第423話 損得勘定
「……まずいな。どうやら時間切れみたいだ」
「む? 何が時間切れなのだ?」
俺の発言に怪訝な表情を浮かべるプリュイに対し、俺は野営地を指差した。
野営地を見下ろすと、そこには松明の灯りが点々と増えていく光景が目に入ってくる。
灯りの発生源は疑う余地もなく、俺たちの護衛対象者たちだ。おそらく戦闘音が止んだことをいいことにテントから抜け出してきたのだろう。もしくは俺たちの安否を確認するために出てきてくれたのかもしれないが、どちらにせよ最悪のタイミングだと言っても過言ではない。
俺が生み出した幻影こそ野営地に残してきたものの、幻影では彼らと会話することはおろか、足止めをすることも困難だ。唯一彼らの足を止める方法があるとすれば、幻影による護衛対象者への攻撃になるのだが、流石に護衛対象者たちを相手にそんな真似ができようはずがない。だからといって身振り手振りだけで制御することも難しいだろう。
このままでは全てが有耶無耶のまま終わってしまう。
交渉の着地点も完全に定まっていない状況かつ、カタリーナ王女たちの処遇すら何も決めていないのだ。横槍が入る前に何か一つでも取り決めをしておきたい。
とはいっても、彼女たちの目的や『義賊』になった経緯がまるでわからない以上、着地点を見つけることはそう簡単なことではなさそうだ。
従って、まずはプリュイがさっき口にしたように彼女たちの目的を聞き出すことが先決。プリュイに支払う対価どうこうの話はその後だ。
しかし、目的を聞き出す時間は残されていなかった。
灯りを掲げた集団がじわりじわりと慎重な足取りでこちらに向かってくる様子を俺の『気配完知』が捉えていたのだ。
「こうすけ、時間が……」
目視でもはっきりとわかるほど、護衛対象者たちとの距離は確実に縮まってきている。ディアがやや焦ってしまうのも無理はない。
「ああ、わかってる……」
この期に及んで逃げられないようカタリーナ王女への魔力阻害はそのままに、懸命に頭を働かせていく。
限られた時間の中で俺は重大な選択を迫られていた。
今思い付く限りでは選択肢は二つだ。
カタリーナ王女率いる『義賊』をこの場で捕らえてしまうか否かの二択。どちらを選ぼうとも、それ相応のデメリットが付随してくるだろう。
この場で彼女たちを捕らえることはそう難しいことではない。今の状況から鑑みるに、半ば達成しているとも言える。
しかし、もし彼女たちを捕らえ、『義賊』と民衆から持て囃される盗賊団の正体がヴォルヴァ魔法学院の生徒たち――それもその内の一人はこの国の第一王女だったと白日の下に晒してしまえば、その影響は計り知れないものになるはずだ。
それに伴い、捕らえた張本人である俺たち『雫』も表舞台に引きずり出されることになることは火を見るより明らか。
つまるところ、竜族であるプリュイの素性はともかく、表向きはラバール王国から選抜されて留学していることになっている俺とディアが傭兵として活動していたことが明らかになってしまうというわけだ。
当然ながら俺とディアはそんなことを望まないし、ラバール王国側も望むはずもなし。マギア王国の第一王女を犯罪者として捕らえたともなれば、ラバール王国が仕掛けた謀略の類いなのではないかと邪推される可能性だって捨てきれない。いや、邪推されるだけならまだマシだろう。
王権を行使し、逆に俺たちを犯罪者だと仕立てあげてくる可能性だって否定できやしない。そうなれば最後、エドガー国王は俺たちを切り捨てるか、あるいは国家間の争いまで発展させるかどうかの選択を迫られることになる。
ならば、カタリーナ王女たちをこの場で逃がすべきなのか。
この場合に生じるデメリットはこれまでの苦労が水の泡となって消えてしまう可能性が出てくることにある。後はプリュイの機嫌が傾くであろうことも、だ。
無論、『義賊』の素性を掴んだという成果は消えてなくなりはしない。立場上、カタリーナ王女には逃げ場は存在しないと思ってもいいだろうが、城に立て籠ることで俺たちの前に姿を見せないようにすることくらいは容易く行えるに違いない。
そうなったらお手上げだ。『義賊』のメンバーにカタリーナ王女が加わっていると吹聴して回ったとしても、確かな証拠がない限り噂話の域を超えることはない。むしろ不敬罪に問われて俺たちの立場が危うくなる可能性の方が高いだろう。
