第435話 口伝

 カタリーナは賭けに出ようとしていた。

 口の中は渇き、心臓の鼓動も早くなる。表情こそ平静を装っていたが、その心の中では緊張と恐怖が重くのし掛かっていた。


 対価を拒否されたことや、マルティナの暴走など、想定外なことはいくつかあったが、ここまでは概ねカタリーナの思惑通りに話し合いは進んでいた。


 ――ある一つの誤算を除いて。


 あの日の夜、カタリーナたちは活動を始めて以来、初めての敗北を喫したものの、敗れた相手が良かった。そのおかげで首の皮一枚繋がったと言ってもいい。

 もし憲兵や冒険者などに敗れ、捕らえられたとしたら、今頃彼女の仲間たちは断頭台の前に立たされていたかもしれなかった。

 だが、今回の相手は顔見知り。しかもラバール王国から選抜された留学生が秘密裏に組織していた傭兵団に敗れたともなれば、話は大きく異なる。

 無論、ラバール王国の者に『義賊』の正体を掴まれたのは手痛いことには変わりない。ラバール王国がマギア王国の混乱を願っていたとしたら厄介極まりないだろう。


 しかし、不幸中の幸いと言うべきか、そうではなかった。

 ここまでの話し合いの中で……いや、あの日の夜に見逃してくれた時から、明らかに相手側は穏便な解決を望んでいることがカタリーナにはわかっていた。十中八九、リーダーである自分が王女という地位にあるから見逃されたのだということも彼女はわかっている。


 故にカタリーナは相手の思惑を逆手に取り、王女という立場を利用することで、強気な姿勢で話し合いに臨むことができていた。


 当初の予定は相手から一定の譲歩を引き出すこと。

 相手の要求は一貫して『義賊』と呼ばれている自分たち『七賢人セブン・ウィザーズ』の活動停止。

 だがそれはカタリーナからしてみれば、断じて呑むことができない要求だった。

 それ故に敗者とは思えぬほど強固に要求を突っぱね、プリュイへ相応の対価を支払うことで時間的猶予を手に入れようと考えていたのだ。


 紅介とディアの優しさ――甘さを考慮すると、目標の達成はそう難しいものではない。

 後はプリュイを説得するだけ……そう考えていたタイミングでカタリーナに大きな誤算が生じた。


 その誤算とは――プリュイの正体が海賊であったことである。


 ただの海賊であれば、然して影響はなかった。

 アクセルとマルティナから訊いたプリュイの戦闘力は驚愕に値するものであったが、一海賊にできることなどたかが知れているし、ただの海賊であったなら金に物を言わせれば簡単に黙らせることができただろう。

 しかしプリュイは自らの失言により、紅介から海賊であるとカミングアウトされる前から何故か金には興味を示さなかった。気に入った宝にしか興味がないと要求を突っぱねたのだ。


 そうしてプリュイが海賊であると露呈した。

 マギア王国北部の海域を縄張りとする海賊であると。


 その話を訊いたカタリーナは、その時は表情にこそ出さなかったが、驚愕と不安、そして僅かな恐怖によって心が染められていた。

 『七賢人』の仲間たちは誰一人として理解していなかっただろう。いや、知る術がなかっただろう。

 カタリーナが王家に連なる者が故に、この場では彼女だけがその歴史を知っていたのだから。




 これは王家に連なる者が遥か昔から紡いできた口伝。カタリーナも例外に漏れず、その伝承を父から訊かされていたのだ。


 マギア王国建国前より、その海賊は大陸最北の海を棲み家にしていた。

 他を寄せ付けない圧倒的な力を持った海賊は、マギア王国が誕生しても尚、その海から離れることはなかった。


 時折姿を現しては、人的な被害を出さずに船の積み荷を少し盗んでいくだけ。被害は国の経済を揺るがすほどのものではなかったため、長年に渡り放置され続けていたのだという。

