第478話 水と土

 宿屋の前の大通りでは『義賊』と件の兵士たちが向かい合い、今にも戦いの火蓋が切られようとしていた。


「まずいな……」


 残念ながら俺が渡した警告の手紙は、無意味で無価値なものになってしまったようだ。

 逃亡が間に合わなかったのか、或いは危険を承知の上で自ら罠に嵌まりに行ったのか俺たちには知る由もないが、どちらにせよ最悪の状況に陥ってしまったことには変わりない。


 ちなみに俺たち『紅』は今、宿屋から少し離れた高所まで場所を移していた。

 理由はフラムの存在を相手に気取られないようにするためだ。

 相手は竜族。その嗅覚は人とは比べ物にならないほど優れている。

 今回は偶然風向きの関係でフラムが先に相手の正体を掴むことに成功したわけだが、風の流れ次第ではフラムの……竜族の存在が露呈しかねない。

 そうなることを嫌ったフラムが俺とディアに場所を移そうと唐突に提案してきたのが、ここまでの経緯だった。


「助けに行った方がいいんじゃない……?」


 ディアから心配の声が上がる。が、フラムは暢気なことに、随分とのんびりとした声で反対をする。


「曲がりなりにもプリュイも竜族だ、そう焦らなくても問題はないだろう。まあ、奴が私に頭を下げて懇願するようであれば検討してやらなくはないがな」


 冷たいことを言っているが、何だかんだフラムの視線はプリュイたちに釘付けだ。おそらく本当に危険になった際には誰よりも早く駆けつけるつもりなのだろう。


「でも相手は地竜族なんでしょ? どう考えてもプリュイじゃ相性が悪いと思う……」


 余程心配なのか、珍しくディアが食い下がる。

 だがそれでもフラムは『心配は不要』だと言って、助けに行こうとはしない。


「確かに相性は悪いかもしれないが、あれでもプリュイは竜族の中でもそこそこ強い方だ。相性程度で名も知れぬ有象無象に負けるほどヤワではないぞ。それに今私の存在が敵に気付かれてしまえば数的不利を悟って逃げ出してしまうかもしれない。せっかく面白そうな奴を見つけたんだ。ここは是が非でも捕らえておきたい」


 一理ある……気がしなくもないが、正直なところを言ってしまうと『プリュイとフラムが共闘した方が早いんじゃないか?』と思ってしまったのは俺だけではなかったらしく、ディアの表情はモヤモヤとしたものに変わっていた。

 しかしその表情を見ても、フラムは断固として譲るつもりはないようだ。


「これは竜族間の問題でもある。ここは私に任せてもらうぞ」


 その言葉を最後にフラムは口を完全に閉ざし、プリュイの姿を黙々と見つめ始めたのであった。


―――――――――


 徐々に緊張感が高まっていく中、プリュイは心の中で罵倒を繰り返していた。


(……あんっの、クソババア! どうせ近くにいるくせに、これっぽっちも妾に手を貸そうとして来ないではないか! さては傍観者気取りか!? それとも妾の実力を見届けようなんて腹積もりなのか!? どちらによ、本当に役に立たぬなっ!)


 プリュイの怒りの矛先は対峙するランナルに、ではなくフラムに向けられていた。


 水と土。苦戦は必至。

 ましてや、『七賢人セブン・ウィザーズ』というハンデを背負っての戦いとなるのだ。猫の手も借りたい状況にもかかわらず、一向に手助けに来ないフラムにプリュイが憤りを覚えるのも無理はなかった。

 しかし、そんな気持ちとは裏腹に『助けてくれ』などとは口が裂けても言えない。プライドが許さない。


 故にプリュイは助けを待つことはすれど、自ら助けを求めようとはしなかった。



 続々と松明に火が灯る。

 兵士たちが持つ松明はただの松明ではなかったのだろう。吹雪に曝されてもその火が消えることはない。


 それまで雪の白と夜の黒に支配されていた小都市クヴァルテールに赤色が加わる。だが、街は静けさを保ったままであった。

 街の中で異常事態が起きているにもかかわらず、住民は誰一人として姿を見せない。そのことに真っ先に違和感を抱いたのはカタリーナだった。


(……おかしい。誰も姿を見せないなんて、あらかじめ住民たちに外出禁止の通達をしていたとしか考えられないッスね。……つまり、私たちの行動は筒抜けだったということ。ここまで状況証拠が揃ってしまうと、もう……)


