第360話 最後の試験

 最後の実技試験である『対人戦闘』の試験は公平性を期すため、試験官と戦う当事者以外は野外演習場に設けられていた別室にて待機させられることになった。

 曰く、試験官の手の内を見せないための対策とのことだ。

 いくら高い実力を持つ試験官とはいえども、手の内は限られている。最初に試験官と戦うことになる者と、一度でも試験官の戦う姿を見た者とでは、圧倒的に後者が有利となってしまう点を考慮した結果、このような対策が取られたのだろう。


 ちょうど半分に二分割した野外演習場では今頃、二組の受験者たちが試験に挑んでいるはずだ。

 試験時間は一人辺り二分。間にインターバル(受験者の入れ替わり時間)を一分挟み、ローテーション方式で順次二組の受験者が試験に挑む形となっている。


 別室に移動させられてから、約五十分。

 いよいよ俺の順番が回ってきたようだ。カイサ試験官が別室に顔を出し、俺の名を呼んだ。


「コースケ、次はお前の番だ。準備はいいな?」


 カイサ試験官は既に三人の受験者と戦った後だというのに、髪の乱れも服装の乱れも呼吸の乱れも一切見られない。顔色も変化なし。疲弊している様子は全くなかった。


「はい、いつでも行けます」


 心身共に準備が整っていた俺は淡々と言葉を返す。


「お前からは緊張感というものが全く感じられない。むしろ余裕があるようにすら見える。全く可愛げがというものがない。まぁいい、一分以内にグラウンドに出て来い。私は先に行っている」


 パタンッという扉が閉まる音を聞き届け、俺は椅子から立ち上がり、俺の次に試験に挑むディアに声を掛ける。


「それじゃ行ってくるよ」


「うん、頑張って。こうすけなら心配はいらないと思うけど」


「んーどうだろう? 負けるつもりはないけど、魔法に関する造詣の深さは相手の方が上だと思うし、意外と苦戦する……かも?」


 最後は疑問系になってしまったが、言葉に嘘はない。

 愛刀の紅蓮を使わずとも、全力をもって戦えば俺の勝利は揺るがないだろう。しかし、今回の試験で必要とされるものは基本的には魔法の腕だ。純粋な魔法師とは到底言い難い俺では、いくら多種多様なスキルを保有しているとはいえども、カイサ試験官に勝てる確信までは持つことができなかったのである。

 とはいえ、負けるつもりがないのもまた確か。問題は如何に手の内を隠すことができるかだ。


 最小限の力で勝つ。

 俺が目指すべきところはそこにあった。


「――っと、そろそろ行かないと間に合わなくなりそうだ。それじゃ今度こそ行ってくるよ。お互いに頑張ろう」


 手を振り合い、俺は部屋を後にした。




 硬い土のグラウンドを踏み締め、カイサ試験官の前まで足を運ぶ。


「よろしくお願いします」


「ああ。試験を開始する前にまずはこれを渡しておく」


 そう言って手渡されたのは、黒い石が嵌め込まれているだけのシンプルな腕輪だった。


「これは?」


「安全装置のような物だ。装着者の魔法の出力を抑える効果を持っている。致死に至るような強力な魔法を封じ、安全面を確保するというわけだ。もちろん、私も同じ物を着けているから安心してくれ。だがこの魔道具の効果は絶対ではない。お前ほどの魔力量を持っていれば意味をなさない可能性が高い。手を抜けとは言わないが、留意しておくように」


「少し魔道具の効果を試してみてもいいですか?」


「好きにするがいい」


 渡された腕輪を右腕に嵌め、手の平の上に火柱を発現させる。


「なるほど。確かに出力が落ちてますね」


 想定よりも火柱が小さくなっていたことから、魔道具がしっかりと作用していることを実感する。だが、これしきの魔道具では俺の全力を受け止めることは不可能だということも、同時に感じていた。


「確認はもういいな? なら、試験を開始する前に最終確認を行う。武器の使用は自由となっているが、どうする? 近接武器を使う場合はこちらで用意した物を使ってもらうことになるが」


