第443話 無駄骨
王都から遠ざかるように山を越え、川を越えること約五時間の逃亡劇。『
王都から離れるよう指示したのはイクセルだ。『義賊』の所在を掴ませないため、また王都に混乱をもたらせないための配慮であった。
しかしその分、『七賢人』の移動距離は過酷なものになってしまったのだ。不幸なことに逃亡劇が始まると共に吹雪は止み、雪がぱらつく程度の天候に変わったせいで、なかなか追っ手を振り払うことができなかったのである。
プリュイを抱えての逃亡に加え、足跡がくっきりと残る雪道。いくら『七賢人』が優秀とはいえ、完全に振り切るまではかなりの時間を要してしまったのだった。
部屋の隅に設置してあったガラクタが積まれたソファーを手早く片付け、プリュイをそっと寝かす。
未だにプリュイの意識(正しくは放心状態なだけだが)はなし。
漆黒の仮面と黒のローブを外してみると、微かながらにプリュイの息遣いが聞こえてくる。
「息はある、死んではないようだ。だが、もしかしたら頭でも打ったのかもしれない」
イクセルが顔を寄せ、プリュイの容態を確認していく。
「その可能性は高いッスね。私が駆けつけた時には既にプリュイさんは敵に囲まれてましたし……」
実際は囲まれていただけではなく、タコ殴りにされていたのだが、そのことをカタリーナが知る由もなかった。
「ひとまず治癒魔法を使う。目に見えない怪我をしている可能性も捨てきれないからな。集中する、少し離れていてくれ」
そう……イクセルは『七賢人』の参謀を務める一方で、彼が本当に得意としているところは別のところにあったのだ。
それが治癒魔法。
『七賢人』はそれぞれの能力が非常に高いため、滅多なことで怪我をすることはない。そのためイクセルの能力はほぼ使われることはなかった。
その使われて来なかった力を今、イクセルは行使する。
ソファーに寝そべるプリュイを淡い光を放つ半透明のドーム状の結界が包み込む。
イクセルが持つそのスキルの名は――
その能力は端的に言ってしまえば範囲型の治癒魔法に他ならない。ただし、その効果は絶大。使用者の魔力量に依存するものの、部位欠損などの外傷はもちろんのこと、体内の損傷まで治癒を可能とする。
対象が死に至っていなければイクセルに治せないモノはほぼ無いと言っても過言ではない極めて優秀なスキルなのだ。
それに加え、このスキルには怪我や病を探知する能力まで備わっており、イクセルはぐったりとソファーに横たわったプリュイの容態を探っていく。
しかし……。
「これは一体……?」
「何かわかったんスか!?」
余程プリュイのことを心配していたのか、食い入るようにカタリーナはイクセルに問い掛ける。
対してイクセルは険しい表情をし、まじまじとプリュイを見詰め、こう言った。
「……異常なし、健康体そのものだ。脳内出血はおろか、外傷さえ診られない」
「はぁ〜、とりあえずは良かったね。つまりは脳震盪って感じなのかな?」
イクセルの診断に間違いはない。そう信じているクリスタが、やや安堵した表情をしながら口を挟み、診断結果を尋ねる。
「いいや、それも違うな。彼女は……いや、この際だ、プリュイと呼ばせてもらおうか。プリュイはただ放心状態になっているだ・け・だ」
怒りが入り交じった声で診断結果を発表するイクセル。誰の目から見てもキレているだろうことは一目瞭然だった。
「あー……つまりなんだ? 狸寝入りとまではいかねえが、意識はきちんと保ってたってことか?」
「そうなるな」
「「……」」
六人から極寒の眼差しがプリュイに注がれる。
怒り、呆れ、軽蔑……その他諸々の負の感情が『賢者の部屋』を冷たく渦巻いていく。
その室内を取り巻く冷気は、つい数時間前の猛吹雪にも勝るとも劣らない。
六人の中では比較的プリュイに友好的なカタリーナでさえも庇うことはなく、呆れ混じりの深いため息を吐いていた。
それから数分も経たない内に、突如として我を取り戻したプリュイがガバッと勢い良くソファーから起き上がる。
「妾の! 妾の宝は一体どこだ!?」
「「……」」
そしてこの日二度目の極寒の眼差しがプリュイに注がれる。
「な、何が言いたいのだ!?」
いくら空気が読めないプリュイといえども、六人が纏う負のオーラに気づけないほど鈍感ではない。ただし、やらかした自覚は何一つとして持ってなかったが。
誰もが口を閉ざしプリュイを見つめる中、嘆息しながらもカタリーナが皆を代表して苦情を入れる。
「命令違反に独断専行、それに伴う数々の被害……。プリュイさん、まずは皆に謝りましょうか?」
有無を言わせぬ満面の笑み。言葉遣いも普段のものとは違い、他人行儀なものだった。
「うぐぐぐっ……」