他のメンバーたちはその限りではないとは思うが、どちらにせよ捕らえることで生じるデメリットの方が大きすぎると俺は判断を下したのであった。
「はぁ〜……、逃げて下さい……」
「……えっ? いいん……スか?」
重い溜め息が混ざった俺の呟きを拾ったカタリーナ王女が瞳を丸くしながら問い返してくる。
「おい、コースケ! 貴様――んぐっ!?」
異議を唱えようとしたプリュイの口はディアの両手で塞がれる。そしてディアは何も言わずに視線だけを俺に向け、この場の進行を委ねてくれた。
「今貴女方を捕らえてしまうと、俺たちが大きな不利益を被ってしまう、そう判断しただけです。ですが、一つ約束をして下さい」
俺の真剣な眼差しを受け、カタリーナ王女は戸惑いつつも、コクリと首を小さく縦に振った。
「近日中に再度話し合いの場を設けて下さい。――この約束だけは必ず果たしてもらいます」
言ってしまえばこんなものは口約束に過ぎないと自分でもわかっている。強制力や拘束力はなく、相手の善意にすがるだけのものだと。
「ええ、必ず」
けれども俺は彼女たちの善意に賭けた。否、賭けざるを得なかった。
彼女たちを捕らえることで生じるメリットとデメリットを天秤に掛けた上でそう判断したのだ。
もしかしたらもっと良いやり方があるのかもしれない。
例えばカタリーナ王女以外のメンバーから人質を取ったりすれば、もっと強引に事を進めることもできただろう。
しかし俺はそれを良しとしなかった。
非道になりきれない俺の甘さ故ではなく、カタリーナ王女から怨みを買うよりも、彼女には善意を押しつけた方が有効なのではないかと思っただけに過ぎない。
民衆から『義賊』と呼ばれていること、そして不殺を貫いていることからも、彼女たちの本質は悪ではないはず。
ならば俺の賭けは決して分が悪いものにはならないだろう。
松明の灯りがすぐそこまでやってくる。代替案を出す時間はもう残されていない。
俺はカタリーナ王女に掛け続けていた魔力阻害を解き、自由を与えた。
「後は俺たちに任せて、そっと仲間を連れて逃げて下さい。護衛対象者たちには『何とか追い払った』とでも言っておきますから」
「……恩に着るッス。――クリスタ、オルバー、皆を」
「おうよ」「……うん」
未だに意識を失っている三人の仲間の内、オルバーが二人、クリスタが一人を担いでいく。その際、一瞬だけこちらを見つめてきたクリスタの瞳に涙が浮かんでいたことに俺は気付く。
彼女の涙がどんな感情からきたものなのかは俺にはわからない。
そして、出立の準備が整うと共に彼女たちは暗く深い山の中へと颯爽と音もなく消えていったのだった。
それから程なくしてモルバリ伯爵の執事を筆頭に、次々と松明を持った人々が俺たちのもとに集まってきたことを確認しながらフードを深く被り直し、執事たちを出迎える。
「無事だったのかね?」
意外なことにどうやら俺たちのことを心配してやってきてくれたようだ。執事の後ろをついてきていた商人たちも安堵の表情を浮かべてくれている。もしかしたら積み荷が盗まれる心配がなくなったことに安堵しているのかもしれないがそういうことにしておこう。
「ご心配をお掛けしましたが、何とか追い払うことには」
「……ほう。Sランク冒険者でさえ歯が立たないと言われている『義賊』を僅か三人だけで退けたとは。しかも怪我一つしていないようではないか」
「おそらく今回の相手は『義賊』ではなかったのでしょう。多少苦戦はしましたが、噂に訊くほどの相手ではありませんでしたので」
これは必要な嘘だ。
仮にも『義賊』を退けたともなれば、俺たちが望まなくとも『雫』の名が売れてしまう。そうなれば俺たちに護衛依頼を持ってこようと考える者や俺たちの素性を調べあげようとする者が現れるかもしれない。そうならないようにするためにも嘘を吐く必要があったのだ。
「そうだったのかね? ならば君たちは引き続き警戒をしてくれたまえ。ひとまずは野営地に戻るとしよう」
若干執事から疑いの目を向けられた気がしないでもないが、気のせいということにしておこう。
こうして俺たちは『義賊』の素性を掴み、そして逃がし、野営地へと戻ったのであった。
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