第357話 昼休憩

「時間です。ペンを置いて下さい。答案用紙を回収していきます」


 試験官のその言葉で筆記試験がようやく終わりを告げる。

 会場に控えていた十人余りの試験官がそれぞれ答案用紙を回収していき、受験者全員の答案用紙が回収された頃には、どこか弛緩した空気が試験会場内に流れ始めていた。


「実技試験は昼を挟み、午後一時からになります。実技試験の会場は各自得意とする魔法によって異なりますので、注意して下さい。これにて筆記試験は終了となります」


 この言葉が決定打となり、静まり返っていた会場内が急速に騒がしくなっていく。筆記試験の手応えを和気あいあいと語り合う者たちや、魂が抜けきったかのように悲壮感を漂わせる者など、様々な姿が散見される。


 かくいう俺たちは、というと……。


「……こうすけ、手応えはどうだった?」


 瞳の輝きを失ったディアから覇気のない声を掛けられる。その様子から察するに、筆記試験が散々な結果に終わったのであろうことは明らかだ。


「まぁ、あれだよ……。実技試験から俺の試験が始まるって感じかな? あははは……」


 カンニングさえしてしまえば筆記試験など簡単にやり過ごせたのだろうが、俺の道徳心がそれを善しとしなかったのである。

 その結果、入学試験に落ちたともなれば笑えない状況になってしまうが、実技試験ではそれなりに良い結果が残せる自信があるため、全く気にならないと言ったら嘘になるが、そこまで悲観的になることはない。


「……うん、そうだよね。筆記試験はおまけ。実技試験からわたしたちの本当の戦いが始まるんだよ。うん、そうに違いない……」


 まるで自分自身に言い聞かせるかのような話し方だが、ディアが考えていることは俺と同じらしい。

 そうだ、俺たちの戦いは午後から始まるのだ。


 俺は気持ちを切り替え、俺とディアと同様に悲惨な結果に終わったであろうフラムに励ましの言葉を贈る。


「フラムも筆記試験のことは一度忘れて、俺とディアと同じように実技試験で頑張れば――」


「フッ……、何を言う。一緒にしてもらっては困るぞ」


「……へっ?」


 思わぬ自信を覗かせるフラムに俺は唖然とした声を漏らす。

 まさかフラムが筆記試験を難なく乗り越えたのではないかという思いが脳裏を過ったのだ。加えて余裕綽々なフラムの態度が『まさか』という思いを増幅させた。


 しかし、フラムの余裕綽々な態度の裏には明確な理由が存在した。当然、フラムの地頭が良いからなんて真っ当な理由ではない。


「私の隣の席はアリシアだ。つまり、答えが隣に置いてあるようなもの。私の眼をもってすれば、誰にも気付かれずに答案を書き写すことなど造作もない」


「「……」」


 フラムのあまりにも堂々としたカンニング宣言に呆れる俺とディア。カンニングの被害にあったアリシアに限っては苦笑いを浮かべていた。




 昼を挟み、俺たちは午後の試験――実技試験を迎えようとしていた。


 実技試験開始まで約二十分。

 アリシアを含めた俺たち四人は広大な敷地面積を誇るヴォルヴァ魔法学院の野外演習場に足を運ぶ。


 野外演習場は学院に五ヶ所あり、そのそれぞれが実技試験の会場となっている。

 火・水・風・土・特殊と会場を五ヶ所に振り分けられ、各々が得意とする試験会場に向かい、試験を受ける形だ。


 各試験会場へ向かうための最初の分かれ道で俺たちは足を止めた。


「道が分かれていますね。私は火系統魔法の試験会場へ向かいたいと思いますが、先生方はどちらの会場に?」


 アリシアの得意魔法はフラムと同じ火系統魔法。フラムとは違い、アリシアは風系統魔法も多少使えるが、ここはやはり一番得意とする火系統魔法の試験に挑むつもりのようだ。


「当然私も火だ。全てを燃やし尽くしてやろう」


 何やら物騒な言葉が聞こえてきた気がしたが、気にせずにスルーする。


「んー……。俺はどうしようかな……」


「……? コースケ先生は土系統魔法が得意なのだと思っていましたが、違うのでしょうか? 『土塊の魔法師』という異名も耳にしていましたので」


 懐かしくも嬉しくもない異名を訊き、思わず顔をしかめそうになる。

 大規模開発工事に携わった時に密かにつけられていた『土塊の魔法師』の異名は、俺からしたら不名誉極まりないものでしかない。『脱走者を土塊にした』やら、『土のように冷たく無機質な人間』やらと噂が勝手に独り歩きをしていたからだ。