 俺の力を十全に出し尽くすのであれば模擬刀が欲しいところではあるが、俺はこの試験で武器を使うつもりはなかったこともあり、断りを入れる。


「大丈夫です。武器は使いません」


「そうか。であれば早速始めよう。合図を頼む」


 カイサ試験官はすぐ近くにいた審判役の試験官と思われる男性に声を掛け、俺と距離を取った。


「では『対人戦闘』の試験を始める。制限時間は二分……」


 俺とカイサ試験官の距離は約十五メートル。

 魔法戦を想定した立ち位置から試験は開始される。


「――始めッ!」


 開始の合図と共に、先手を打ったのはカイサ試験官だった。

 爪先で地面を二回トントンと叩いたその瞬間、俺の足下近くの地面が隆起する。

 そして隆起した地面から現れたのは二本の土柱。

 土柱は左右から俺を挟み込む形でその姿を見せ、俺を押し潰さんとばかりに迫り来る。


「――おっと」


 だがその程度の攻撃をもらう俺ではない。

 『魔力の支配者マジック・ルーラー』による魔力の知覚化で、魔力が足下に集まっていたことを事前に察知していた俺は軽やかに地面を蹴り、迫り来る土柱を冷静にかわす。


 追撃は来なかった。

 おそらく今の攻撃は小手調べなのだろう。俺の身体能力や対処法を見定めるために放ったジャブに過ぎないことは、追撃が来なかったことから明らか。

 その証拠にカイサ試験官の口元には薄らと笑みが浮かんでいる。


 実力の差を見せつけるために、このままカイサ試験官の繰り出してくる攻撃を全て凌いでいくというのも悪くはない手だろう。

 攻撃の悉くを退ければ、嫌でも自ずと実力差を理解してくれるはずだ。

 しかし、採点方式が『試験官にダメージを与えるか否か、もしくは勝利』にあった場合、いくら実力差をわからせようと意味はない。

 採点方式がわからない以上、安全策を取るのであればカイサ試験官を倒すことが一番だ。俺はそう判断し、攻めの一手を打つことにした。


「――行きます」


 攻勢に出ることを宣言してから、俺はカイサ試験官との距離を詰める。

 ちなみに、俺はあえて『神眼リヴィール・アイ』を使っていない。

 カンニングの嫌疑を掛けられないようにするため、なんて理由ではなく、興味本位からきた理由だ。

 純粋に模擬戦闘を楽しむため、そして相手の手の内がわからない戦いをしてみたかった、ただそれだけの理由である。


 急速に距離を詰める俺に対し、カイサ試験官は一歩たりとも後退することなく迎え撃つ。

 カイサ試験官を起点に、黒い半球状の膜が広がっていく。

 黒い膜は一瞬にして広がりをみせ、高速移動する俺ごと包み込んだ。


 途端、俺の身体の動きが鈍くなる。

 頭の先から足の先まで重りを課せられたかのような感覚が俺を襲ったのだ。


「重力の檻に囚われた感覚はどうだ?」


 カイサ試験官との距離は残すところ約五メートル。

 だがその五メートルは先ほどまでの十五メートルよりも遠くに感じる。

 おそらく『千古不抜オール・レジスト』による各種耐性能力の向上がなければ、今頃俺は地面にうつ伏せになっていただろう。


「身体が重い、ですね。ですが――」


 それだけだ。

 重力場に囚われたとはいえ、身体が全く動かせないわけじゃない。魔法だって問題なく使用できる。

 『魔力の支配者』で重力場を打ち消すこともできるが、そこまで手の内を晒す必要性すら感じない。


 魔法の威力からして、カイサ試験官が使用した魔法は英雄級ヒーロースキル程度だろう。その程度のスキルで俺を止めることなどできやしない。


 俺は駆けることを止め、ゆっくりとした足取りで距離を徐々に詰めていく。


「檻に囚われて尚、動けるとはな。だが、これならどうだ?」


 俺の頭上に魔力反応がいくつも現れ、魔力がその形を変えて拳大の石となる。そして頭上に浮かんでいた数十にも及ぶ石の数々は隕石の如く俺へと降り注ごうとしていた。


「――終いだ」


「いや、終わりませんよ」


 俺の言葉と共に、頭上に浮かぶ数々の石が一瞬の間に砕け散り、粉々となった石は砂へと姿を変え、地面に舞い落ちていく。


「――ッ!? 何を……した……?」


 カイサ試験官の顔から余裕の色が消え失せ、驚愕の色に塗り潰されていく。


「邪魔になりそうだったので石を排除しただけですよ」


 ――『不可視の風刃インビジブル・エア』によるピンポイント迎撃。

 魔力を知覚化できるようになった今の俺からすれば、これしきの芸当など容易い。


 制限時間も残り僅か。

 愕然とし、狼狽えているカイサ試験官には悪いが、そろそろ終わりにさせてもらおう。


 俺は『多重幻影』と『空間操者スペース・オペレイト』を同時発動し、幻影を俺が元居た場所に、そして俺の本体を悟られないようにカイサ試験官の後方へと瞬時に転移させる。


 一瞬の出来事だ。

 カイサ試験官の目には俺が悠然と近付いてきているように見えていることだろう。

 だが、それは幻影。

 俺は既にカイサ試験官の背後を取っていた。

 しかしカイサ試験官はその事実に気付いていない。俺を迎撃すべく、魔力を練り始めている。


 これ以上、無駄な足掻きをさせないためにも、俺は指先を揃えて手刀の形を取り、背後からカイサ試験官の首元に手刀をあて、耳元で囁く。


「残念ですが、これで終わりです。怪我をさせたくはないので、降参してもらえませんか?」


 俺が耳元でそう囁くと、カイサ試験官は一瞬身体を僅かに硬直させた後、肩の力を抜いて両手を頭上に上げた。


「……幻影。つまり、あれか。最初から私はまんまと騙され、幻影と戦っていたというわけか」


 幻影を生み出し、本体と立ち位置を入れ替えたのは今さっきのことだったが、俺はあえて否定することなくそのまま頷いた。


「まぁそんなところです。もちろんフライング……不正行為はしてませんよ」


「だろうな。お前ほどの実力者がそのような不正行為に手を染めるとは到底考え難い。それに……お前が本気を出していなかったこともわかっているつもりだ。はぁ……これでは私の面目が丸潰れだな。どうしてくれる」


 冗談混じりの恨みがましい視線を向けながら、どうしてくれると言われても、どうすることもできないというのが本音だ。その辺りのことは自分で何とかしてもらうしかない。

 ただ忠告をするとしたら、まだディアの試験が残っていることを忘れないようにした方がいいということくらいだろうか。


「いや、どうするもこうするも……。一つ言えることがあるとしたら、『俺よりも凄腕の魔法師がまだ残っている』。それくらいでしょうか」


「……これ以上私を憂鬱な気分にさせてくれるな。はぁぁぁぁ……」



 少し先の未来に訪れるであろう光景を脳裏で思い描いたのか、カイサ試験官の重い重いため息が野外演習場に響き渡ったのであった。

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