第382話 自己嫌悪

 濃霧が『暴風結界』によって乱れ狂う中、アリシアは攻めの一手――切り札の使用に踏み切った。


 紅介から貰った緋色の腕輪型の魔道具に込められたスキル――『不可視の風刃インビジブル・エア』を。


 かなりのリスクを伴う一手。

 アリシアの魔力残量を考えると、数回の使用が限界。伝説級レジェンドスキルである『不可視の風刃』を気軽に使えるほどの魔力は残されていなかったのだ。


 もしこれが通用しなければ魔力切れを起こし、降参を余儀なくされることは容易に想像できた。

 しかしそれでも尚、アリシアは賭けに出たのである。

 氷の針を『暴風結界』で防ぎ続ければ、いずれは同じように魔力切れを起こしてしまうのだ。だったら僅かでも勝利の可能性がある一手を打つ。

 勝つにせよ負けるにしろ、これを使ってしまえば悔いが残る。

 そんな想いを抱きながらアリシアは切り札の使用に踏み切る。


 腕輪に魔力を流す。

 すると、アリシアの要求に応えんとばかりに緋色の腕輪はその輝きを増していく。


「……っ」


 軽い目眩がアリシアを襲う。

 それは、魔力が枯渇しかけている合図に他ならない。

 だがそれと同時に、際限なく魔力を吸い続けるのではないかと思われた腕輪は、ようやく魔力に満たされたのか、輝きを一定に保ち続ける。


 これで準備は整った。

 後はスヴェンがいるであろう方向に向かって放つだけ。

 しかし、問題はそこにある。

 どこにスヴェンがいるのか見当が全くつかないからだ。

 全方位に放つことができるのであれば、然程問題は無かっただろう。だが、魔力は枯渇寸前。しかも自前のスキルではない『不可視の風刃』を扱い慣れていない以上、全方位に放つことは不可能。半円状に放つことで精一杯であった。


 確率にして、二分の一。

 しかもスヴェンが実体を持ち、かつ『不可視の風刃』を放った方向にいれば必ず命中するという条件付きでの話でしかない。

 条件を満たしていると仮定すると、二分の一という確率は然程分が悪い賭けではないだろう。むしろ今の不利な状況を考えると十分過ぎるくらいである。


 しかし、それでもアリシアは求める。

 強欲に、貪欲に勝利を求める。


 故にアリシアは更なる一手を打つ。


 濃霧に包まれた中、アリシアは『暴風結界』を展開したまま闇雲に駆け出した。

 目指すは五十メートル四方に区切られた白線。

 注意深く足元を確認しながら、場外負けになるギリギリのラインを目指す。

 その間、氷の針がアリシアの左右後方から幾度と襲いかかってくるが、全てお構い無しとばかりに無視し、アリシアはただ走る。


 そして……、


(――見えたっ!)


 後一歩踏み出せば場外負けとなる白線を足元に視認し、そこでアリシアは足をピタリと止め、反転する。


 これでスヴェンに背後を取られる心配は無くなった。

 アリシアの背後に立つことは、すなわち場外負けとなるからだ。

 しかしながら、この場に立つということは、アリシアの場外負けの可能性が必然と高まる。前から一押しされただけで負けとなってしまう危険な立ち位置だからだ。


 まさに背水の陣。

 退くことは許されない不退転の決意を持って、アリシアは最後の戦いに臨む。




(あの風の繭は厄介ですが、それも時間の問題でしょう。どう見ても魔力を使いすぎてしまっている。貴女の敗因は魔法への対応力の無さ。ここは魔法学院なのです。剣に頼っているだけでは僕には勝てません。……おや?)


 それまで『暴風結界』で身を守るだけで微動だにしていなかったアリシアが、突如として駆け出したことにスヴェンは違和感を抱く。


 スヴェンが使っているスキル『雲集霧散』には方向感覚を狂わせる力はない。そのためか、アリシアは右往左往することなく、ただひたすらに真っ直ぐと突き進んでいた。


(もしや霧に乗じて身を隠すつもりなのでしょうか? ですが霧の中は僕の領域テリトリー。それしきのことで僕から逃げることはできません)


