第276話 届かぬ祈り
大聖堂の見学を終え、男性信者の案内で俺たちは教会の出入り口へと戻ることになった。
帰宅組の人数は、今や俺たちを含め十五人だけ。
大聖堂を見学させてもらったことで改めて入信を決めた者が約半数にも及んだ形だ。信者を集める聖ラ・フィーラ教からしてみれば、想定通りに事が進んだ結果だと言えるだろう。
人間誰しも――とまでは言わないが、大抵の人間は『特別』という言葉に弱い。今回の場合は『特別に大聖堂へ案内する』といった甘い言葉で自分たちだけが特別な扱いを受けたと認識させることによって、一度入信を見送った者たちの心を揺さぶり、入信することを決断させるに至った。
聖ラ・フィーラ教を警戒している俺からしてみれば、あまりにも露骨過ぎる誘導にしか思えなかったが、事実こうして上手くいっていることからも、かなり効果的なやり口であると認めざるを得ない。
そんなどうでもいいことを考えつつ、無言で廊下を歩いていく。
本来なら、大聖堂から広場に繋がっていると思われる空間を見つけたことをディアとフラムの二人と情報を共有しておきたいところではあったが、帰宅組の人数が人数だ。いくら小声で話していたとしても悪目立ちは避けられない。ここは大人しく宿に戻ってから情報を共有するべきだと俺は判断し、無言のまま歩き続ける。
「皆様、本日はフルフトバーカイト教会に足を運んでいただきありがとうございました。またいつでもいらっしゃって下さい。聖ラ・フィーラ教は如何なる時でも皆様を歓迎致します。では、神ラ・フィーラ様の御加護がありますように」
帰宅組は男性信者に正門まで見送ってもらい、その言葉で解散することになった。
正門には既に人の列はなく、警備にあたっていた人員も大きく減っていた。その様子から鑑みるに、今日はもうこれ以上人を招き入れるつもりはないということなのだろう。
帰宅組の者たちは男性信者に見送られながら、後腐れもなさそうに各々帰途についていった。今や正門の前に残っている者は俺たちだけだ。
「俺たちもそろそろ宿に戻ろうか。それともどこかで軽食でも――」
現在の時刻は午後二時三十分前後といったところ。
おやつの時間という風習はこの世界にはないと思われるが、どこかで軽食でも、と考えていた時だった。
正面の大通りから教会へ向かって歩いてくる見覚えのある顔を見つけたのは。
「ディア、フラム、こっちだっ」
小声ながらも慌てて二人の手を引き、横道へと強引に連れていく。
ここで俺が取れた選択肢は二つ。
何事もなかったかのように平然を装ってすれ違うか、横道に逃げ込むかの二つだ。
だが俺は後者を選択した。
見覚えのある顔――『
それはホラーツの少し後ろを歩く二人の男たちにある。正しくはさらにその内の一人。
その男は『鑑定』のスキルを持っていた。
無論、『鑑定』程度のスキルなら、俺たちの情報を覗き見ることは叶わない。しかし逆に言えば、覗き見ることが出来ない相手だと認識されてしまうということになる。
ましてやそれが三人全員ともなれば奇異の目で見られることに違いない。
故に俺は、『鑑定』を使われていないことを祈りつつ、後者を選択したのだった。
―――――――――――――――
「ホラーツ……様、私の『鑑定』が通用しない……三人組を……見つけました……。あの三人組……です」
ホラーツに付き従っている男は口と手を震わせながら、紅介たち『紅』の三人を指差した。
「良くやりました、ご苦労様です。後は私たちに任せ、貴方は休んでいて下さい」
「ご配慮……感謝致します……」
男の体調はとうに限界を迎えていた。
ホラーツの指示で『鑑定』を酷使した結果、男は激しい頭痛と目眩、そして吐き気に襲われていたのである。
人通りの多い中で『鑑定』を使えば体調不良を起こすと知りながらも、ホラーツは男に『鑑定』を使わせていた。
理由は当然、己が犯した失態を帳消しにするために他ならない。
――尾行者を突き止め、己の手で消す。
マヌエル・ライマン枢機卿から与えられた猶予は刻一刻と迫ってきている。
ホラーツに残された時間は残り僅かしかないのだ。形振り構ってなどいられるはずがなかった。
「接触を試みますので、彼らを追いますよ」
「かしこまりました」
体調を崩している部下を一人その場に置き去り、ホラーツはもう一人の部下と二人だけで紅介たちを追うことにした。
無論、『鑑定』が通用しなかったからといって、尾行者であるとは限らない。それくらいの思考力は焦燥感に駆られているホラーツにも残されていた。
だが――
(この際、彼らを犯人として仕立て上げるというのも一つの手かもしれませんね。彼らが他国の人間であれば、の話ですが)
ホラーツは半ば尾行者の特定を諦めかけていた。
それもそのはず、ノイトラール法国は小国とはいえ、何万もの人間が常に滞在しているのだ。いくら入国者リストを手に入れたからといっても捜索には莫大な時間が必要となる。ましてやホラーツが持つ権限で動員出来る人員はたかが知れている数しかいない。ともなれば、ホラーツが諦めの境地に至ってしまっても仕方がない話だと言えるだろう。
故にホラーツは、犯人を仕立て上げることもやむ無しと考えていた。
しかし犯人を仕立て上げるにしろ、いくつか満たさねばならない条件がある。
一つは自国民ではないこと。
ホラーツ率いる輸送部隊が尾行されていたのは、ラバール王国からノイトラール法国へ向かう道中。もし尾行者が自国民であれば、わざわざラバール王国から尾行してくる必要性は限りなく低いため、自国民を犯人としてライマンに引き渡したとしても、容易に虚偽が露呈し、処罰が下されてしまうことは火を見るより明らかだからだ。
そして最も重要な条件。それは、犯人が強者であることに他ならない。
弱者を犯人に仕立て上げ、もしライマンがその弱者を尾行した犯人だと認めてしまった場合、ホラーツには間違いなく『弱者の尾行に気付かぬ愚か者』という烙印が押されてしまうことになるからだ。
高いプライドを持つホラーツからしてみれば、そのような烙印を押されることは死にも等しい。いや、死んだ方が幾分かマシだとさえ思えてくる程の恥辱である。
ホラーツは三人組を追いかけようと足を踏み出すその刹那、心の中で神に祈りを捧げる。
(我らが神ラ・フィーラ様。どうか私に貴女様の御加護をお授け下さい)
聖ラ・フィーラ教に入信してからというもの、これほど真摯に祈りを捧げたことはホラーツにはなかった。
神に祈りを捧げることは、司教の地位にあるホラーツからしてみれば当然の行いでしかなかった。
しかし、今回だけは違う。
心の奥底から『助かりたい』という一心で神に祈りを捧げたのである。
だが、ラフィーラの友であるフロディアに敵対しようとしているホラーツの祈りは、ラフィーラに届くことはあっても聞き届けられることは決してない。
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