奥歯を噛み締め僅かな抵抗を見せるプリュイだったが、それも一瞬のこと。笑みを崩さないカタリーナの迫力に、プリュイはついに白旗を上げる。
「……悪かった」
「おや? 今、何か言いましたか?」
「悪かった、と言ったのだ! これで良いだろう!? 満足しただろう!?」
逆ギレ以外の何物でもなかったが、唯我独尊を貫くプリュイが謝罪を口にしたことで皆が皆、ある程度溜飲を下げる。
「今回はこれでよしとするッスけど、もう二度と勝手な行動はしないで下さいね?」
「わかった、わかった。これ以上の説教は懲り懲りなのだ。そもそもだ、宝が無かったのが悪い。そうは思わんか?」
――『宝が無かった』。
その何気ない一言で場の空気が一瞬固まる。
この場にいる誰もが思っていた……やはり今回の一件は罠だったのだと。
「プリュイさん、一ついいッスか? 荷馬車には何が載せられてたッスかね?」
「石だ。何の価値もないただの石ころが山のように積んであったぞ」
「石の山ッスか……。実はその奥の方に隠されてた、なんてことは――」
カタリーナのふとした疑問にプリュイが間髪入れずに答える。
「――ない。妾の宝への執着と嗅覚をナメるなよ?」
「あはは……嗅覚はともかくとして、執着に関しては褒めるべき点なのか微妙なところッスね……」
何はともあれ、プリュイが『ない』と断言した以上、それを疑っても意味はない。
であるならば、元より荷馬車には何も積まれていなかったと考える方が自然で、かつそう考えた方が今後のためにもなるだろうと思考を改める。
「荷馬車には私たちが求める物は積んでいなかった。皆もこの見解で相違ないッスかね??」
マルティナを除く全員が深く頷き返す。
ただ一人、マルティナだけは意気消沈し、俯きながらじっと口を閉ざし続けていた。
横目でカタリーナはそんなマルティナの様子を窺っていたが、掛ける言葉が見つからず、今はそっとしておくことにし、そのまま話を進める。
「結論から言っちゃうッスけど、今回の標的は私たちを誘き寄せるための罠だった。おそらくこれが国家主導の『対義賊』政策の一つなのかもしれないッスね」
「リーナの言うとおり、その可能性が高いだろうな。今後はただ闇雲に標的を探し、襲うだけではなく、まずは標的そのものが果たして我々の標的に成りうるのかどうかをしっかりと見極めていく必要が出てきた。つまりだ、これまで以上に慎重に標的を探していかなければならない。例え多少の取りこぼしが出てしまうとしても、だ」
今回の一件で、本物か偽物……罠か否かを見極めていく必要が出てきてしまった。
不殺の掟を掲げている以上、罠に掛かれば逃げの一手しか打つことができないようなもの。相手は殺意を持って襲い掛かってくるにもかかわらず、こちらは逃げることしかできないのだから、いくら実力差があろうと罠に掛かれば厄介なことこの上ない。しかも得るものがないとくれば徒労に終わるだけとなってしまう。
ともなれば必然的に『七賢人』が取れる選択肢は限られてくる。
未だ意気消沈しているマルティナの肩に、カタリーナは優しく手を乗せた。
「頼りきってばかりになっちゃうッスけど、これからも頼りにさせてもらうッスよ、マルティナ」
「本当に……本当によろしいのでしょうか? ワタクシのせいでご迷惑をお掛けしたばかりだというのに……」
マルティナの眼は今後のことを考えると、その重要度はより増してくるに違いない。
これまでは標的を探し、追尾してくれるだけでよかった。しかし今後はそうはいかない。それが罠であるかどうかも見極めていかなからばならないからだ。
これ以上マルティナに負担を掛け、責任を背負わせるのは酷な話だろう。けれどもマルティナの眼に頼らざるを得ないのもまた確か。
申し訳ないと思いつつも、カタリーナはマルティナを頼らせてもらう。
「今までも、そしてこれからも、マルティナのことを頼らせてほしいッス」
「……カタリーナ様」
敬愛するカタリーナに頼られたことで、ほんの少しだけマルティナに笑顔が戻る。
この時、『賢者の部屋』はカタリーナとマルティナだけの甘い空間になりつつあった。少なくとも傍からはそう見ていたに違いない。
だが、マルティナに優しい笑みを向けつつも、カタリーナの内心は全く別のことで埋め尽くされていた。
(……今回、罠が張られていたことは間違い。だけど、どうやって私たちを罠に? あの日あの時に私たちが襲撃することをどうやって向こうは知り得た? ……情報が漏れている、やっぱりそう考えた方が自然ッスよね)
「えっとだな、それで……妾への報酬は?」
「「――ない!」」
プリュイの要求は一瞬で退けられたのであった。
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