 アリシアが逃げ去った方向に向かって、スヴェンはゆっくりとその足を動かす。

 足音を聞かれないよう、急襲を受けないよう極めて慎重に足を進めていく。


 そしてスヴェンはアリシアに気付かれぬようにその距離を詰めたところで、気付かされる。


 ――アリシアの足元すぐ近くに白線が引かれていることに。


(なるほど。僕に背後を取られない位置に移動したわけでしたか。しかし、浅慮という他ありませんね。その立ち位置は危険ですよ? さて、どうしましょうか……)


 これまでスヴェンは『氷の針』という小規模で威力の低い魔法しか使っていなかったが、威力が高い大規模な魔法が使えないわけではない。

 あくまで魔力の消費量を抑えるために小規模魔法を使っていたに過ぎなかったのだ。

 スヴェンとて魔力量には限界がある。『雲集霧散』に加え、水系統魔法も多用しているため、アリシアに比べてまだ魔力残量には多少の余裕こそあるものの、無駄遣いをすることはできない状況にあった。


 だが、アリシアの立ち位置が場外間際に変わった今、氷の針は悪手とまでは言わないが、決定打に欠けることは確か。魔力切れを狙うのではなく仕留めきるのであれば、『暴風結界』を打ち破るほどの質量体をぶつけるべきだとスヴェンは考えを改めようとしていた。


 しかし――その考えを改めようとした僅かな時間が二人の命運を分けることになる。


 アリシアの前方斜め前に立ち位置を移動していたスヴェンは、完全に『それ』を見逃してしまっていた。

 『暴風結界』による副次効果で濃霧が大きく乱れ狂っていたのも見逃してしまった原因の一つでもあるが、しかと目を凝らしていれば気付くこともできただろう。

 しかし、スヴェンは思考に時間と意識を割いてしまった。それが決定打となったのだ。


「――なっ!?」


 時すでに遅し。

 目の前に広がっていた霧が切り裂かれたと思った瞬間には『不可視の風刃』が唸りを上げて、スヴェンの眼前まで迫ってきていたのだ。


 咄嗟に氷の盾を作り出したが、間に合わない。

 そもそもの話、急造の氷の盾如きでは、いくら威力制御の腕輪を着けた状態であったとて、伝説級スキルである『不可視の風刃』を防ぎ切れるはずがなかったのだ。


 緩衝材になるのが精々だった。

 未完成の氷の盾は『不可視の風刃』を前に、瞬く間に寸断され、スヴェンの胸元に小さくはない傷を作る。


「……ゴボッ」


 スヴェンは胸元から赤い液体を流しつつ、吐血した。

 そして膝から崩れ落ち、スヴェンが展開していた霧の結界が瞬く間に晴れていく――。




 霧が晴れたグラウンドに立っていたのはアリシア一人だった。

 紫紺色のローブはボロボロになっており、所々から血が滲み出している。

 対してスヴェンは両手両膝を地面につき、胸から、そして口から血を流し続けていた。


 どちらが勝者であるかは一目瞭然。

 審判役の教師もそれを間違えることはない。


「勝者、アリシア・ド・ラバールさん」


 その宣言が出された瞬間、救護班がグラウンドに現れスヴェンに駆け寄り、治癒魔法を施していく。

 みるみる内に胸元の傷は塞がっていくが、失った血液までは戻らない。

 意識が朦朧としていたスヴェンはそのまま担架に乗せられ、グラウンドから去っていった。


「……」


 その様子を最後まで見送ったアリシアは表情を悔しさに満ち溢れさせながら、スヴェンが運ばれていった方向に向かって深々と頭を下げた。


 しかしながらアリシアは、怪我をさせてしまったことによる罪悪感で頭を下げたわけではない。

 無論、多少の罪悪感はあるが、これは試験であり、試合であり、戦いでもあったのだ。ある程度の怪我は仕方がないと割り切ることができていた。


 だが、紅介から貰った腕輪に頼った上での勝利に関しては話は別。

 自身が持つ本来の力だけで戦っていたのであれば、十中八九アリシアは負けていた。

 自分の実力ではない他の要素で勝ったからこそ、アリシアは不甲斐なさと悔しさを抱くと共に、スヴェンに申し訳なさを感じていたのだ。


 Sクラスに入るために手段を選ぶつもりはない。

 そんな心構えをしていたはずなのに、アリシアは自己嫌悪に陥っていた。


(自分勝手ですね、私は……)


 怪我をしていることさえ忘れ、アリシアはそう心の中で呟いたのだった。

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