 しかし技術が発展し、海運業が盛んになってきたことで、海賊の被害を重く見たとある国王が現れたのだ。

 秘密裏に討伐隊を組織し、海賊の駆逐に乗り出したのである。北の海を半ば占拠された状況を面白く思わなかったことも理由の一つだったのだろう。


 全海岸沿いを封鎖し、突発的に行われた海賊の討伐。

 近隣の小さな無人の島々も徹底的に調べあげ、討伐隊は海賊のアジト探しに力を注いだ。

 しかし、どこを探せどアジトは見つからなかったのである。

 討伐隊は北上を続けた。当てもなく地図にも記されていない未開の海を進み続けた。


 そして、『ソレ』は突如として海上に現れたのだという。

 全身を覆う蒼鱗に鋭い爪、巨躯には長い尾とそれらを空へと羽ばたかせる巨大な翼を持った存在――竜が討伐隊の前に姿を見せたのである。


 竜が一度その巨大な翼をはためかせると、抗い難い暴風に曝され、討伐隊の船団は一隻だけを残し、瞬く間に瓦解した。


 すると竜は去り際に人語を話し、討伐隊の生き残りにこんな言葉を残したのだ。


 ――『これより先は不可侵の地。死にたくなくば宝を寄越せ。そしてここから立ち去るがいい』、と。


 生き残った討伐隊は船に積んであった食料以外の全てを海へと投げ捨て国へと帰り、詳細を国王に報告。

 その話を訊いた国王はすぐさま生き残った討伐隊に箝口令を敷き、民の不安を煽らないようにするためにも北の海に住み着く竜の存在を隠したのであった。


 こうして海賊の討伐は失敗に終わったのである。

 竜が残した『宝を寄越せ』という言葉から、時の国王は海賊の正体は竜なのではないかという憶測を立てると同時に、それ以降、海賊の討伐に乗り出すことはなくなった。

 国王のこの憶測は書には残さず口伝だけで代々伝え継ぎ、そうして現代に至る。海賊に莫大な懸賞金が掛かっているのも、この憶測が発端だった。




 海賊の正体が竜であるなど、所詮は根拠のない憶測に過ぎない。しかしカタリーナはここに来て、その口伝を信じ始めていた。

 ハーフドワーフでもなく、小人族ハーフリングでもない生意気な小さき少女――プリュイの言動を目の当たりにして。

 それに加え、圧倒的な強者である紅介が海賊の報復を恐れていたことがより信憑性を高めさせたのである。


(もし本当にプリュイさんが竜なのだとしたら敵対するのは論外ッス。むしろこれからのことを考えるなら、もっと強欲に――!)


「プリュイさん――私たちの仲間にならないッスか?」


――――――――――――


「……ん? 聞き違いか? 今、妾に仲間になれと言ったのか?」


 ポカンとした顔でカタリーナ王女を見つめるプリュイ。

 いや、プリュイだけではない。俺もディアも、そしてカタリーナ王女と同じ『七賢人』の他のメンバーも言葉を失って呆然としていた。


「聞き違いじゃないッスよ。どうしても私たちは時間が欲しい。でも、私たちにはプリュイさんが求めるような対価を支払うことができない。お金や商店で見繕った商品では納得してもらえないんスよね?」


「当たり前だ。店で簡単に手に入る物など、妾の宝となるには相応しくない、浪漫が欠けているからな。それと、妾が貴様らの仲間になったとして、一体妾に何の得があるというのだ? 貴様らさえいなくなれば妾としては十分なのだが?」


 浪漫とは一体何のことなのかさっぱりわからなかったが、それ以外に関しては概ねプリュイに同意だ。今の話だけではプリュイにメリットがないように思えてならない。


「あはは……。確かに私たちがいなくなればプリュイさんとしては十分かもしれないッスね。でも、私たちの仲間になればお得なこともあるッスよ?」


「……ほうほう、話してみるがいい」


 プリュイが食いつく。

 瞳を輝かせ、姿勢も前がかりになっているあたり、興味津々といった様子だ。

 そんな様子のプリュイに、カタリーナ王女は嬉々としてプレゼンを行う。

 

「私たちの仲間になってくれた暁には、一緒に活動を行って手に入れた物の最優先入手権をプリュイさんに贈呈するッス! 流石に全部ってわけにはいかないので、一回の活動につき三つまでとさせてもらうッスけど」


「んー……微妙だな。それなら海で好き放題やっていた方がマシではないか?」


「いえいえ、そうとは限らないッスよ? 私たちはマギア王国内ならどんなに離れたところでも一瞬で移動することができる術を持ってるッスから、海に比べれば実入りは格段に増えるッスよ。それに、プリュイさんならわかっているとは思うッスけど、マギアの冬はとても厳しい。氷塊が漂う危険な海を渡る者はこの時季にはほとんどいないッス。だったら一緒に陸で活動した方がよくないッスかね?」


「た、確かにそうだが……。しかしだな……」


 明らかに心が揺れ動き始めている。

 後一押しで簡単に寝返ってしまいそうな雰囲気をプリュイは醸し出し始めていた。

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