 俺は表情を努めて取り繕い、アリシアの勘違いをやんわりと正すことにした。


「大規模開発工事では土系統魔法を使う機会が多かっただけで、得意ってわけでも苦手ってわけでもないよ。一応四元素に分類される魔法なら全部使えるけど、特段これってヤツもないんだ。だから俺は『特殊』の試験会場に行こうかな」


 『特殊』の試験概要はその名の通り、他の試験会場とは異なる特徴を持っている。

 四元素以外の魔法系統スキルを得意とする者、またはその全てを得意とする者が集まる場。

 それこそが『特殊』の試験会場である。


 とはいえ、俺に得意魔法はない。オールラウンダーといえば聞こえはいいが、良くも悪くも平均的というのが正直なところだ。

 飛び抜けて秀でている物を持っていない以上、一つの属性に特化した者にはどうしても劣ってしまうだろう。


 フラムが良い例となる。

 火を司る竜族であるフラムは、俺が知る限り火系統魔法以外の元素魔法を扱うことはできない。だがその分、火系統魔法に特化しており、その魔法の腕は決して他を寄せ付けない。


 フラムが伝説級レジェンドのランクに位置する火系統魔法を使用し、俺が持つ伝説級スキル『四元素魔法エレメンツ・マジック』で生み出した火系統魔法で対抗しようとしたとしよう。

 同じ伝説級スキルのぶつかり合いになるが、軍配はフラムに上がることは明らか。火系統魔法に対する熟練度・知識・理解度の差が勝敗を分けるからだ。


 故に俺は『特殊』の試験を選ぶことにしたのだ。

 秀でている物がない以上、魔法の質より魔法が扱える量で勝負した方が試験に於いて有利に働くと考えたのである。


「わたしも『特殊』にするつもり。筆記でダメだった分を取り戻さなくちゃいけないから、全力で頑張る」


 発言からわかる通り、ディアはやる気に満ちているようだ。

 ディアの全力がどれほどの物なのかは未知数だが、少なくとも魔法の扱いは俺よりも上。無尽蔵の魔力に正確無比な魔法の制御能力は、見る者全てを圧倒するに違いない。


「では二つの会場に分かれる形になりますね。全員、無事に合格できるよう全力を尽くしましょう」


「ああ、もちろん。それじゃあ俺とディアは行くよ。フラム、アリシアのことは頼んだ」


 俺たち『紅』に与えられた役割を忘れてはいけない。

 留学をするために試験を受けているのではなく、アリシアの護衛として共に行動するために留学生という肩書きを欲しているに過ぎないということを。

 アリシアの護衛が最も優先しなければならないことであり、試験にかまけて『護衛を忘れていました』では許されることではない。

 フラムに念を押したのはそのためだ。


「任せておけ。エドガーにアリシアを護ると約束したからな」


「ありがとうございます、フラム先生」


 翳りが一切見えない柔らかな笑みをアリシアは浮かべる。

 その様子からして、絶対的な安心感を抱いてくれていると思っても良さそうだ。客観的に考えても、護衛が炎竜王ファイア・ロードという圧倒的な強者ともなれば、数千の騎士に囲まれている時以上の安心感を与えてくれるだろう。




 こうして俺たち四人は二手に分かれ、実技試験を受けることになった。


 アリシアとフラムは『火』の試験会場へ。

 俺とディアは『特殊』の試験会場へ。


 この時の俺は筆記試験での遅れを取り戻すことしか考えておらず、すっかり失念してしまっていた。


 俺たち『紅』の実力が人の域を超越していることを――。

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