 ――情報を漏らした者がいることは疑いようがない。


 カタリーナはこれ以上の擁護ができない現実を突きつけられ、ようやく意思を固め、確信に至る。

 圧倒的な存在感を放つ強敵がすぐ近くまで迫っている。だがそれでもカタリーナの眼差しはマルティナの後ろ姿に固定されていた。


 松明の灯りが迫る。

 最悪の視界状況の中でもはっきりと兵士たちの姿が見えてきた。

 ここまでくれば、もはや手遅れ。

 戦わずして小都市クヴァルテールからの脱出は不可能になったと言っても過言ではなかった。


 しかもそれだけではない。

 松明の灯りのアーチが兵士たちによって形成され、奥から錆色の髭を貯えた男が狂気を孕んだ笑みを浮かべ、彼女たちの前に立ちはだかったのである。


「貴様らが『義賊』だな。投降するもよし、戦うもよし、さて貴様らはどちらを選ぶ?」


 そもそも、戦いの先に逃げられる保障など何処にもなかったのだ。

 まるで恐怖と狂気が人の姿を象ったかのような存在が『七賢人』を絶望のどん底へと叩き落とす。


 カタリーナの耳に、何処からともなくカタカタと歯を鳴らせた音が聴こえてくる。

 音の発生源はイクセルなのか、クリスタなのか、それとも無自覚の内に自分の歯が音を立てていたのか、それすらはっきりとわからない。


(逃げなきゃ……殺される……)


 そう思っていても身体が言うことを聞かない。

 自分だけなら逃げ切れるかもしれない。だが仲間たちと一緒に逃げ切れるイメージがどうしてもカタリーナには浮かんでこなかった。


 ――絶体絶命の窮地。


 そんな状況を打破したのは他の誰でもなく、プリュイだった。


 プリュイは臆することなく松明のアーチを潜ると、錆色の髭の大男――ランナルの前に立つ。

 背丈を比べてしまうと倍以上の差があると思わず錯覚してしまうほどの圧を放つランナルに、プリュイは仮面に付いた機能によって変声された声で啖呵を切ったのだ。


「――タワケガ。ダレニ、モノヲ、イッテイル。コロサレタイノカ?」


 性別の判断すらつかないノイズ混じりの声。

 抑揚もついていない平坦な声だったが、そこには確かな殺気が多分に含まれていた。


 プリュイの発言に触発されて兵士たちも殺気立つ。しかしランナルだけは口を大きく開け、嗤った。


「くくっ……あっはっはっはっ!! 威勢良し。なかなかに楽しめそうではないか」


「タノシム? ワラエヌ、ジョウダンダ」


 その時だった。

 吹雪にも負けなかった松明の灯りが一斉に掻き消える。

 街灯の明かりだけが闇を照らす中、突如として雪を巻き上げる突風と共に低く鈍い轟音が小都市クヴァルテールに響き渡った。


 雪が舞い、そして徐々に舞い落ちてくる。

 視界が晴れたその先には、右の拳を氷で固めたプリュイとそれを悠々と手の平で受け止めたランナルの姿があった。


「――この程度か?」


 奇襲に近い強烈な一撃を軽々と受け止めたランナルは笑みを深める。

 凶悪で邪悪な笑みを浮かべるランナルの挑発に対し、プリュイは反応を示さない……否、プリュイは仮面の下でその顔を怒りで真っ赤に染めていた。


(……生きては帰さぬ。妾を虚仮にしたこやつは……絶対に――殺す)


 水竜族には『不殺』の掟が存在する。

 だが、その対象はあくまでも人に限られるのだ。司る属性は違えど、同じ竜族にこの掟は適用されない。

 だからといって、殺し合いに発展すれば水と地の竜族間で面倒な問題が発生する可能性は十分にあったが、この時のプリュイはそんな些事を気にすることはなかった。


「……コロス、マエニ、キイテオク。キサマノ、ナハ?」


「我が名はランナル。『不屈』のランナルだ」

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