日数的に計算が合わない。

 ならば、どうすればこの離れた二つの地点にほぼ同時に報告ができるのか。


(目撃者ないし、その協力者が複数人いた……。どう考えてもそうとしか考えられない。でも、そうだったとしても……)


 おかしいのだ。

 もしマルティナの死亡現場を誰かに見られていた場合、『義賊』の正体が『七賢人』であると知れ渡ってしまっているはずなのだ。何せ、目撃者は死亡した者がフレーデン公爵家の令嬢であるマルティナだとわかった上で報告したことになるのだから。

 ならば、その人物は貴族階級の人間の顔を知っている知識人、あるいはマルティナと接点を持っていた人物となる。だがそうなると、あの時仮面を外していた他の『七賢人』たちの顔を一つも知らなかったということになってしまう。


 そんなことが果たしてあり得るのだろうか……いいや、そのような可能性は極めて低い。

 他の『七賢人』ならいざ知らず、その中にはマギア王国の第一王女である彼女自身がいたのだ。『鏡面世界ミラージュ』の能力で髪の色こそ変えていたが、あの日は視界が極めて悪く、しかも真夜中だった。髪の色を多少弄った程度で正体を欺くことなど到底不可能だろう。


 つまり、目撃者がいたと仮定した場合、その目撃者は『義賊』騒ぎがあった小都市クヴァルテールの近郊に『七賢人』が……少なくともカタリーナがいたことを知っていなければおかしい。

 にもかかわらず、『義賊』=『七賢人』という簡単に浮かんできそうな構図を公表せずに伏せ、マルティナの死だけを報告したことになる。


 明らかに不自然であり、何かきな臭いものをカタリーナは感じざるを得なかった。


「……失礼しました。ここでは多くの人の目がありますので、まずは場所を移しましょう」


 動揺と混乱を何とか心の中に封じ込めたカタリーナは、そうクリストフに提案し、護衛を残して場所を移すことになった。



 護衛たちの引き留めを退け、カタリーナはクリストフの案内のもと、とある一室に通される。


「この部屋は……」


 生活感がまるでないその部屋を一目見ただけでカタリーナは気付く。


「……ええ。御察しの通り、ここはマルティナの部屋でございます。殿下、マルティナをこのベッドに寝かせてやってはいただけませんか?」


 最後に娘の顔を見たいという気持ちが、今にも泣き出しそうなクリストフの顔からひしひしと伝わってくる。

 だが、そんなクリストフを見てもカタリーナはもう揺るがない。冷静に思考を巡らせ続ける。


(私が秘密裏にマルティナの遺体を運んで来たというのに、この方は何の疑問も抱いていない。もはやこれが自然な流れだとさえ思っている……?)


 この様子ならアイテムボックスからマルティナの遺体を取り出したとしても、不審がられることはないとカタリーナは判断する。


「マルティナへの冒涜……と思われてしまうかもしれません。ですが、私にはこうして運ぶ他、手段がありませんでした。誠に申し訳ございません」


 そう謝罪しながら、アイテムボックスからマルティナの遺体を取り出し、ベッドに寝かせる。


 この時にはもう既にカタリーナはマルティナの死を悲しむことをやめていた。

 真実を解き明かし、全てを解決した後にマルティナを追悼すると決心していたのだ。


(……だからその時まで待っていて欲しいッス。ごめんなさい、マルティナ)


 心の中でマルティナへの謝罪を済ませたカタリーナは、神妙な面持ちでクリストフを見つめ、言葉を待つ。


「殿下がお謝りになる必要などございません。今はまだ我が娘の死を隠されなければならないということは、十分理解しておりますゆえ……」


「……隠す? 一体何の――」


 カタリーナは『七賢人』が『義賊』であることをクリストフに知られたと考え、瞬時に頭を巡らせ白を切った。

 だが、この後クリストフが続けた言葉を訊き、それは大きな勘違いであったと知り、そして絶望することになる。


「――殿下、私にまで隠す必要はございません。使者殿から事の詳細は聞き及んでおります。娘は殿下と共にいたところをシュタルク帝国の間者に襲撃され命を落とした、と」


 怒髪天を衝くほどの怒りを覚えるまで時間は掛からなかった。


「――何者です!! その使者の名を教えなさい!!」


 クリストフの胸ぐらを掴みかからんとばかりの勢いでカタリーナは迫る。

 あまりにも事実とはかけ離れ、歪曲されていた話に怒りを覚えずにはいられなかったのである。

 そして何より厄介だったのは、マルティナがシュタルク帝国の人間の手によって殺されたことにされてしまっている点だった。


 カタリーナ自身、事の真相は未だわからないまま。

 もしかしたら事実なのかもしれないし、そうではないかもしれない。

 しかし、真実がどうあれ、このような歪曲された話を認めることなどカタリーナにできるはずがなかった。


 もしこのような虚偽が広がれば、両国の間に大きな摩擦が生じることは必至。

 公爵家の令嬢であるマルティナの死によって大義名分を得たマギア王国が、シュタルク帝国に宣戦布告をしかねないとカタリーナは危惧したのである。


 シュタルク帝国との戦争を避けるために『義賊』として共に活動をしてきたマルティナが、その死によって戦争の切っ掛けに――道具にされてしまう。そのようなことをカタリーナが許容できるはずがなかった。




 しかし、そんなカタリーナの想いは届かない。

 その日を境にマルティナの死は徐々に貴族社会に広がっていき、最終的には市民の耳にまで届くことになる。


 そして、シュタルク帝国を忌み嫌う声がマギア王国全体から上がっていく――。

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